僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(6/2)母、転院。そして急激な変化。

2017年06月02日 17時42分04秒 | 両親のこと、入院のこと
一昨日、5月31日に母は転院した。
前の病院には最大3週間までと入院当初から言われており、
その間、最期の看取りの病院を探しておく、とも。
そして当日
母には事前に転院のことを知らせてはいたが、
どれほど理解できたかわからず、表情は戸惑っていた。

車いすつきの介護タクシーに乗り、
更に南の病院に移動した。
前の病院が新しかったせいか今回の病院は
古く、騒々しいイメージだった。
一日それにかかり(多くの関係者との話など)
どっと疲れ、更に、前の病院から借りたものをそのまま持ってきてしまったので
それを返しに、地下鉄を途中で降りる。
これからまた地下鉄を利用することになるのだが
今度の病院は降りてから少々歩く。
帰り、父は車で前の病院まで送ると言ったが
現病院と地下鉄駅の距離感をつかみたいために
私は地下鉄駅を探しつつ歩いていくと言った。
洗濯物なども持っていたため、重くて疲れてしまった。
もう転院することはないだろう、しばらくここを通うのだろうと思い、
昨日は仕事後に病院に行かず、久しぶりに会社の近くのスーパーに寄って
食料を買い込んだ。
前の病院の時は、専らその町の小さなスーパーで買って帰宅していた。
その町は地震で道路や建物も随分と被害に遭ったが
古いものが残っていたり、小さな商店街が活気づいていて
結構、好きな場所になっていた。

会社に提出するレポートも書かねばならなかった。
夜は雨が降っていた。
病院通いと仕事と、義母の粗相の件とか
私の頭も身体も煮詰まっていた。
職場では耳鳴りがひどかった。
それでも
夜、雨の中、懐中電灯を照らしながら
南の庭の草取りをした。
カエルたちの足の踏み場所もないくらいに
どこから種が飛んできたのか、昨年まで生えたことのないわけのわからない雑草が
生い茂っていた。
カエルにごめんね、ごめんね、と謝りながら、
長く伸びた雑草を引っこ抜いた。
そう、母の病院通いを1日休んだ。

そして
今日、仕事が休みであるが、会社に寄り、レポート提出、自転車を置き
地下鉄に乗った。
最終地点で降りて
一昨日の道のりをおさらいしつつ病院を目指した。
これから暑くなる季節、仕事後通うんだなあ、と川沿いを歩いた。
そんなものもこれから自分の頭に焼き付けられるんだろうなあと。

父から昨日メールをもらっていた。
病室が替わった、と。
なぜかわからない。
4人部屋から個室に替わっていた。

そして。
病室に入ったとたん。
一昨日とは別人の母がそこにいた。
これが激しくショックだった。
たった1日来なかったことを後悔した。
看護助手が母に食事をさせていた。
その食べ物を口に運んでいる母の横顔が
急激に痩せこけていて
私が入っていっても、無反応になっていた。
「お母さん、私だよ、トモロッシだよ。」と言っても
全く無表情だった。
給餌を私に替わって、食べさせたが(もちろん、食が細くなっているのは前の病院にいたときと変わらない)
いつも、私の指示(口を開けて、とか飲み込んでとか、伝達がスムーズだったし、反応もよかった)に
従ってくれたのだが、全てにおいて無反応だった。
たった1日で、何が彼女を変化させたのか。
環境が変わったことに戸惑ったではあろうが、馴れていくものと思っていた。
可哀想なことをした、と思った。
いつも、入れ歯をした状態で食べ、そのあと入れ歯をはずし、口を漱ぎ、自分で爪楊枝で口の中のカスもとっていたのに。
入れ歯は外されていた。
「お母さん、いつものように入れ歯をしようか?」といつもと変わりないように声をかけたが無反応。
目が澱み、焦点も合っていないように見えた。
あれほど、会話もできていたのに、義母ともついこの間の日曜日に話し込んでいたのに、
義母には「うちの母の方が、ちゃんとトイレ行きたいって言うよ」なんて言ったばかりなのに。
「たった1日で、たった1日で・・・」という言葉が渦巻いた。
無味な病院食を拒絶して、持っていったヤクルトやヨーグルトを
「これなら味が着いていて飲める、食べられる。」って一昨日まで言っていたのに。
「また明日ね。」と手を振ってテレビを観始めていたのに。

環境を変える、ということが悪化させたのだろうか。
もしも、あのまま前の病院にいたのなら、
いつものように、会話も成り立ち、目も合わせていられたのか。

「お母さんは、2回も大きな手術を乗り越える心臓を持っているんだし、もっと頑張ってよ」なんて
言ったけれど、いつもなら「そうかあ?」と反応するのに
今日は目も私を見ていない、今にも消えそうな生命に見えた。
そしてそのまま眠りについた。
病院を後にして、会社に戻る。
そのまま自転車で帰ろうと思ったが、同僚がまだ仕事をしていたので
母の様子を伝え(誰かに話したかった)、今日の仕事のことを聞き
帰宅する。

家には
義母が薄暗い部屋にポツンといる。
彼女のことも気にかかる。
彼女の食欲だけが救いだ。

明日も仕事は休みだ。
何カ月ぶりかに、2日続けての休みだ。
当初の予定として
休日2日のうち今日病院に行き、明日は家の事(草取りなど)をしようと思っていたが
1日行かないだけでこんな状態では、明日も勿論病院に行く。
明日、母、落ち着いているだろうか。
いいよ、目の焦点が合わなくても、あの心臓で元気でいてほしい。
いっぱい話しかけるよ。
コメント (2)
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