人の存在は、歴史の縦軸とグローバルの中の横軸の一点にあるというのを、何かで読んだような気がします。
確かに、この二つの調整をするのは難しいのですが、無視をして生きるのも難しいものです。
過去に放った言葉を無視した行為をすれば、周囲の信用をなくします。
将来、予定している行為があれば、今から準備して行動しないと、やはり信用をなくすのです。
また、周囲の状況も無視できません。
大きく考えれば世界を、小さめに考えれば近所や家族という事になるのでしょうか。
周囲が行う事を、無視して独自の動きをすれば、おそらくは変人扱いを受けるでしょう。
この縦軸と横軸の調整を上手にとりながら生きている人を常識のある人と呼ぶのかもしれません。
先日、横断歩道の赤信号を皆、無視して渡っている時に私は周囲に合わせる事より、昔の日本人の行いと、仕事柄を考え車が来ていなくても信号を守る方を選びました。
縦軸、の方を選んだ訳ですが、渡って行った人達は周囲の空気を読んで横軸を選んだのかもしれません。
しかし、渡る人達を見て、少しは悩むなり迷うなりして行動する方が低俗な情報に流されないのにと思ったのです。
情報がグローバル化するなかで、横軸と縦軸の接点を見出だすのは、至難の業なのかな、とも最近のニュースを見ていて感じます。
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