Silenceのほとりで散歩 by ともすけ

山アリ谷アリのアフガニスタン赴任を終え2014からモーリタニアにて毎日こつこつ脳内改革作業中…

このブログについて(最新記事はこの後に表示されています)

2099年10月13日 | ブログ案内&連絡事項

2014年秋ブログ人よりGooに引っ越してまいりました
一記事一カテゴリー設定への対応、画像のサイズ訂正、閉鎖したHP関連記事の整理など、まだまだのんびり訂正が入ります…

Webの雑踏の中にころがるこのブログをご訪問いただきありがとうございます。私は1998年から、デヴィッド・ボウイ/David Bowie氏(ボウイさん)のインタビューや歌詞の訳「こっそり訳詞集」を中心としたHP(We Are Strangers When We Meet)を運営していました。

HPを立ち上げた90年代終わりから10年でネット文化にもネットの利用者にも劇的な発展と変化がありました。著作権や肖像権のことをもっと気を遣わなくてはならないこと、自分の書いたコトで不快に感じる人もいること、また知らないところで批判されうることも覚悟しなくてはならないことも知りました。

これらの流れにスマートに対応できる自信が持てず、転職&海外赴任をきっかけにHPは2007年11月に内容を縮小、2015年2月OCN PageON終了とともに閉鎖しました。一方、HPの更新連絡用であったブログは継続し、趣味や生活、そしてボウイさん含む人々から受けた刺激や感動などなどを投稿し続けています。

2013年のボウイさんの10年ぶりの新アルバム発売に合わせて、「The Next Day」の全曲の解釈と感想を投稿してみました。HP運営を通じ、多くのボウイファンとの素敵な出会いがあったことを思い出し、以降、少しづつ2007年までに行った多量の歌詞訳と解釈を見直して投稿し始めました。ちょっと年をとった私にどんな新発見ができるのかわくわくしながら…。

そして、2016年…ボウイさんはこの世から去ってしまいました。寂しさに打ち勝つ道を見つけるためにも、最後のアルバム「★」の解釈をさせていただきました。ボウイの足取りは止まり、もう遥か先を走り続けてはいないのですから、自分の力でしっかり立って「こっそり訳詞集」をじっくり復活・完成させていきたいと思います(アルバムごとにカテゴリー分けしています。左の柱のカテゴリー欄からご覧ください)。

ボウイさんの存在に改めて感謝。これからも、どこに行っても、ボウイさんの作品とそして遠藤先生の「死海のほとり」は私の栄養です (ともすけ 2017年6月最終訂正)

ご連絡、ご感想はコメント欄か☆こちらまで。

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☆フランス語学習こぼれ話~その9 ~ディスれないdis☆

2017年06月12日 | (40代からの…) フランス語学習

4ヶ月ぶりの投稿となります。

前回の投稿で軽く燃え尽きてしまった感があり(物凄くエネルギーを必要としました)、今まで頭の中で書いては消しを繰り返している書きたい内容はたくさんあるのですが、実際にタイプする気持ちになるまで時間がかかってしまいました。

その間に…五輪前年のフィギュアスケートシーズンも終わり(いやホント男子シングルは驚きの技術革新のシーズン)、もう来月から五輪シーズンが始まろうとしていますし、マリやモーリタニアの地方出張も数回、そしてウィーンに研修出張しした時には忘れずスケートもしてきました…。

このところの社会情勢にも、驚いたり、ココロ痛めたり、だからこそ今の大問題に立ち向かう側を助ける仕事に従事できていることへの感謝、1月の演奏会のを終えた後の思いや発見、そして世に言うアラフィフィをもうすぐ迎える気持ちなどなども含めて、6月末のラマダン明けのお祭りころにかけ、投稿したいと思います。

さて、今回はずっと思っていた小ネタです。

その7の英語脳で仏語に苦労する話の続きでもあります。

(日本語でも「ディスる」なんて言葉が日常的に使われているようですが…)私はやっぱり仏語より先に英語を勉強したので「dis」で始まる単語には「否定的」なイメージを反射的に抱いてしまします。

