STONEWALK HIROSHIMA

ストーンウォーク・ジャパン2005のその後をお知らせします。

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被爆65年に際して9・11遺族の会からのメッセージ

2010年08月17日 | Weblog
Our thoughts are with you on this eve of the sixty-fifth commemoration of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, a day of great personal and cultural loss, and forever a reminder of how acts of war destroy civilians and civilizations.
Ever looking to the future, we are privileged to be working so closely with you on peaceful pursuits. We are so grateful for your decades of dedication to the abolition of all nuclear weapons, and we are heartened by the far-reaching appeal adopted by the Mayors for Peace at the Hiroshima Conference for the Total Elimination of Nuclear Weapons in July.
May all our work always honor our lost loved ones, and all those killed or affected by violence, anywhere in the world.
In peace,
September Eleventh Families for Peaceful Tomorrows
被爆65周年の前夜、私たちは広島と長崎の被爆者の皆さまのことを想っています。多大な人的、文化的損失を引き起こしたこの日は、戦争行為がいかに一般市民と文明を破壊するかを教える証拠として永遠に残ります。

未来を見据えて、私たちは平和実現のために皆様と一緒になって働く特権を得ました。核廃絶のために何十年も続けてこられた日本の皆さまのご努力に心より感謝しています。7月に広島で開催された核兵器廃絶のための市長会議で採択された遠大な要請文に心打たれています。

私たちの働きが、私たちが失った愛する人たち、また、暴力で殺され傷ついた世界中すべての人たちの償いになりますように。

平和を願って、
平和な明日のための9・11遺族の会


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被爆65年、Stonewalk Japan5周年の朝

2010年08月06日 | Weblog
被爆65年、Stonewalk Japan5周年の前日にお花を届けました。碑石の周りの芝生は昨年よりもさらに青々としています。世界平和記念聖堂の信徒の皆様の日ごろのお手入れに感謝して。

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ストーンウォーク・ジャパン2005三周年。米国側代表のダット・ウオルシュさんからのメッセージです。

2008年08月18日 | Weblog
Dear Friends, today is Hiroshima Day in the United States and three years since Stonewalk-Japan. I am remembering all those who continue to suffer as a result of nuclear radiation and the bombing on August 6th. I received the Peace Declaration sent by Mayor Akiba and the second sentence brought me back to the peace museum and the messages of the Hibakusha. "Water please!" "Help me" "Mommy". These were the words that moved Andrea and my heart and hardened our determination to plan the pilgrimage of Stonewalk-Japan in 2005. Andrea LeBlanc and I remain close friends along with Yoko, Bruce and Jim. Although we don't see the other American Stonewalkers often we still keep the cherished memory of this time together. The Peace Abbey continues to work for peace, justice and nonviolence in a world that many times reflects a culture of violence. The young people who visit here are now waking up to the need for another way to be in the world. My role is to continue to speak and empower them on the path of nonviolence using the principles of Gandhi. I will be forever grateful to the Japanese who provided homestay, food, guidance, kindness and so much more. I send my love and my prayer for peace on this Remembrance Day. Dot Walsh

日本の友人の皆様へ
今日、アメリカでヒロシマの日を迎えると同時に、ストーンウォーク・ジャパン3周年になります。8月6日の原爆投下と核による放射能で、いまだに後遺症に苦しんでいる方々がいることを、私は忘れません。秋葉市長の平和宣言を受け取りました。第2文を読みますと、平和祈念資料館で見た「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」という被爆者のメッセージを思い起こします。これらの言葉こそ、アンドレアと私の心を動かし、ストーンウォーク・ジャパン2005の行脚を計画する決意を固めさせたのです。アンドレア・ルブランはじめ、ヨーコ、ブルース、ジムとは今でも親しい友人関係でいます。他のストーンウォークのメンバーには、あまり会う機会は無いのですが、ともに、ストーンウォーク・ジャパンの記憶を深く心に抱き続けています。ピースアビーは、暴力の文化が氾濫している世の中で、平和、正義、非暴力のために活動を続けています。ここを訪れる若者たちが、世の中で異なった生き方をする必要性に目覚めています。私の役割は、ガンジーの主張による非暴力の道筋を彼らに語り続け、彼らに生きる力を与えることだと思っています。宿泊、食料、道案内、その他数え切れないご親切をくださった日本の皆様に、末永く感謝いたします。この原爆の記憶の日に、私の愛と祈りを捧げます。
ダット・ウオルシュ

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被爆63周年に際して、9・11遺族の会のアンドレア・ルブランさんからメッセージが届きました。

2008年08月15日 | Weblog
A Letter to the Hibakusha on the 63rd Anniversary of the Bombings of Nagasaki and Hiroshima

August 6th and 9th mark the passing of 63 years since the atomic bombings of Nagasaki and Hiroshima by the United States of America. There remain many men and women in Japan, the Hibakusha, who are themselves survivors or are the subsequent generations who bear the scars of that horror, who long for peace in the world and the banning of nuclear weapons by all the world's powers. Yet still they wait.

