明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(179)1号機ベント「失敗」を論じる(後藤政志さん談)

2011年07月01日 21時30分00秒 | 明日に向けて7月1~31日
守田です。(20110701 21:30)

6月24日に東電より発表された、「ベント失敗」の報に対して、同日、
後藤政志さんが会見を行いました。非常に重要な内容ですので、
ノートテークしました。あらかじめ解説を加えて、ご紹介します。

まず大前提として押さえておくべきこと、後藤さんがこれまで繰り返
し指摘していることになりますが、それは、そもそもベント「失敗」
という言い方には、本来、成功すべきものが失敗したと言うニュアンス
が含まれていて、あやまりだということです。ちゃんと行うべきベント
に失敗したということになるわけですが、ここがおかしい。

なぜならそもそもベントとは、放射能の最後の防波堤であるはずの
格納容器に穴をあけ、容器を守るために放射能を放出するため
のものであり、言わば格納容器が自分を守るために、任務を放棄
するものでしかないからです。

だから設計士の方たちは、ベントのことを「格納容器の自殺行為」
と言っているそうですし、そもそも後藤さんの先輩の渡辺さんが設計
に携わった頃にはついてなかったのがこのベントなのです。

その意味で、格納容器設計上の安全思想からは許されざるもの
であり、「あり得ないけれど一応つけておく」という非常にあいまい
なものとして後から付け加えられていること。それが「過酷事故対
策」なのであって、その点で、バルブがきちんと開けば成功で良か
ったということではなく、これを使わざるをえなくなった時点で、設計
思想は破産していること、原子炉の安全性は崩壊し、プラントとし
てはもう存続が許されなくなっていることが押さえられなければな
らないわけです。

マスコミはほとんどがこの点を理解しておらず、そのため、ベント
「失敗」はけしからん、きちんとベントを「成功」させるべきだったと
いう論調になっています。確かにベントせざるをえない状態にあり、
そうなった以上は行わざるをえなかったわけですが、しかしベント
をする状態に追い込まれたこと事態が誤りであることが踏まえら
れなければなりません。


第二に、ベント「失敗」というと、ベントはあらかじめしっかり作られ
た安全装置か何かのようであり、きちんと動いて当然かのようなイ
メージで捉えられてしまいますが、そもそもこれが過酷事故(シビア
アクシデント)対策でつけられているということの意味が、おさえられ
ていない。

過酷事故とは、設計上の想定を超えた事故のことであり、もう設計
思想的に安全が確保できなくなった段階のもののことです。いかに
安全を守るのかという想定が崩壊してしまっているわけです。だか
らそもそもはあってはならないことなのです。

そのため、そもそもあってはならない⇒そもそもあることはほとんど
ない⇒ほとんどありえない事象⇒そのために行っておくのが過酷事
故対策となってしまっており、それほど厳密でなくていいいとなってし
まっているのが実情なのです。

だから普通の安全系の場合は、何かの要因で壊れることを想定し、
その場合のバックアップが必ず考えられており、それがプラント設計
上の安全思想となっているわけですが、過酷事故対策は、こうした設
計上の想定を超えるもので、ほとんどありえないから、とりあえず形
だけつけておけばいいというような発想になっている。

このため単一故障基準といって、Aが壊れたらこうする、Bが壊れた
らこうすると、それぞれのケースごとにバックアップを設けている安全
設計の考え方が取られておらず、1つが壊れたらもう打つ手がない状
態になっている。そもそも過酷事故は、想定外で起こっているわけで、
そのときにはいろいろなことが起こるのが当然なために、すぐに行き
詰ってしまうのが実態なのです。

その点で、今回、ベントのためのバルブが開けられなかったというの
は、壊れてしまうとバックアップがなくて、すぐにお手上げになってしま
う過酷事故対策の実態を象徴するものとしてあったと言えます。そも
そもこうしたあまりに頼りない、脆弱なものとして、おざなりに付け加え
られてきたのが、過酷事故対策の実態なのです。

それからするならば、他のプラントも同じようなことが起こりうる。同じ
ようなというのは、まったく同一の現象がおきるという意味ではなく、1
つ壊れてしまえばバックアップがない状態だけに、どこもかしこもすぐ
にダメになってしまう可能性が高いということです。