これにホント被害を受けまくっている単語が主に2つあります。まずは、ホント毎日何度も使う

「disponible」=英語で「available」 : モノが利用可能だ、人の予定が空いているという形容詞

です。明日の10時に会議をしたいけれど、君の予定は空いているのか、と聞かれたら

「Oui, je serai disponible.」=英語「Yes, I will be available.」(はい、空いています。)

今、会議室は空いてるかと聞かれたら、

「Oui, la salle de réunion est disponible.」=英語「Yes, the conference room is available.」(はい、空いています。)

と答えたりするのですが、意味は分かりつつ「なんだか肯定しているのに否定しているようなもやもや感」がいつも残ります

そして、2つめはホント極めつけ

「dispositif」(ディスポジティフ)

です。この単語は「dis」+「positive」みたいで正にポジティヴの反対=ネガティヴ(否定的)にしか聞こえないし見えないのですが、意味は=英語の「device, mechanism」=機器、機能やシステムという名詞で日常よく使われます。

例「Le dispositif de sécurité de la maison a été amélioré.」=英語「The security system of the house was improved.」(その家のセキュリティシステムは強化された。)

同じチームのフランス人氏、モーリタニア人さん、スイス人君に一生懸命この「もやもやする思い」を説明してみたところ、「そういわれれば!」と解って貰えました~

でも「Distribution」(配布)とかは英語でも仏語でも否定的じゃないよね?といつもよく気のつくスイス人君。これは皆にとって「そういわれれば!」でした

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人生は「灯台」を目指す孤独な航海か「糸」を探して織る反物づくりか…

2017年02月07日 | 世良公則さん&人生反物づくり

なんだか、怪しげな長いタイトルがついておりますが、前回の投稿の続きです。やっと「人生反物づくり」について、投稿してみようと思います。

ほぼ1月一杯頂いた日本への帰省休暇中、無事、大学時代所属した混声合唱団の35周年記念OBOG合同ステージへ参加できた他、ボウイさん大回顧展「David Bowie is...」へ行き、映画「沈黙サイレンス」を鑑賞し、長年のボウイファン仲間さん、現職場の東京事務所に着任したカブール時代の同僚、NGO時代の仲間、モーリタニアで知り合った日本人の方…等々と再会し…ほぼやるべきことを完遂しました。

おかげで、こちらでもうしばらく頑張る気持ちをしっかり整えられたと思います。

「合同ステージ」「David Bowie is...」「沈黙」にまつわる特別な出来事や思いについては、別途個別に投稿できればと思っています。

ボウイさんの死はもう一年以上前のできごとですが、その「見事すぎる死に様」に対する「見事な生き方の鏡」としての感慨と「見事すぎて現実と思えない」不気味さがまだまだ心の奥でくるくる生々しくとぐろを巻いております。

繰り返しになりますが、彼の死から暫くは、多くの方が語るように「目標としていた灯台の火が消えた」ように寂しくて、不安で、自分はこんなにも弱くて、彼の存在に依存していたのか、と愕然としました。

しかしながら、社会人とのひとりとして待ってはくれない仕事もありますし、自分の人生はまだまだ続きますし、どうやってこの寂しさ、足元の不安を解消するか、早急に見つけなくてはなりませんでした。しかし、ボウイさんの音楽を聴いても、ほかの音楽を聴いてもどこか物足りなさが募るだけで、足に力が湧いてきませんでした。

人生の糧・師匠=人生の岐路や危機に力をもらったり救われたりする特別な存在の死は本当にやっかいです。特にその人が「残したもの」と同じくらいかそれ以上その人物の「挑戦や生き様」が重要な場合、その人の「前へ前へ進むエネルギー」の消滅である「死」はもっと大きなダメージを生じます。それをどう乗り越えれば良いのか…

