僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(5/2)4月26日は良い日であった。

2014年05月02日 18時41分47秒 | 日常、仕事、認知症
私の休日はあまり充実していない。
今日なんて
いつもの時刻辺りに目が覚め
二度寝して5時前に起きて夫の朝食準備。
ゴミ出しをしてから久しぶりにブログを書いて
そのまま眠ってしまった。
お昼過ぎに目が覚めても
まだ身体がだるい。
そうこうしているうちに夕食の買い物を。
遅いお昼を食べて(午後3時半)、これから風呂に入って
夕食準備、就寝という流れ。
寝てばかりの休日。
掃除、していないね。
夫は明日から9連休。
その間、家事をやってもらいたい。
私は連休こそ忙しい仕事なので
3・4・5日はもう忙しさが目に見えている。
6日は休みをもらう。
9日、10日も休みなのでその辺りに
夫と被災地の食巡りにでかけようと思う。




先月の26日に
羽生君のパレードのために
Iさんと会った。
この日を、良い日でありますようにと書いて出かけたのだが

総じて良い日であった。

久しぶりのIさん。
街の真ん中にある大きな公園で待ち合わせ。
そこから
目的のランチのホテルは近いし
その通りがちょうどパレードをする所なので
あまり動くことなく歩き回れた。
そのホテルの7階ではパレードが見えるので、窓際などを見学の提供をしていた。
でも私たちは、生の姿を見たいので
ランチを食べたら出ようと決めていた。

久しぶりのピザランチを食べて
そのあと
いっしょに働いていたマネージャーの異動先に訪問。
かつてはよく3人で会社の裏で一服の休憩をしていた。
そして、彼は
私たち2人で、こっちに来てまたいっしょに働こうよ、みたいなことを言っていた。
いやいや、
私とIさんはいっしょの職場になると、お互い切れてしまうので
職場を離れたこの関係が最も良い。
彼女は今は、朝早くの仕事は無理、今の職場の方が家から近いし
2時起きはつらい、と言っている。

そしてメインのパレード見学。
9万2000人の観衆とのこと。
羽生君は
車上で、決めポーズを何回もやってくれて
(私たちは彼の車の行く方向へいっしょに流れていく。ほとんどの人がそう)
たくさんの観衆に何度もお辞儀をして手を振ってくれた。
Iさんは、声がガラガラになったとのこと。
私は頭上でデジカメのシャッターを押して、そのうちの数枚をここに載せる。
その楽しかった余韻と喉の渇きを潤すために
いつものカフェに入ろうとなった。
しかしこの人の多さである。
これからどこもいっぱいになるのがわかる。
そこに向かう途中、ふとレトロな感じの喫茶店を見つけた。
ドアが開いていて中を覗ける。
客は2組。
女性の店員さんに
「煙草、OK?」と聞くと
「はい、どうぞ」と返事。
最近は禁煙、または分煙。
私たちの目指していた所は分煙(貴重な所なんだ)。
ここは全面OKの所。
私の会社のすぐ傍。
ここなら、ちょっととりとめない考えごとをするときなど
私はすぐに入れる。



ここです。

漫画とかフィギアとかCDが並んでおり
壁には

というレコードジャケット。
ロックもジャズもあり。
私の好みの店です。

若い時は
こういうお店を発見すると興奮していたのだが
この年になっても気分が高まるとは。

夫に
こういう店があったから今度行こうよ、なんて誘っても
夫は行かない人である。
一人で喫茶店に入る、ということのしない人。
コーヒー好きなわけでもないし、煙草も吸わない、
ロックが好きだ、といっても、家にいれば好きに聴ける、という考えの人。

Iさんも似ている。
一人だと落ち着かないんだって。
ジュース頼んで、ジューッと飲んで、煙草スパッと吸ってすぐに出る、と言う。

いつも笑い話にしているのだが
Iさんと夫の似た傾向。

先日テレビが壊れて
しばらく音のない居間。
夫は手持ち無沙汰。一階のオーディオルームで音楽を聴いてはくるけれど
二階に上がってくると静かな空間に耐えられなくて
ラジオを持ってきてつけている。
「わあ、Iさんとおんなじだ。彼女も職場にいたとき、静かな感じが耐えられなくて
ラジオ、つけていたよ。」
「ラジオは、思いがけない情報が流れるんだから、いいんだぞ。」とのこと。