そのため、過酷事故対策をするというのであれば、もはやあり得ない
ことではなく、実際にありえたことなのだから、ほとんど起きることはな
いなどという発想を捨て、実際に起こりえること、起こりえて、対策中に
故障もまた発生しうるのであり、そのときのバックアップが講じられなけ
ればならないことになるわけです。

以上の点をポイントとして押さえたうえで、後藤さんのお話の書き起こし
をお読みください。例によって、これは守田がかく聞いたというもので
あることにご注意をお願いします。


********************

1号機のベント「失敗」について
後藤政志さん談 2011年6月24日 
http://www.ustream.tv/recorded/15584058

後藤です。
今日、1号機の格納容器ベント失敗という報道が仰々しくなされた。
ベントが成功したと言っていたけれど、実際は未確認だった。
実際には何があったのかということと、私の見解を話したい。

ベントは圧力抑制室に、シビアアクシデント対策としてつけられた
ラインからなされるはずだった。バルブがMO弁というものが排気
筒にむけたところにあり、手動で開いたが、25%しか開かなかった
と言われている。

この弁を開くには、途中に大型と小型のAO弁が並列であり、大型
を開けるためには、仮説の空気圧縮機があり、これで操作する。そ
れで、ベントをするためには、AO弁のどちらかと、MO弁が開か
ないといけない。

MO弁は9時15分ごろ一部開いた。9時半ごろ、小型のAO弁を手動
で開けようとするが、高線量で現場に辿りつけなかった。再度、10
時17~24分に中央制御室から開けようとしたが、開いたことが確認
できなかった。

それで午後2時ごろに、大型のAO弁をあけるために、空気圧縮機
を作動させた。そうすると、9時から初めて2時ごろまでずっと作業
を行って、それで開けたと証言してきた。

格納容器の圧力で言うと、750キロパスカルまであがって、そこから
だんだん落ちてきた。それで2時50分に500キロパスカル以上になっ
ている。設計気圧は430キロなのでそれより上で、しかもベントした
と言っているこのあとに再度、上昇している。

ということはベントできてないのではないかと言うことだ。それで
政府のIAEAへの報告書で成功したのは、詭弁であってけしからんと
いうことが毎日新聞などにも書いてある。

ベントが遅れたのが何が問題かと言うと、格納容器ベントと言うの
は、本来、ベントしてはいけないものをベントするのだが、それで
も圧力があがって格納容器が破裂したらたまらないので、ベントす
るということある。その意味ではこんなに長い時間、ベントできな
いことも問題だ。その意味で、毎日新聞でも、東工大の先生が、格
納容器のベントが時間がかかったことが問題だと主張していて、私
もそれはそう思う。

しかしここには考えてみたいことがある。この状態は、放射性物質
の線量率がどう変化したかを見ていくと、ベントが成功したと言わ
れているときの空間線量は、後に大きく出て来るときに比べると、
けして大きくはない。それでやはりベントができてないと言える。
ただ、これについて、ベントがうまくいったかいかなかったかとか、
手順がうまくなかったとか、遅れたとか、それは事実として認めた
上で、本質的にはそういうことではないだろうということを指摘し
たい。

この格納容器ベントが失敗するということは、格納容器が破裂して
しまうかもしれない、極めて危機的な状況だ。それにもかかわらず、
MO弁を操作するのに、電気がいってないので手で開けようとして
完全には開けられなかった。

AO弁の小さい方をバルブを手で開けようとしたけれども高線量下
で開けられなかった。そのために大型の方を開けようとしたという
ことをやっている。

MO弁とAO弁と二つが開かなければベントはできない。設計する
側から見るとどうみるかというと、MO弁を開くのに失敗したら終
わり、AO弁の二つのうちのどちらかを開くのに失敗したら終わり
ということだ。

これは原子力における単一故障基準にかなっておらず、一つの操作
ができなかったらバックアップをするものがなくて、ある操作がで
きなかったらもうおしまいというシステムになっている。それは原
子力の安全系では考えられない考え方だ。