前回の投稿で触れたように、まず一つ目の方法として、やってもらっていたことを少しでも自分ですることを試すことにしました。私の場合であれば、「自分で音楽をやる」です。これは実際かなりの効果がありました!この件については、演奏会の感想の投稿でしっかり書いてみたいと思います。

二つ目の足元を固める方法として試していることは…「海の孤独な航海」から「地上での織物作業」へ、人生観を変えてみることです。この方法について、投稿することに慎重になってしまっているのは、大ヒントをいただいたミュージシャン(世良公則さん)ご自身や長年のファンの方に「それ曲解」と怒られないかという不安があるからです。しかしながら、この「人生は反物づくり」の考えは私にとっても、最近「灯台」を失った皆さんにとってヒントになるのではと思いますし、本当に汎用性があってとても頼りになる視点だと思いますので、思い切って新カテゴリーも作って投稿してしまいます。

あるきかっけがあって、(昔からミュージシャンとしても役者としても素晴らしいとは思っていましたが…ここ最近までボウイさんのような追及はしていませんでした)世良さんの活動を遡って調べていると、世良さんが陶芸を始めたここ5年位前以降のインタビュー中に、「人生は自分という反物づくり」という言葉を何度か拝見しました。

この言葉が正に引き金となって、ボウイさんの死を「灯台の火が消えた」と捉えている自分は、人生を「孤独な航海(しかも夜!)」と無意識のうちに捉えていた自分に気がつくことができました。

確かにボウイさんは(旧公式サイトボウイネットでの自己のハンドルネームが「Sailor」だったことからも判るとおり)人生をそのように捉えてい節がありますし、多くのファン、特に多方面のアーティストとなった方が「変わり者だった自分に、そのままでいい、変わりものでいい」という勇気を与えてくれた」と語っているように、孤高な戦いをする社会の中の黒い羊達の灯台としての役割を実際に果たしてきたのだと思います。

私も日本社会の期待する普通の生き方からすっかりはぐれた羊ではあるのですが、もう長年続けてきた今、そろそろそんな色の違う羊であることに自信をもって、職人的な人生観に切り替えてみてはどうか?そう考え始めました。

地上の職人は灯台が消えようと関係ない。でも、自分の理想の織り物を作って行くため、悩んで、好奇心を持って、旅をして、いろんな人と合って、素敵な材料を集めて行く必要があります。

ボウイさんという存在も、この視点で見ると、多方面の材料を自分の感覚の赴くままに集めて紡いで、とんでもない急な変化に富んだ反物を織り続けて、最後まで怖い程きっちりした品質の反物で衣装をこしらえた人だ、とも捉えることができると思います。

そして、その織物はまた多々のアーティストやファンの人生反物づくりのインスピレーション、材料となったし、これからもなり続けるのか、という見方も生まれてきます。

私自身にこの視点をあてはめてみますと、この28年間、ボウイさんの作品と生き方は「自分で見つけた」もっとも重要な自分の人生反物の材料だったと言えると思います。そして、これからもそれらは重要な材料であり続けると思います。

地上に上がって!しっかりと地に足をつけて、視野を広く、新しい素敵な材料を見過ごさず、そして自分の「身から出る材料」も大切にして織り物を続けよう、そして少しでも他の皆さんの材料にもなろう、と日々考えるようにしてみると、足ものと不安は、海の上から地上に上がったからでしょうか、徐々に減ってきたように思います。もうしばらく、この視点を糧に進んで行ってみたいと思います。

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さて、ちょっと蛇足ですが、世良さんの映像作品の中で、「Acoustic Works」というとても素晴らしいトリオ(世良さん=ボーカル&ギター、神本宗幸さん=ピアノ、エリック・ゴーフェン(Eric Gorfain)さん=バイオリン)の2005年頃のライブDVDがあるのですが、先日2月2日に東京公演をもって終了した、ボウイさん生誕70周年「Celebrating David Bowie」ツアーにこのエリックさんが弦楽隊のリーダーとして参加していることにちょっと前に気がつきました。参考、東京公演のサイトです→ http://celebratingdavidbowie.jp/