その話をそのままIさんに話すと
笑いながら
「そうだよ、つけていると、どこどこで地震があったとか、病気のこととか
有意義な情報を得ることが多いんだよ。」と言う。

Iさんと夫の似ているところ。

パンは好きだが
焼きソバとかコロッケの入った調理パンは嫌いだ。
パンの邪道だ。

Iさんも、パンは大好きだけれど、コロッケパンとかは食べない。

などなど、食べ物とか習慣の、2人の共通性が出てくる。

夫は
水瓶座、O型。
Iさんは
いて座、O型。
私は
牡羊座、A型。


そんなくだらない話を
笑いながら話して
そこで別れる。

笑えるとか
人とにこやかに挨拶するとか
おいしいランチを食べたとか
世界の金メダリストが地元の人間だとか
レトロな喫茶店(カフェというのと違う)を発見したとか

ホラ
これで
良い日になった。

楽しめた1日だった。



父から電話があり
29日に実家へ。

父の車のタイヤ交換である。
夫に頼んで、交換をしてもらう。
いやなことは早くに済まそう、と夫は言うので
本格的な連休に入る前に行く。

父は
最近、弱気である。
これまで
父のポジティブな性格が顕著だったのだが
最近は
寝るのが怖い、と言っていた。
だからテレビをつけていつまでも起きているとのこと。
毎日、80歳を越えた父が
食事を作れない母のために三食作っている。
父はこだわりの人なのでその辺は完璧である。
私と夫が台所の向かい側のカウンターに座ったら
お茶を入れてくれた。
これまでそういうことのなかった父。
初めて父にお茶を出された。
母は料理ができなくなった分、後片付けや台所の拭き掃除を自然にやっていた。
「お母さんの本能だね、綺麗好きだから。」と私は言った。

母は
料理ができなくなったことを嘆いている。
「あんなにお店ではたくさん作っていたのに、どうしてこうなったんだろう。」が
口癖。
物の名称と物が結びつかない。
脳梗塞のそれ。
タイヤの交換をするときに
私は
「お母さん、軍手はどこ?」と尋ねる。
あ、軍手が何かということは
わからないか・・・、そんな質問をされると母は焦る。
わからない、ということが彼女のプライドを傷つける。
だから
彼女の持つプライドを回復させるためにも
わからないなりに
懸命にいろいろ手伝ってくれる母を褒め称える。

父は
食事準備の日々、病院通いの日々に少々鬱気味。
そんな自分を奮い立たせるために
7月に北海道に行くことにしている、それが今の楽しみだそうだ。
北海道時代の仲間に会いに行くことが楽しみなんだ。

母は
昔のことや人の名前を忘れていても
思いがけず
私の小さいときの入院時代のことを口にする。
例の
札幌のベッドスクール時代のことである。
「よく覚えているね。入院させてもらって、感謝しているよ。
小さいときは感謝ということがわからなかったけれど
今はわかるよ。」と伝える。

この日も
良い日であった。



さて
義母。
あれ以来、どうしているか。

いろいろとあったが。

まず、廊下の電灯をつけて寝ている。
これは
幻覚を見ないように部屋を明るくするように言ったことの実行。
部屋の明かりはつけないで
廊下の明かりをつけて、部屋を照らしている。

それから
炊飯器の電源も、何者かによって操作されていると
続いたことがあった。

いつものように
米をといで、スイッチを入れたら
しばらくしてピーッと鳴らして誰かが外から操作しておかしくしている、と言い始まった。
そのあと、彼女があちこち触れても、全然炊き上がらない、電源をはずして
別なところに持っていき、ようやく炊けた、と言っていた。

あるときは
メモで
「また、今日も釜を操作されました。」と置いてあった。
夫にそれを見せて
「また釜が操作されたんだってよ。なんて言ったらいいの?」と聞くと
「かまへん、かまへんって言え。」だって。
夫に笑い倒された。

隣の奥さんを台所(きったない)に呼んで
釜が操作されていることを説明しているときに私が
帰宅したこともあった。

とにかく、誰かをつかまえては
遠隔操作されていることを延々語る義母。
うちの電気釜はもう20年くらい使っているので古い。
隣の奥さんは
「あらあ、スイッチを押すボタンが少なくて単純でいいわねえ。」と言うくらいだ。

そこで
私が休みのときに
義母の釜のスイッチを入れるところに付き合ってみる。
まず、こうやってここを押してあとは絶対に触らないように、と言って
義母の動作を確認して
二階に上がった。
これで、あとは炊き上がるのを待つのみ、と思っていたら
5分後、義母が二階に上がってきて
「また、操作されたよ!またピーって鳴ったよ!」と
操作されたことを自信を持って言いに来た。

