明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1316)環境倫理学から原発を捉え返す(沖縄大会での発言より―1)

2016年11月11日 23時30分00秒 | 明日に向けて(130...

守田です。(20161111 23:00)

10月21日~25日の沖縄訪問に続き、27日京都府京田辺市、28日兵庫県姫路市と講演して29日に東京で「福島原発行動隊」のシンポジウムに参加してきました。
さらにその翌週は11月3日に京都市内で第3回放射性廃棄物問題学習研究会を行い、4日に京都府綾部市で、5日に福井県小浜市と若狭町で講演してきました。
いつも事前に案内をこの場に載せるようにしているのですが、今回、3日から5日の行動について事前にお知らせできませんでした。申し訳ありません。

6日に京都市に戻り、マクロビアンの橋本宙八さんの学習会にも出てから帰宅しましたが、その後、風邪になってしまいました。疲れの重なりを感じて今週はゆるゆると過ごしました。
そのためまた長い間、ブログ更新を怠ってしまいました。申し訳ないです。
この間にアメリカ大統領選でのトランプ候補のまさかの勝利があるなど、世界が激動しており、論じねばならないこと、論じたいことがたくさん生じていますが、焦ることなくコツコツと配信を続けていきたいと思います。よろしくお願いします。

今回は沖縄大会の報告の続きを行います。
「原発と地球人、地球環境の生存権」というタイトルで第5分科会で行った発言を文字起こしします。普段はあまり触れてない内容です。ぜひお読み下さい。

*****

日本環境会議沖縄大会 第五分科会
2016年10月23日

「原発と地球人、地球環境の生存権」

みなさん。こんにちは。守田です。
今回は「原発と地球人、地球環境の生存権」というタイトルをいただきましたので、これに沿ってお話します。
まずこのタイトルからすぐに連想されるのが「環境倫理学」ではないかと思いますので、1990年代にこの学問を精力的に日本に紹介された加藤尚武さんの著書からその定義をお借りしたいと思います。

Ⅰ 自然の生存権の問題
人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない。
Ⅱ 世代間倫理の問題
現代世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある。
Ⅲ 地球全体主義
地球の生態系は開いた宇宙ではなくて閉じた世界である。
(『環境倫理学のすすめ』加藤尚武1991 pⅵ)

三番目はだから地球のどこを汚染したとしても、地球全体にダメージが広がってしまうことが問題になるわけですが、原発はこの3つの定義にもっとも抵触する許しがたいテクノロジーですよね。
今日はこのことをお話したいと思います。

まずは最初の「自然の生存権」についてですが、「生物の種、生態系、景観などにも生存権を認める」とはどういうことなのでしょうか。
このことを知るためには私たちはそもそも「権利」に対する考え方が歴史の中で繰り返し更新されてきていることを知る必要があります。
加藤さんの本の中にアメリカの環境倫理学者、R・Fナッシュの『自然の権利』“The right of nature”という本からひっぱってきた「権利拡張の年表」という図がのっています。
一番下に「自然権」と書かれてあり、その上に権利が拡大されてきた順番に沿って並べられています。
「英国貴族 マグナカルタ(1215)」「アメリカ入植者 独立宣言(1776)」「奴隷 解放宣言(1863)」「婦人 憲法改正13条(1920)」「アメリカ原住民 インディアン市民権法(1924)」「労働者 公正労働基準法(1938)」「黒人 公民権法(1957)」
これはアメリカでのことですが、このように権利が拡大されてきて、その図の一番上に「自然 絶滅危険種保護法(1973)」が載せられています。

どういう法律なのかというと、絶滅のおそれのある種およびその依存する生態系の保全を目的としたものとされているのですが、これがアメリカ国内だけでなく世界に対しても説得力を持ってきました。実は私たちも結構使っています。
こうした権利の拡大のもとでの自然の権利の確立に向けた流れを促進している方がおられます。ピーター・シンガーというオーストラリア人で、アメリカのプリンストン大学の教授をされています。主著に『動物の解放』があります。
どんな方なのかというと、1980年に壱岐の無人島で、漁民たちがイルカを「魚を食いあらす海のギャング」と考えて大量に捕獲し、「駆除」したことに対して、グリーンピースの活動家が待ったをかけたことがありました。
漁民の立場も踏まえた上でイルカを殺さずにすむ方法をいろいろと考えたそうですが、着地点が見出せないままに殺処分が始まってしまい、思いつめて小舟で海に出て網を破ってイルカを逃がし、逮捕されてしまいました。
ピータ―・シンガーはこのとき、オーストラリアからはるばる日本まで駆けつけて被告を弁護するための裁判の証人となりました。

このピーター・シンガーが原則にしているのが「喜び・苦痛原則」です。功利主義ですね。
日本ではこれは「快楽・苦痛原則」と訳されているのですけれども、日本語の「快楽」にはもともと否定的なイメージがあるので僕はこれでは思想性をきちんと伝えていないと考えて「喜び・苦痛原則」と言うことにしています。

