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「古代中国の虚像と実像」

2010-01-14 | Asia 「圓」な旅
年末に買って少しずつ読んでいた落合淳思・著「古代中国の虚像と実像」を読了。漢文の授業で習った故事成語の謂われの多くは作り話で、受験のときにお世話になった山川出版社の「世界史用語集」にも最新の研究・調査が反映されていない箇所が多々見つかることを知った。

例えば、中国古代王朝の殷の最後の王である紂王は、ローマ帝国のネロ帝とも並ぶ暴君として悪政を敷いたことで悪名高いが、これは「酒池肉林」という成句のイメージに拠るところが大きいように思われる。「酒池肉林」については、もともと戦国時代の「韓非子」の中に「紂は肉圃を為り、炮烙を設け、糟丘に登り、酒池に臨み、紂遂に以て亡ぶ」、つまり度を過ぎた贅沢がたたって紂王は殷を滅亡に導いたことが書かれている。この部分を前漢の司馬遷が「史記」に引いて尾鰭がつけられる。さらに後代になって「封神演義」などの講談で取り上げられることで、悪役としての紂王は世に知れ渡ることになる。

ところが最近の調査で紂王の時代の甲骨文字が見つかり、これを解読することで紂王の詳しい政治日程が判明した。王のスケジュールには祭祀と狩猟と軍事訓練がぎっしりと埋められていて、「酒池肉林」に呆けている暇などは無かったことが判ったのである。また別の甲骨文字から殷が滅んだ原因も王の「酒池肉林」に因るのではなく、「盂」という勢力が起こした反乱の影響が大きかったことが判った。

結局のところ「酒池肉林」の伝説は、後を襲った周王朝が自身を正当化するために、先の王朝を貶めるべく捏造したものだった。「歴史」とは敗者の真実が伝えられるものではなく、勝者に都合よく作られたものというのが結論である。荊軻の「傍若無人」、陳勝の「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」、項羽の「四面楚歌」など、いずれも暗殺者、敗死する貧農反乱者、自害する敗軍の将で、彼らの言葉や、詳細なる最期の有様が一国の史書に記されることもありえないということだ。

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1 コメント

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Unknown (sunday)
2010-01-16 22:38:12
故事成語のいわれって、そう言われてみれば
すごく不自然ですね!
勉強になりました^^
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