They remember the flash of light, the heat, the screams and the burning bodies. They witnessed the agony of those who did not die instantly and the children scarred for life. Yet still they wait. The second and third generations of those exposed to the radiation are suffering from diseases resulting from genetic damage and from an inability to live normal healthy lives. They struggle to have their pain acknowledged and their needs met. Yet still they wait.
 
Many survivors are only now able to tell their stories, stories they have lived with in silence for 63 yrs. They were silent because of fear that they would be further ostracized, their livelihoods further restricted, and because the telling of their stories brings back the most painful of memories. Many survivors and those affected have been telling us the awful truth for decades and have dedicated their lives to the elimination of nuclear weapons, because they know firsthand the consequences of these weapons. They have been telling the rest of the world about the dreadful realities, the devastation of civilian populations, the agony of protracted suffering and urging people to wake up to the fact that nuclear weapons are an abomination and must be banned. Yet still they wait.
 
After September 11, 2001, among the very first messages of condolence that the families of those lost in the attacks received were from those survivors of the atom bomb. They reached out to us in our pain. Because of their own pain they understood ours. The Hibakusha have been beacons of light for us not only in their tireless determination to educate the world about the horrific affects of nuclear weapons and the pursuit of their elimination, but also in their compassionate response to others who suffer grievous injury in the name of retaliation. They lead by example and demonstrate to all of us how people who have been so terribly harmed can chose a path of compassion rather than one of hatred and revenge. Who have chosen to turn their grief into action for peace. And now, seven years later, the bond that was fostered then still unites us.
 

Yet still we wait ... and continue to work and hope for peace in a world without nuclear weapons.
 We extend to you, the Hibakusha, our heartfelt gratitude for your courage and your compassion. Please know that our thoughts are with you during these difficult anniversary days.
 September 11th Families for Peaceful Tomorrows

長崎・広島被爆63周年にあたって被爆者の方々への手紙

8月6日、9日はアメリカによって原子爆弾が広島長崎に投下されてから63周年を迎えます。今だに被爆者という多くの人たちが日本にはいます。その人々は直接の被爆者、または次世代であり、あの恐怖の傷跡に苦しみながらも世界の平和と、すべての核保有国が核兵器を廃絶することを心から願っています。しかし、まだ待っています。

彼らはあの閃光、熱、叫び声、焼け爛れた身体を今も覚えています。即死を免れて苦しむ人たち、一生傷を背負って生きる子供達を目撃しました。しかし未だそれは終わっていないのです。被爆二世、三世は遺伝子の損傷による病気にかかり通常の健康な生活が出来ずに苦しんでいます。彼らは自らの苦しみを承認させ、要求に応えてもらいたいと闘っています。しかし未だ待っています。

多くの被爆者達が今やっと自らの体験、63年間沈黙の中に抱えて生きてきた体験の話をすることができるようになったのです。語れば、更に社会的に排斥されるのではないか、暮らしがさらに制限されるのではないか、自分の体験を語ればその最も強い記憶の痛みぶり返すのではないかという恐れのために黙していたのでした。多くの被爆者(生存者)や影響を受けた人々は恐ろしい真実を何十年にもわたって私たちに語り続け、核兵器廃絶に身を捧げています。それはかれらが核兵器は何をもたらすかを身をもって知っているからです。彼らは世界の人々に、恐ろしい現実、一般市民の破壊、長期化する激しい苦痛、核兵器は嫌悪そのものであり廃絶しなければならないものであるという事実に目を開かせようと語りかけています。しかし、まだ、待たねばなりません。

 2001年の9月11日後、9.11の遺族が受け取った最初の慰めの言葉の中に原子爆弾の生存者からのものがありました。彼らは私たちの痛みに手をさしのべてくれたのでした。彼らは自身の痛みの故に私たちの痛みを理解してくれたのでした。被爆者たちは核兵器の恐ろしい影響について世界の人たちを教育しようとたゆみない決意をもっているばかりではなく、報復という名のもとに耐え難い傷に苦しむ人たちに深い思いやりの心を示しました。それが私たちの明るい指針となっています。被爆者達は自らの例で導き、非常に傷ついた私たちが憎しみや復讐の道を選ぶのではなく、思いやりの道を選ぶことが出来るのだと示してくれています。自らの悲しみを平和のための行動へと変える道を選んだ人たちです。そして今、7年が過ぎ、あの時育てられた絆が、まだ私たちを結びつけています。
しかし、まだ私たちは待たねばなりません。核兵器のない世界の平和を願って働きつづけなければなりません。
私たちは、あなた方被爆者の方々の勇気と思いやりの心にたいして、私たちの心からの感謝を申し上げます。苦しみがぶり返す祈念の日々には私たちの思いはあなた方に寄り添って居ると言うことをどうか心にとめておいて下さい。