それからというもの、「東京公演の大成功」の他に「エリックさんと世良さんは再会を果たせるのか」が気になって仕方がなくなってしまいました。

前者は、感想を読んでいると(ゲイルさんの体調不良による不参加は残念でしたが)ミュージシャンの思いの伝わってくる公演だったようで、すぐ心配は消えてしまいました。

しかし、後者の方は両者のインスタグラムを覗いていても、エリックさんの方はなんだか思わせぶりな東京の街中のちょっとアート?な写真を載せつづけているし、世良さんの方はここ数年の夢、MY窯作りに勤しんでいるようだし…ホント地球の果から「このまますれ違うのか」と勝手にハラハラしてしまおりました…が、結局、昨日、世良さんの方に、実に暖かい雰囲気で鍋パーティをする姿が投稿されていました。よかった

このことは、「合同ステージ」についての投稿で(楽曲のテーマでもあるので)もっと触れたいと思いますが、地理的に離れてしまった旧友との関係では、離れてしまった方は、大切な思い出に力をもらいながら離れた場所で奮闘するため、思い出をくれた相手に会うことにエネルギーを費やす気持ちが弱くなりがちのような気がします。でも、反対に残された(残っている)方は心配で会いたい気持ちが募る気がします。だからこそ、遠い距離で思い合う同士が実際に会うには強い思いとエネルギーとタイミングが必要で結構大変な事なんだと思います。

なので、↑の思い合う気持ちと再会の喜びが溢れる写真からはとてもポジティブなエネルギーを感じますし、気持ちが高揚しました!私も帰省する度、いつも心を寄せてくれている旧友と会って話をしなければなぁとまた改めて思いました…。

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※バイオリンにEricさん

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※プロデューサーにEricさんと世良さん

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☆合唱~超久しぶりの舞台へ…立てますように…

2016年10月31日 | 合唱&うたうこと

このカテゴリーへ何と7年ぶりの投稿であります。

ほぼ10年前の2006年後半、大学時代に所属した混声合唱団の第25回定期演奏会のOBOG合同ステージに参加にしたことを何度か投稿していますが、それから10年、第35回定期演奏会の合同ステージに参加する予定です!

8月ころから楽譜や練習用音源を送っていただいて、週末にコツコツ練習しています。日本で合同練習があったときは、指揮者の方のコメントやその時の演奏の録音も共有していただけているので、ホントありがたいです。

演奏するのは30回記念の合同ステージの企画で初演した組曲(作詞者が卒団生だったりします)の再演です。曲についてはネタバレにならないよう、もうしばらく後で投稿したいと思います。

こちらの上司には、欧州人の同僚がクリスマス休暇から帰ってきた後、帰省休暇を長めにいただけるよう許可を早めにいただいております☆最後の追込み練習で、他のメンバーの声と空気に溶け込んだうえで1月21日、一回きりのの本番に立てるよう最善を尽くしたいと思います。

合唱団として舞台で歌うのは(9年前に関連投稿がありますが)、母校が他の大学の外国語学部として合併される際のさようなら企画演奏会に参加し、消えゆく学歌を歌った時以来です。「平和を築くツールとしての言葉・語学」を讃えた歌でしたしたので、今振り返ると、参加できて本当に良かったと思います。

その後は、散歩中、作業中、運転中、シャワーやお風呂中に過去歌った合唱曲とかミュージカル曲とか…ハタから聞けばかなり怪しい感じで歌っていただけなので、ちょっと無謀かな…とは思ったのですが…。

もちろん、1月には他の重要なイベント「David Bowie is…」が東京で始まったり、映画「沈黙」が日本で公開になったり、東京事務所に転勤になったカブール事務所での同僚に会いに行く予定があったり、しますが…。多分、それらがなかったとしても、参加を決めたかなと思います。