実は「動物の解放」を近世のヨーロッパで最初に言ったのは、功利主義思想の祖であるジェレミー・ベンサムなのですね。
どういう理由なのかと言うと「人が喜ぶことを増やして、痛いこと、苦痛を減らすのが社会的正義である」というのが功利主義の原則です。
「では動物を見てみろ。明らかに感情を持っていて、喜んだり悲しんだりしているではないか。だから動物は虐待してはならないのだ」というのがもともとベンサムが唱えた内容です。
この考え方に割と忠実に論陣を張っているのがピータ―・シンガーです。

この考え方がさまざまな動物愛護団体にシェアされていて動物実験反対の訴えなどに使われています。
今回は「JAVA NPO法人動物実験の廃止を求める会」のHPから実験にかけられているウサギたちの悲惨な写真をお借りしてきました。
化粧品の刺激性の検査のために、ウサギがあたまだけ出る容器に拘束されていて、目に試験薬がたらされるのです。目がただれている写真がありますが、「こんな残酷なことが倫理的に許されてはいけない」と主張されています。僕もまったくそう思います。
「こんなことをされないために動物の権利を認めるべきだ」と動物実験に反対する方々は述べています。

さてこうした自然の権利を法文化した「絶滅危険種保護法」ですが、これを先ほど、私たちも使っているといいました。
その一つがジュゴンを守るキャンペーンです。この法律は米軍が基地を作る際にも適用されるのです。だから私たちにはジュゴンを守るべきだと言う主張を法的に行える根拠があるわけです。
さてここまでは動物の中でも哺乳類の権利になるのですが、私たちの社会の中で、こうした権利、あるいは権利を認めるべきだという考えがどんどん拡大しています。
この点で、昨日の全体会で実に感動的な報告がなされました。アキノ隊員(日本鱗翅学会会員 宮城秋乃さん)の報告です。
チョウをはじめさまざまな貴重種が高江に生息していることを教えていただきました。同時にノグチゲラが営巣している木の上をオスプレイが飛び交っているシーンを彼女は見せてくれました。
轟音を立てて森の上を飛ぶビデオを何本も見せながらノグチゲラが「ここにいます」「ここにいます」と何度も示して下さったことがとても印象的でした。
僕も見ていて胸が痛みましたが、これは実はどんどん自然権が私たちの常識の中で拡大していることを意味してもいるのです。

その場合、チョウは感情があるかどうか分かりません。実は僕はチョウにも感情があるのではないかと思っていて、最近、その兆候を示す研究が出てきたので興味深く見ているのですが、しかしそれはまだ完全に論証されたわけではありません。
それでも貴重種をもっと大事にしていこう、人間だけではなくて自然そのものの尊厳を人間が守っていかなければならないんだという考え方が広がっているわけです。
結局それは、自然を霊魂と切り離してきてしまった近代思想の捉え返しにあたると思います。
例えば日本では古来から大樹に畏敬の念をもっていて、しめ縄をはったりしてきました。これは近代では「「アミニズム」と分類されるものです。
そういう太古の思想に戻ろうというのではないのですが、しかし私たちの周りを取り巻く自然に、それがあることによって私たちが存在できることへの感謝というか、そんな思いを取り戻していこうというムーブメントがこの中にあります。

近代社会はあまりに単純に人間だけに霊魂を認め、人間以外のすべてのものを霊魂の宿らない、自由に加工できる対象と捉えすぎてしまいました。
そのために残酷な動物事件が行われたり、かつては信仰の対象でもあった森林の無残な伐採などもなされてきました。
その考え方を捉え返して、自然の生態系を人間の責任として守っていこうという発想が、私たちが大きな歴史の流れの中で到達してきているものだと思います。

ところがこうした発想にまったく逆行するのが原発です。
いまでも福島第一原発では、高濃度の放射能を含む汚染水が1日に何100トンも海に注がれ続けているわけですよね。
とんでもないことです。どれだけの海の中の生物が被曝しているか分からない状態です。
東電が発表してきたことによると、もともとこの地域には山側から1日1000トンの地下水が流れているそうなのです。それが原子炉の下部に侵入してまざってしまい、300トンだか400トンだか海に出て行ってしまう状態が長いこと続いてきた。
ちなみにこんな数、嘘ですよ!きちんと測ったら例えば992.5トンとか、もっとリアルな数字になるはずです。1000トンというのは「だいたいこれぐらい」というざっくりとした数です。
ようするに正確には分かってないのですよ。何が起こっているか。

ただ明らかなことは、今も高濃度の汚染水が次々と海に注ぎ込まれているという事実です。
本当に、生物にとって、人類にとって恐ろしいことが続いています。これはもう「放射能テロ」だと思います。
僕は「テロ」という言葉は好きではないので、普段はあまり使いません。しかしこんなときには使うのはふさわしいようにも思います。
とにかく生命に対する恐ろしい迫害がずっと続いているのです。これをいかに止めるのかということが私たち全体にとっての課題です。

続く

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