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李氏朝鮮時代の妓生・黄真尹

2006-11-13 | 好韓嫌韓・厭鮮
韓国ドラマでブームの李氏朝鮮時代の妓生・黄真尹について少し調べてみました。

まず「妓生(キーセン)」についてですが、少し誤解をしていました。

李能和・著「朝鮮解語花史」(1927年)なる文献によると、李氏朝鮮時代に風俗営業に就いていた女性たちは「蝎甫(カルボ)」という名で括られるそうです。蠍蝎の蝎の文字からもどのような扱いを受けていたのかが伺い知れます。この「蝎甫」は、いわゆる広義の意味であり、日本語でいうと「遊女」に該当するようで、文献では以下のように分類されています。

一牌妓生(妓女、狭義の妓生)
二牌妓生(殷勤者、隠勤子)
三牌妓生(搭仰謀利)
花娘遊女・女社堂牌・色酒家
下へ行くほど「売娼」の色合いが強くなるようです。「妓生」は等級別に、一牌、二牌、三牌と分類されています。一牌妓生が教養を持ち合わせ、宮中に出入りして上層階級の前で歌舞音曲を披露し「売唄不売淫」をモットーとしていたのに対して、二牌妓生は政丞や判書の家に出入りし、ときには夜砥までを行い、三牌妓生は専ら一般庶民を相手にした地方娼妓でした。このように同じ妓生でも一牌と三牌の実態はまったく異なっています。ただ「妓生」という言葉が一牌妓生だけを指す場合も多いため、あらぬ誤解を招いているようです。

なお、李氏朝鮮時代には通じて一牌妓生の中に医術と宴会を担当した「薬房妓生」がおかれていました。これはチャングムの時代に存在していた医女と妓生の区別がつかなくなったことを意味しています。彼女たちは、衣服や内宮関係の仕事を担当した「尚房妓生」とともに気位が高かったそうです。

韓流ブームより以前は、「妓生パーティー」メインの買春ツアー(売春ツアー)が、韓国の国策として日本観光客誘致、円貨獲得に重要な役割を果たしてきたそうですが、歌舞音曲を忘れた「妓生」はかつての一牌妓生とは程遠く、これが原因で韓国でも日本でも「妓生」とは売春と関連づけられた卑しい女性として考えるようになったらしいです。また、狭義の「蝎甫(カルボ)」という言葉は、広義の「妓生」と対比して、下位の「売春婦」を意味することも多く、このあたりがさらに話をややこしくしているようです。


絶世の美女、黄真尹は紛れもない「一牌妓生」で、両班階級の下級官吏の父と、その妾である常民の母との間に、1502年「松都」開城に生まれています。後に、あること(これについては 1986年 張美姫と安聖基が主演した映画「黄眞尹」で詳しく描かれています。輝国山人の韓国映画という尊敬すべきサイトに出ています。少しルーイス・ブニュエル的脚色が入っているのかな。黄真尹自身は、安聖基演じる男の素性を知らなかったというのが本当のようです)がきっかけとなり自ら志願して妓生の世界に入り(オンエア中の河智媛・主演のドラマとはかなり違っています)、両班階級と交わることで優れた漢詩を残して「詩聖」とまで呼ばれていました。


映画「黄眞尹」(1986年)の張美姫 面白いことに彼女は、20年後に映画で同役を演じる宋慧喬と、親子役でCMを演じているらしい。

李氏朝鮮の儒教社会における女性が、跡取りの男子を産む道具として扱われ、多くの束縛の中、家庭の外の世界との交流を禁じられたのに対して、一牌妓生黄真尹は、束縛から逃れたいわば自由人で、その自由奔放な生活から芸術性の高い詩が奇跡的に生まれたのでしょう。彼女の漢詩「奉別蘇判書世譲、送別蘇陽谷」が崔基鎬・著「韓国 堕落の2000年史」(凄い題名)という本に紹介されていましたので引用してみます。蘇世譲(陽谷は号)という判書(大臣)は、常日頃「女色に惑わされるようでは男とはいえない」と豪語していたのですが、黄真尹と30日限定で暮らすことにしたそうです。30日目に蘇世譲が帰り支度をしていたときに、黄真尹が詠んだのがこの詩で、彼はこれを聞いて「俺は人に非ず」と嘆き、服を脱ぎ捨て、黄真尹と褥を共にしたといいます。この話を聞くと、黄真尹って二牌妓生みたいに大胆じゃん。と思えてきます。

奉別蘇判書世譲、送別蘇陽谷

月下梧桐尽
霜中野菊黄
棲高天一尺
人酔酒千觴
流水如琴冷
梅花入笛香
明朝相別後
情興碧波長


映画「黄眞尹」(1986年)

韓国ではハングル一辺倒の教育が祟り、漢字の読み書きが十分にできない(日本でいうと小学校低学年で習う漢字くらいしか知らない。大韓民国の韓の字すら書けない)人たちが殆どになっているようです。黄真尹の遺した漢詩にしても、ハングルに訳されたものを読むだけで、最初からハングルで書かれたものと誤解している人たちが多くいるようです。もはや詩の本当に意味するところを理解できないでいるのではないかと危惧します。実際、李氏朝鮮期の文学で漢文からハングルへの翻訳ではなくハングルで書かれたものは、有名な「洪吉童傳」など数えるほどしかないのです。

最近の竹島や歴史認識の問題にしても、真実を解明できるのは漢文や漢字混じりの文献になるわけですから、漢字を読めない人たちを相手に正論でいくら議論をしても、劣等感を裏返しにした感情論を呼び起こすだけで、虚しい限りです。最後は愚痴になったかも。
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