第30回定期演奏会を聴きに行ったときから素敵な曲と思っていたので、歌える機会を頂けるなら是非!と思ったことがまず第一の理由です。練習しながらさらに、所謂「世界の果て」で生きることを選び続けている私や残してきた家族や友人達の思いとさらに強くリンクする曲達であることを発見しました。40代半ばになった私にとってちょっとくすぐったい歌詞もあるのですが、歌いたい気持ちをさらに強く高めつつコツコツ練習していきたいと思います。

理由その2はボウイさんの死後の「自分の立て直し」作業に深く関係しています。

合唱の盛んな地域だったこともあり、中学では3年間、高校でも1年時にはクラス対抗の合唱コンクールがありました。中学1年生の時、パート分けで地声低い自分がソプラノだったりする発見はかなり驚きでした…。大学で混声合唱団に入り、ボイトレで驚く程変わる自分の声に驚いた20歳のころ今でもついつい歌う名曲にいくつも出会いました。そして周りの声と(ソロ歌手と対極の個性を殺す作業が必要)伴奏のピアノと合わせてひとつになる瞬間の快感。辞書の上で寝ちゃうことしばしばな、なかなか辛い学業の合間に何ヶ月も練習しても本番は一度きり。しかもお客様は歌う合唱組曲なんて知らないことも多い…ホント今思うと刹那主義、一期一会の世界だったなぁと思います。

ボウイさんの死から10ヶ月経った今も、彼の作品やパフォーマンスはもちろんずっと私の心の大切な位置で息づいて力をくれていますが、少し光が鈍っています。「ラザルス」に関する投稿でも触れたように、その理由は、ボウイさんの作品やパフォーマンスの大きな魅力の一つは、現在進行形で挑戦し続けていた彼の存在が、それらを刻々と過去のものとしていくことによって、何とも言えぬ儚さをもって躍動させ、輝やかせていたことにあったからだと思います。

それが、21日に発表された3曲を含むボウイさんの音楽を聴いても過去に動かし続ける存在のない、愛しくも凍りついた世界での響きに聴こえるという、なんだか魂レベルで寂しさにとらわれてしまっている理由なのだと個人的に思うに至っています。

これを解消するには?

他の躍動する好きなアーティストをもっと応援し置き換える?これももちろんかなり効果がありました。

でも、依存してしまっていた偉大な灯台の火が消えた今、自分で自分の灯台守となり燃料を入手し、光をともさないといけない。他の灯台の光に頼るのもひとつの手だけれど、それでは残りの人生、また同じ問題を騙して抱えて行くだけです。もっと簡単に言うと、他人から元気をもらうのでは限界がある。他人からの元気を助けにするのは良いですが、最終的には、自分が自分の元気の素にならないと根本的解決にならないです。

この10ヶ月、仕事面では、自分が今どうしてここにいて、今何をすべきか、将来どう進むのか、何度か見つめ直しました。大丈夫、同僚や関係者の皆さんに助けられつつ、自分で光を守り見失うことなく、進んでいくことができそうです。

ただ、仕事では埋められない魂の部分が、なんだかふわふわしたままで、なんだか頼りがないままでした。

そんなとき、35回記念演奏会への参加のお誘いのメールがやってきました。あ!これだ!歌だ!と思いました。

終わったとたんに過去となる、刹那的な、一期一会の時間を目指して、練習し、新旧の仲間と表現する。それをボウイさん等の他のアーティスト任せでなく、自分でやってみる。そのことで、私の中のボウイさんの過去の作品も、私の過去の歌の思い出も、ボウイさんに影響を受けた人生の思い出も、自分の中で過去へと走り動く躍動感を復活させることができ、あらたに息と光を蘇らせてあげることができる、そんな気がします。

期待するような充足感は得られるかどうか、わからないけれど、今は魂レベルでワクワクし、気持ちも安定しています(仕事に向かう気持ちもさらに安定しているような気がします)。ボウイさんの曲も他のアーティストの曲もちょっとキラめいて聞こえます。

このまま挫折しませんように…頑張ります。

さて、やっと次の投稿で、この人生を「航海」とし「灯台」と「灯台の燃料」が必要という考えの大きな盲点に気づかせ、さらにしっかり立ち直るきっかけをくれた、人生は「反物作り」だ!という職人気質の日本人ロックアーティストさんの名言について投稿したいと思います。

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スコセッシ監督「最後の誘惑」撮影中に「沈黙(Silence)」と出会う...?!

