生命の言葉

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後6-9 イエスはどこに再臨されるか

2017-05-26 01:54:42 | 原理講論 後編6 再 臨 論

9. イエスはどこに再臨されるか

第三節 イエスはどこに再臨されるか

イエスが霊体をもって再臨されるのでなく、地上から肉身をもった人間として、誕生されるとするならば

彼は神が予定されたところの、そしてある選ばれた民族の内に誕生されるはずである

それでは予定されたその場所とはいったいどこなのであろうか

(一)イエスはユダヤ民族の内に再臨されるか

黙示録七章4節に、イエスが再臨されるとき、イスラエルの子孫のあらゆる部族の中から、一番先に救いの印を押される者が、十四万四千人であると記録されているみ言

また弟子たちがイスラエルの町々を回り終わらないうちに人の子が来るであろう(マタイ一〇・23)と言われたみ言

そしてまたイエスのみ言を聞いている人々の中で、人の子がその王権をもってこられるのを、生き残って見る者がいる
(マタイ一六・28)

と言われたみ言などを根拠として

イエスがユダヤ民族の内に再臨されるのだと信じている信徒たちが随分多い

しかしそれらはみな、神の根本摂理を知らないために、そのように考えるのである

マタイ福音書二一章33節から43節によると

イエスはぶどう園の主人と農夫およびその息子と僕の例えをもって、自分を殺害する民族には再臨されないばかりでなく

その民族にゆだねた遺業までも奪いとって、彼の再臨のために実を結ぶ他の国と民族にそれを与えると、明らかに言われたのである

この比喩において、主人は神を、ぶどう園は神の遺業を、また農夫はこの遺業をゆだねられたイスラエルの選民を、そして僕は預言者を、主人の息子はイエスを、その実を結ぶ異邦人は、再臨されるイエスを迎えて神のみ旨を成就することができる他のある国の民を、各々意味するのである

それではイエスは、なぜイスラエルの子孫たちに再臨されると言われたのであろうか

この問題を解明するために、まず我々は、イスラエルとは何を意味するものかということについて調べてみることにしよう

イスラエルという名は、ヤコブが「実体献祭」のためのアベルの立場を確立するために、ヤボク河で天使と闘い、それに打ち勝つことによって

「勝利した」

という意味をもって天から与えられた名であった
(創三二・28)

ヤコブはこのように、アベルの立場を確立したのち、「実体献祭」に成功することによって、「メシヤのための家庭的な基台」を造成したのである

したがって、この基台の上で、その目的を継承した子孫たちをイスラエル選民というのである

ここでイスラエル選民というのは、信仰をもって勝利した民族を意味するものであり、ヤコブの血統的な子孫であるからといって、彼らのすべてをいうのではない

それゆえに洗礼ヨハネは、ユダヤ人たちに

「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな

おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ」
(マタイ三・9)

と言ったのである

のみならずパウロは

「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない

かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである」
(ロマ二・28、29)

と言い、また

「イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではな」

いと証言したのであった
(ロマ九・6)

このみ言はつまり、神のみ旨のために生きもしないで、ただアブラハムの血統的な子孫であるという事実のみをもって、選民であるとうぬぼれているユダヤ人たちを、叱責したみ言であったのである

それゆえに、ヤコブの子孫たちがモーセを中心として、エジプト人と戦いながらその地を出発したときには、イスラエル選民であったが

彼らが荒野で神に反逆したときには、もう既にイスラエルではなかったのである

したがって、神は彼らをみな荒野で滅ぼしてしまわれ、モーセに従ったその子孫たちだけをイスラエル選民として立て、カナンに入るようにされたのであった

そしてまた、その後のユダヤ民族はすべてがカナンの地に入った者の子孫たちであったが、そのうち神に背いた十部族からなる北朝イスラエルは、もはやイスラエル選民ではなかったので、滅ぼしてしまわれ

神のみ旨に従った二部族からなる南朝ユダだけがイスラエル選民となって、イエスを迎えるようになったのである

しかし、そのユダヤ人たちも、イエスを十字架に引き渡したことによって、イスラエル選民の資格を完全に失ってしまった

そこでパウロは、彼らに対して先に挙げたようなみ言をもって、選民というものの意義を明らかにしたのである

それでは、イエスが十字架で亡くなられてからのちのイスラエル選民は、いったいだれなのであろうか

それは、とりもなおさず、アブラハムの信仰を受け継ぎ、その子孫が完遂できなかったみ旨を継承してきた、キリスト教信徒たちなのである

ゆえにロマ書一一章11節に

「彼ら(ユダヤ人たち)の罪過によって、救が異邦人に及び、それによってイスラエルを奮起させるためである」

と言って、神の復帰摂理の中心が、イスラエル民族から異邦人に移されてしまったことを明らかにしているのである
(使徒一三・46)

したがって、「再臨されるメシヤのための基台」を造成しなければならないイスラエル選民とは、アブラハムの血統的な子孫をいうのではなく

あくまでもアブラハムの信仰を継承したキリスト教信徒たちをいうのだということが分かるのである

原理講論 後編6 再 臨 論-9



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自分を愛するのと同じように隣人を愛し

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人格育成のための聖書を学ぶ順番
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<十戒 ダイジェスト>旧約

❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない
❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない
❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
❹ 安息日を守ってこれを聖とせよ
❺ あなたの父と母とを敬え
❻ あなたは殺してはならない
❼ あなたは姦淫してはならない
❽ あなたは盗んではならない
❾ あなたは隣人について偽証してはならない
➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない、またすべて隣人のものを ほしがってはならない

詳細は申命記5章で
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<イエス様の答え>新約

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より

よく言っておく

天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである

マタイによる福音書 5章より

<良心宣言>成約完成

良心は両親に勝る
良心は先生に勝る
良心は神様に勝る

神様と人の為に生きる人生は、神様が約束された栄光への道

統一教会の混乱克服の為の基本的な理解
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