僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(11/30)義母の下着類の後始末

2016年11月30日 09時32分36秒 | 日常、仕事、認知症
先ほどの義母の下着類の件。
どこにどうしまわれていたのか
大量の下着類(パンツ、ガードル、シャツ、股引、靴下などなど)を
今片付けている。
以前から
義母が物を無くしたときに私が探すのだが
その探すときに、あちこちから下着や靴下が出てきたので、
もう使わない古いものは捨てたほうがいいよ、いざ物を探すとき大変だから、と
忠告してきた。
そこで義母は捨てるものを袋に入れ始めた。
そこまではいい。
後で私が少しずつゴミに出していくから、片づけはまず彼女が。
枚数にして何百枚です。
100枚ではきかない。
そして昨日、新たに、サンルームの段ボールから出てきた。
また、庭に面した外の物置きにも、一塊があった。
ガードルの量の多いこと。
かつての義母は恰幅がよかった。
今は痩せているけれど、ガードルの量からして、それを穿いてスタイルを良く見せようとしていたのだろう。
そして、パンツも多い、多い。
使い古したものではなく、これまで買っては穿かないで取っておいたものばかり。
「これ、使っていないじゃない、穿けるでしょ。」と言っても
「これは私のじゃない。サイズが違う。」と義母。
「パンツなんて、L版、M版くらいの差しかないのだから、穿けるでしょ。」と言っても
私のじゃない、の一点張り。
それらを見て、義父の残した遺産をそれら(服も大量です。今のところそれらは捨てる気はないらしい)に使ってきたことに内心腹が立ってね。
買っては使わないで、ため込んでおく、そしてサイズが合わなくなった今、「私が買ったものではない」と捨てる。
この考えが何とも空しくてね。
まあ、それはいいでしょう、いずれはそれらも処分しなくてはならないので今のうちに処分できて。
ただ。
なぜに
庭に捨てるのか。
10日ほど前に
台所の炊飯器を置く台の下に下着発見。
「なぜ、こんなところに置くのか。捨てろー!」と私。
そしてそれを捨てた場所は
後になって庭だったことに気付く。
なんで、庭に捨てるんだ、と問うたとしても後の祭り。
「あれは私のじゃない!ガキども(妄想)がいたずらしたものだ。」と。
「あなたのやったことの後始末は私がやるのだから、こういうことは辞めてよ!ゴミ箱や袋に捨てるようにしてよ。」
聴く耳なし。
ああ、
「厭がらせの年齢。厭がらせの年齢。」(「厭がらせの年齢」とは丹羽文雄の小説)
雨に濡れたそれらを回収して、昨日新たに見つかった一塊といっしょに置いておく。
ゴミと一緒に、紙袋に入れて捨てているのだが、まだまだそこに手をつけられないほど、今玄関ホールに山積みになっている。
とにかく
今までカワイイ、綺麗と思ったものは誰にもお金の干渉を受けずに買ってきた人だから、これから予想されるその他の処分に頭悩まされる。
なお、洗濯は私がやっている。いや、洗濯機がやっている。スイッチがわからなくなってきたので、セットするまで私。
そして干すのは自分でやれ、と言ってある。
パンツも干しているが、これまで捨てた綺麗なものとサイズが変わらない。むしろ、今穿いているものが古く、それらを捨てて新しいものを
穿けばよいのに、それは拒絶である。
愛着なんて下着にはないが、せっかく買っても、捨てられる下着が可哀想だ、なんて思っていてはきりがない。そこは無心で捨てよう。

義母の昨日の名言。
「トモロッシちゃん、私は第一線から退くから。」
唐突に、作業している私にこうしていつも名言を吐く。
さも、私の反論を誘うかのように。
第一線って、何の?

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (11/30)サンルームの掃除 | トップ | (11/30)台湾の青年 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常、仕事、認知症」カテゴリの最新記事