私が台所に行くと
特に変わっていなくて、炊飯のスイッチは入ったままだ。

「なんともないよ。」
「いや、だってピーッて鳴ったんだよ。」
「だから、それはスイッチが入ったピーというよりも、これから本格的に
炊飯しますよ、という途中の合図だから。」と
言っても納得しない。
「今の新しい炊飯器はどうかわからないけれど
うちのはそう。他のところのガス炊飯器でも、スイッチを入れてから10分くらい
してからピーッと鳴ってグツグツ煮立ってくるのを見ているから。これもそう。」

もう、遠隔操作されている、と固定しているので
私の
言うことを聴いてくれない。
私はそこで
もう一回電源を切って
最初から
やり直し。
そして、途中必ずピーっと鳴っても、いじるな、と厳命。
あとは40分ぐらいしたら、自然に保温になるから、と言った。

そんなこんなで義母の夕食の時間が過ぎている。
義母は4時に食べる人。
私たちは7時半前後。

そして
40分後、下に降りていくと
義母はゴハンを食べていた。
まだ保温にはなっていず、炊飯の赤いランプがついているけれど
義母は我慢できず、蒸らす時間を惜しんでほぼ炊き上がっているゴハンを食べていた。
そのうち保温ランプに変わった。

「ほら、何も触らなくても、ちゃんと炊き上がっているでしょ。」
「そうですかね。」と遠隔操作を信じて疑わない義母は納得いかない回答をする。

これまで
何でもなく、途中ピーっと音が鳴ろうが、疑問に思わず釜を扱ってきたのだが
遠隔操作のことを言い始まったことから
電気系統のものがわからなくなってきたのだと思う。
あちこちいじって、結局保温のボタンを押して、操作されて炊けていない、と
言うこともあった。
自分の動作の忘れを、いない者の遠隔操作のせいで
納得しようとしている。
いっとき、
私は義母のその妄想に付き合ったことがあった。
付き合う、というのは
義母に同調した、ということだ。
しかしそれは間違いだった。
それ見たことかと言わんばかりの饒舌ぶりだった。
だから
今回の炊飯器の遠隔操作のことも絶対ありえない、と否定した。
ネットで
認知症のことを調べていくと
「否定をしないように」とあった。
その線で行くしかないか、と思ったが
いや、義母はまだまだ現役の人間。
買い物に行けるし、お金の計算もできる、物の区別も分かる。
電気系統のことだけが昔から弱い。

夫の両親と同居したころの義母の年齢は
今の私の年齢と同じころだ。
まだまだ若い(?)ころには
「お風呂のスイッチは、お父さん(故義父)がやってくれるから、私は何もしなくて
いいの。」と言って、自慢していた。
料理をするときは必ず換気扇をつけてくれ、と言ってきたにもかかわらず
とうとうつけてくれなかった。
だから、夕方私が帰宅したときに、魚の煙が充満していたこともたびたび。
つけられるのは
コタツのスイッチ、テレビのスイッチ、部屋のスイッチのみ。
トイレの換気扇のスイッチさえつけない。
そんな長年の、電気系統のスイッチを拒絶してきた義母である。



庭のトラップが幾つか無くなっていた。
これは暖かくなってきたために庭仕事をするのが不便になったためであろう。
日中はいたって平和である。

あれ以来、炊飯器騒動は無くなった。
また、急にスイッチの押し間違いをして、遠隔操作されていると
言うことがあるだろう。
そのときも、私は
「また忘れたんでしょ、やり方が。また1からおさらい。」と言うだろう。
自分が忘れっぽくなってきた、と素直に認められないからこそ
もう一度初めからやろう、と言う事にしている。

休みのとき
義母をどこかのおいしいお店に連れていってあげよう。
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2 コメント

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Unknown (みら)
2014-05-08 18:06:44
本当は電話したかったんですが、番号がどこかへいってしまいました…。ケータイは使ってます? 番号は変わっていませんか?
さて、ちょっと実家に行ってきたので、お義母さんの認知症のことについて父に聞いてきました。放っておくと進行するけれど、きちんと対処すれば進行がおさえられるそうですよ。くわしくは、資料をもらってきたので、お届けしますね。ちょうど11日にそちらのほうへ行く用事があるので、ポストに入れておきます。

Unknown (みらさんへ)
2014-05-10 07:31:30
おはようございます。
ありがとう。
資料、読んでみます。
最近は、庭仕事をしたりして、気分が良さそう。

携帯の電話、変わっていませんよ。
ピザなど食べて、お話したい。
私の仕事帰りでもOKよ。
車はうちに置いて。
街の中の職場だし、お昼ごろには会えそう。
具体的に、期日を練りましょう。

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