2016年10月23日 | 映画「沈黙-Silence-」&遠藤周作

スコセッシ監督の、10月18日に行われた第28回高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式への出席に合わせて、10月19日、「沈黙」の主要日本人キャストである窪塚洋介さん(キチジロー役)、浅野忠信さん(通詞役)出席のもと監督の来日記念記者会見が行われました。

関係記事があちこちのニュースサイトに載っていて、日本公開日が1月21日であること、そして、この記者会見で15分間、映画からの場面が公開されたことを知りました。

一時は危ぶまれた作品の完成、公開まで本当にあとちょっとなのですね。もう、後は作品の内容に関する期待と不安のドキドキをさらに高めつつ待つだけです。

さて、スコセッシ監督がもうかれこれ20年以上前から「沈黙」の映画化を目指していたことは、今まで何度となく見聞きしていました。

しかしながら、今回の記者会見で言及されたその具体的な出会いの時期には「え、ホント?!」と思いました。今まで私が見逃していただけかもしれませんが…出会いは28年前の「最後の誘惑(The Last Temptation of Christ)」撮影中とのこと…。

ムビッチ内の記者会見全文です。

こちらのCT(クリスチャン トゥデイ)の記事にはもう少し詳しい内容も(↑の合同記者会見全文には載っていないので他のソースからの情報か全文書き起こしから漏れたのか…)

「ニューヨークにあるエピスコパル教会のポールムーア大司教から原作を手渡されたのが全ての始まりだった。読み終えたとき、『この作品は精神世界を追求する上で非常に大事な材料になるだろう」』とすぐに感じた」

読み終えたのは、「夢」出演中で、1-2年後ということなので、ほんの少し…かもしれないですが、救世主となる覚悟を固め選択する前の、人間イエス・キリストの迷いを描いた問題作「最後の誘惑」を作り上げる過程に、「沈黙」が力添えをしたかもしれないと思うと、少し胸が熱くなります(妄想かもしれないですが)。

今まで何度も触れていますが、ご存知のとおり、この「最後の誘惑」の映画には、(そうでなくても好きな映画になったと思うし、「パッション」という題名で発売されているピーターガブリエルによるサウンドトラックも大好きですが…)、ボウイさんが、たった1シーンですが、とても印象的に人間としての深みを感じるピラト総督を演じています。

遠藤先生の作品で私が一番好きな「死海のほとり」でも、ピラト総督目線の一節があって、政略上しぶしぶイエスを死刑にせざるを得なくなった彼と、醜くい姿で負けるることにより、忘れられない存在となる運命を語るイエスとの会話はとても印象的です。また、過去に置いてきたはずの実の母親の最後の姿とそんなイエスの姿を重ねる様子も描かれていたと思います(今本が手元にないので要確認です…次回帰省時にもう一度読んで、そしてこちらに連れてきたいと思います)。

「死海のほとり」は知っている限りでは英語等に翻訳されていないのですよね…このスコセッシ版映画公開が、まだされていない名作の翻訳を促し、さらに多くのみなさんに深く遠藤先生の作品世界や考えに触れていただける機会となればいいのだけれど…と思ったりもしています。

最後の誘惑 [DVD]
ウィレム・デフォー,ハーヴェイ・カイテル,ヴァーナ・ブルーム,バーバラ・ハーシー
ジェネオン・ユニバーサル

 

死海のほとり (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社

 

パッション-最後の誘惑
EMIミュージック・ジャパン

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