なぜこうなるかというと、これは過酷事故対策であって、本来、原
子力で設定している設計思想は入っていない。単についているだけ
だ。過酷事故対策というのはそういうものであって、だから私は過
酷事故対策に頼っても無理だと言ってきた。これが一番いい例だ。
今回、私はこのようなことがあっても全然驚かなかった。こういう
ものだと思っていたからだ。トラブルがあったときに操作できない
のは当たり前。そのときにどうするかということを踏まえて、初め
て原子力の安全設計というのは議論になるのだ。

なので、発表の仕方が遅れたのがいけないというのはその通りだし、
政府が成功したと言っているのは間違いだというのもその通りだ。
しかし私が一番気になるのは、そういうこともありうるシステムな
のだから、これからどう考えたらいいのかということだ。

現有のプラントもこれと同じ状態でしかない。事故が起こったら同
じ状態になる。信頼性はない。そういう設計思想で、現状がそうな
っていることが私は一番気になっている。

今回の事故原因は何だったのか。なぜこうなってしまったか。原子
炉の水位が落ちて、なぜ格納容器の圧力が2倍にもなってしまったの
か。この間、田中三彦さんが説明してくれたように、どこかの配管
やどこかの系が破れてでてきたのではないか。私も格納容器のどこ
かの機能が喪失してこうなったのではないかと推測している。その
ことが非常に大切だ。

同時にこのような状態になった時の対策としてある耐圧ベントなる
ものが、こういうものなのだ。過酷事故には全て言えることだが、
電源がなかったから電源車を持ってきた。つなごうと思ったけれど
つなげなかった。そもそも電源車そのものが渋滞でなかなかつかな
かった。

水もそうだ。水を確保しようとしたけれども水源がなくなってしま
って海水を入れるしかなくなってしまった。水をどこからいれるか。
通常の系はないので、これも過酷事故対策として消化系から入れる
という形を前から考えていたが、その容量も極めて小さいものだ。

しかもそこに水のラインをつける作業は、放射線の高いとことでの
作業になるから決死の作業だ。そういう中で極めて難しい作業、本
当にうまくいくかどうか分からない作業を重ねながら、ここまで来
ているように見える。

そうすると今回の事故全体から見るときに、過酷事故対策があるか
らいいなどと言うのは、前から言っているように間違っている。と
いうのが一番ここで気になっていることだ。

考え方として、今後もう少しきちんと話したいが、耐震基準と安全
設計審査指針の見直しが必要だ。安全委員会も当然考えると言って
いるが、どのレベルで考えるのか。私はそれを非常に気にしている。
安全設計、あるいは耐震設計の審査指針の根底を見直さないと、同
じことになる。

例えばある1つのことがあるからそれに対応するというのでは、全
然、成立しない。これもまたきちんと話さなくてはならないが、過
酷事故のシーケンスとはものすごくいっぱいある。いろいろなモー
ドがある。

例えば私が思い出すだけでも、最初ボンと核反応の制御に失敗する
と核暴走する。核暴走しなくても、例えば圧力容器が高圧で破損す
ると一気に全部、ふっとんでしまう。格納容器もふっとんでしまう。

あるいはそこまでいかなくても、炉心溶融になって、メルトダウン
して、例えば溶融物が出てきて、それが下に落下するときにプール
があって、水蒸気爆発を起すとか。

そう見ていくと、爆発を起こすシーケンスはいっぱいある。水素も
爆発を起こすので危ないから今回も窒素封入している。そして現在
のようになっていて、格納容器の中では水素爆発は起こってないけ
れども、外で水素爆発が起こった。

いずれにしても、爆発的な現象が起こりうるものなのだ、原子力と
いうものは。だから恐ろしい。エネルギーが大きいからだ。それで
その可能性は少ないと言う。私もそんなに可能性が高いとは言わな
い。しかし起こる可能性がある。起こったらおしまいなのだ。だか
ら確実に防がなければいけない。ところが過酷事故対策とは、どれ
一つとっても確実ではない。可能性を下げるだけで、それは非常に
恐ろしいことだ。

なので、まず耐震設計に関して言うならば、入力地震度が、実態と
してあるものを上回らないようにしなければならないというのが鉄
則だ。それと同時に故障が起こった時の対策が、万全にバックアッ
プされなければならない。今回のように多重故障があるのだったら
それに対しても対策がなければいけない。今回のような信頼性のな
い対策では対策になっていない。

