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「1Q84」第二巻読了(ネタバレあり) その2

2009-08-30 | Japan 日常生活の冒険
言葉の塔の人々はみな話した
「男の言葉を女の言葉に
近づけることを考えなければならない」

(西脇順三郎「第三の神話」)
【赤い糸】

第一巻(BOOK 1)の終わりで、青豆のいる世界は天吾の描く小説世界ではないか?
と感じたことは第一巻読了後に書いたが、第二巻(BOOK 2)を読み出すと、青豆のいる世界と天吾のいる世界の両方に共通するものが、空に浮かぶ二つの月だけでなく、ヤナーチェクやチェーホフや樺太など、ここまで小説中に予め伏線の張ってあったものが新たにいくつか見つかり、小説の「入れ子構造」をなおも確信した。1984年時点で、ヤナーチェクとチェーホフを日常的に話題にする29歳がいったいどのくらいいたのだろう。

しかしながら第二巻を中間以降まで読み進むと、天吾のいる世界にも二つの月があり、残念ではあるが青豆のいる世界は彼の創造したものではないことが明らかになる。但し、彼が「レシヴァ=受け入れるもの」として、「パシヴァ=知覚するもの」ふかえりと協働して小説を描く行為が、青豆の運命を変える可能性があることは巻末で仄めかされていて、次巻に続く新しい伏線になっている。

そうして、ともに30歳直前の「独身者」で親しい友人はおらず家族とも没交渉の二人が、千葉県市川市(「海辺のカフカ」の美容師の出身地も市川だった)の小学校で出会って以来、よく言う「赤い糸」のようなもので「互いに強く引き寄せ合っている」ことが提示される。その赤い糸によって、青豆は天吾のいるパラレルワールド「1Q84」の世界に引き寄せられたのだ。首都高速道路三号線の非常階段を降りたことで。

前にも指摘したが、村上春樹は、パラレルワールドを描く荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」を読んではいないか。お互いを引き寄せる設定も「スタンド」そのもの、本を書き換えることで過去を変える能力は、岸辺露伴の「ヘブンズ・ドアー」を想起させる)

男女間の「赤い糸」のロマンスについては、未婚男性から聞かされることがよくある。彼らは心のどこかで、赤い糸で繋がった女性が運命的に現れることを期待して、自ら行動ほ起こさずに待っているようなのだ。気持ち悪いことこの上ない。(未婚女性にしても、男性より遥かに打算的には思えるが、恋愛については「いつか王子様が」路線であったりすることがあり、それはそれは気持ち悪い)。「1Q84」という小説は、未婚男性の「赤い糸」信仰を擽ることで彼らの支持を得て「赤い糸」信仰を正当化することで心理的側面から日本の晩婚化・少子化を助長することになるかもしれない(中国語に翻訳されることで中国の人口対策に寄与できるかもしれない。ひいては国力を奪う最終兵器になるのかも)。

【三人称純愛小説】

今回「一人っ子」村上春樹が珍しくも三人称小説を描いたので、特に女性主人公・青豆の描き方が気になっていた。従来の一人称小説では男性主人公の視点で女性を描くので、女性(の本質)がうまく描けていなくても、それは(作家ではなく)男性主人公が女性(の本質)を知らないという設定と捉えられるので却ってリアルにも感じられ違和感がなかったが、今回は違う。村上春樹の描くクールな殺し屋・青豆さんが、セックスでストレス発散する割りに純愛路線の「赤い糸」信仰者であることは、彼女がどこか未婚男性の描く都合のいいキャラクターのようにも感じられて、終始違和感を覚えた。つまりは「1Q84」という小説は「ノルウェイの森」同様に「100%純愛小説」なのだろう。複雑な設定が目晦ましになっているが、第三巻以降、基本は「愛は世界を救う」路線と割り切ったほうがいいのかもしれない。

【バレバレ】

それから第一巻を読んでいるうちから既にバレバレだった、殺し屋・青豆の標的たる「さきがけ」のリーダー=ふかえりの父親という事実も第二巻中盤で明らかにされる。

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4 コメント

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私も・・・ (しのち)
2009-08-31 00:38:31
私も本日、第二巻(BOOK 2)を読み終えました!

熱狂的な村上春樹ファンではないのですが、やっぱベストセラーだしと思い、読みました。

後半になるといつもの村上春樹らしく、台詞(会話?)の語数も長くなり、読むのに躊躇する部分がありましたが、ナンダカンダで短時間で2巻とも読んじゃいました。


感想を言うのがちょっと難しいですが、

「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」

という言葉が妙に頭に残ってしまって・・・


結局、続きが気になります。
禅問答みたい (tomotubby)
2009-09-01 23:44:19
うわ。偶然ですね。この小説読んでる間に、いろいろ面白い本が出て浮気をしていたので結果的にすっかり遅読となりました。でも深読みできたかもしれません。


「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということ」という言葉はまるで禅問答のようですね。劣等生に対する教師の屁理屈みたいでもあるような...


さっき村上春樹のインタビュー記事を見つけたんですが、第三巻のことについて
「2巻は9月で終わる。続編を期待する声も上がるが。」と聞かれて、
「どうなんだろう。この後どうするかということは、ゆっくり考えて行きたい。」とオトボケの答で、なんか村上さん俗物になったような気がします。
ふむ (ふる)
2009-09-12 19:46:26
「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということ」

「妊娠しなくてはわからないということは、妊娠してもわからないということ」

「解脱しなくてはわからないということは、解脱してもわからないということ」

(つづく)
わたしも引用したりする (tomotubby)
2009-09-13 05:17:18
何度か読もうとしたのですが、最後まで読めずに放っておいた「海辺のカフカ」を再び読み返しているのですが、上巻の190ページに「不完全なものの」についての魅力が書かれています。

「僕にも詳しい説明はできない。でもひとつだけ言えることがある。それはある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引き付ける--少なくともある種の人間の心を強く引き付ける、ということだ。たとえば君は漱石の『坑夫』に引きつけられる。『こころ』や『三四郎』のような完成された作品にない吸引力がそこにはあるからだ。君はその作品を見つける。べつの言いかたをすれば、その作品は君をみつける。シューベルトのニ長調のソナタもそれと同じなんだ。そこにはその作品にしかできない心の糸の引っ張りかたがある」

この部分は「1Q84」という小説世界のことを示しているのかもしれない。と思いました。

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