例えばこのベントの流れに単一故障基準を設定すると、このMO弁
が開かなかったときのために、管を2本にしてもう1個バルブをつ
ける。そうすると事故で開かない可能性は確率的には半分になる。
だけれども確実とは言えない。では3つにするかという議論になる。

AO弁は2つつけていた。でも2つでもうまくいかなかった。そうす
ると、操作方法とか、電源とかいろいろ考えて、ここがこうダメだ
ったたらこうするとか、この場合にはこうするとか、全部の対策が
必要で、それが安全設計の発想だ。普通のプラントの中のシステム
はそのように設計している。それが徹底的に適用されるべきだ。

ところが過酷事故対策とは、そうした設計思想を踏襲しなくていい
となっているのが考え方なのだ。だからそれは単なる場当たり的な、
信頼性のない設計対策でしかない。それが私が一番気になるところ
だ。

さらに水素爆発が起こったことが、これとの関係で触れられている
が、やはり格納容器の圧力が2倍になってから時間とともに下がって
いったことを考えるときに、圧力がどこからか漏れている可能性が
高い。圧力でフランジが押し上げられてそこから漏れていくと、圧
力が下がるから閉じる。そういう可能性もある。それによって格納
容器がベントしなくても、水素が漏れていって、それに火がついて
爆発した可能性が高い。

なお格納容器の底から漏れたということに対しては、多分、格納容
器が爆発的に壊れるよりは、その方が可能性が高いのだが、本当に
そうかどうかは保証の限りではない。ばらつくのだ。例えばフラン
ジの部分が頑張って、先に漏れると思ったら漏れなくて、圧力が上
がって構造的な部分が破壊されたら、爆発するわけだ。

それは結果としてここから漏れたというだけであって、何の保証も
ない。可能性が高いというだけだ。なので格納容器が爆発してしま
うことがありうる。そういう意味で、この事故をどう考えるかとい
うときに、いろいろな手立てをして、こんなひどいことになるのは
確率が低くて、多分、こうなるだろうということで手当をしている。

それが確率論的安全評価というが、確率論をベースにした考えが、
設計に一部入ってきていて、それが一番、いけない。やはり単一故
障基準といって、あるシステムのどこかが壊れる、それに対しては
こう対応すると、少なくともそれぐらいまでは過酷事故対策をしな
ければいけない。

まとめると、過酷事故対策にも、単一故障基準を適用しなさいとい
うのが1点。もう1つは、単一故障基準では本体のシステムについて
は甘い。もっと深くやるべきだというのが私の見解だ。そこまでや
らないと、今より安全になったとは言えないとういのが、私がずっ
と考えている安全設計の考え方だ。

ぜひ安全委員会で過酷事故対策について考えるときは、今回は非常
にまずかったと斑目委員長も言っているわけだから、それも含めて
検討していただきたいといことを期待している。ベントのことから
話して、話が大きくなったが、これを見ていて考えたことというこ
とで話をさせていただいた。

・・・単一故障基準と多重故障について考えるべきだということか。

単一故障基準というのは、ある安全系が働いているときにAという
系がダメになったらそれに対策がある、Bという系がダメになった
らそれに対策がある、Cという系がダメになったらそれに対策があ
るということ。安全系のある系を動かすために、一つ一つ仮想的に
壊していく。それでも大丈夫なように設計する。これが単一故障基
準の考え方だ。

この場合は、同時に2つ以上の多重故障を考えてない。だから単一
故障基準だけではダメだというのが1点。それともう1つは過酷事
故対策は単一故障基準すら適用されていない。こんなことは起こり
えないとなっていたから、そうなっているのだ。それでいいとして
いた。

しかし今回の地震で、こういうことは起こりうることが分かったの
だから、当然、こういうことは起こりうると考えなくてはいけない。
ではこの系をしっかりと作って、格納容器ベントができれば安全か
というと、そんなことはありえない。

格納容器をベントしなければならないということ自身が、安全設計
上、間違いだ。格納容器はベントしてはいけない。ベントなしの格
納容器にしていただきたい。それが私の考えで、安全設計というも
のだ。小手先の話としてベントのことがあって、本当の意味での安
全設計思想から言ったら、ベントすること自身が間違っている。こ
れは前からお話してきたことだ。

以上
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