9.11ピースフルトモローの家族
(吉田睦子 訳)

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被爆63周年の日に

2008年08月15日 | Weblog
Stonewalk Japan 2005の3周年を迎えました。1周年の除幕式に植えられた芝生は青々と育っています。

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安田純さん、碑石と再会

2006年11月26日 | Weblog

NY州在住の日本山妙法寺尼僧、安田純さんが11月25日にヒロシマを訪れ、ストーンと再会しました。彼女はこれまでに3回、ストーンウォークに参加しています。

今回の彼女の来広は、核廃絶を目指す市民団体「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」代表の、故大庭里美さんの墓参が目的でしたが、彼女のお墓は故里の益田市のお寺にあるそうで、今回は断念しました。そのかわりに、大庭さんのお二人の娘さん、一緒に活動しておられた西塔さん、橋本さんにお会いし、大庭里美さんの思い出話をしました。彼女が生きていれば、ストーンウォーク・ヒロシマに強力に関わってくださったことだろうにと思います。

世界平和記念聖堂の石碑の周りには、芝生が植えられていました。来年の春には、石は美しい緑で囲まれることでしょう。

皆さん、碑石に会いに来てください。世界中からの寄付で建てられた聖堂のガイドも事前にお願いすれば、やっていただけます。


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米国からのスライドショウの内容-広島編(3)

2006年09月06日 | Weblog

(写真説明:デオラ・ボドレーさん)

http://photo-patrone.org/StonewalkJp.swf


スライドの写真は時系列に紹介してあります。

石の長崎到着
出発式
石が進む
陸と海の光景
ストーンウォークの顔ぶれ

「デオラ-平和への歩み」について

この歌詞は、20歳の大学生であったデオラ・ボドレーさんが書きました。
彼女の死後、音楽家で教師でもあった父親のデリル・ボドレー氏が曲を付けました。
デオラは、9・11にペンシルバニアで墜落したユナイテッド航空のフライト73便の乗客でした。


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米国からのスライドショウの内容-広島編(2)

2006年09月03日 | Weblog

<ストーンウォークの目的>

戦争で殺された無名市民を慰霊する石は、原爆投下60年後に、人間の力だけで、長崎から広島まで旅をした。

ストーンウォーク・ジャパン2005 7月2日-8月6日

原爆投下60年後、長崎から広島までの375マイルの旅

20世紀には、戦争と内乱の犠牲者の80%が一般市民だった。ストーンウォークの目的は、この悲劇に注目するよう呼びかけること、また、国家や個人に対して、紛争解決と平和のために、新しい道筋を見つけるよう要請することである。


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米国からのスライドショウの内容(1)

2006年09月01日 | Weblog

 <体験記引用部分>

http://photo-patrone.org/StonewalkJp.swf

「一瞬にして地獄と化した。二度と戦争はあってはならない」
ヒナ コウソウ
美土里在住
長崎で被爆
ストーンウォークに参加

 「通りを歩いている時に、たいへん強い光を見た。閃光の瞬間に、無意識に腕で顔を覆った。体が空中に飛ぶような感じがして、意識を失った。救助された時は、髪は燃えていた。顔は風船のように膨らんでいた。なぜ、シャツが焼けて、腕の周りに垂れているのかと思ったが、それは、私の皮膚であることに直ぐ気付いた。それは地獄だった」
山岡ミチコ、広島の被爆者
1945年当時中学生だった

 「街全体が燃えていた。黒い煙が吹き上がり、大きな物が炸裂する音を聞いた。通りは、恐ろしい状態で、火が燃え盛っていた。そこら中、変なにおいがした。青緑の火の玉がまわりに漂っていた。世界のだれも、他の人は全部死んで、自分だけが生きているのではないかという、恐ろしい孤独感に取り付かれた。」
広島の被爆者
当時11

 「爆弾が広島に落ちて、炸裂した時、私達は、街全体が消えるのを見た。私は飛行記録に『ああ、我々はなんということをしたのだ』と書いた」
ロバート・ルイス機長
エノラ・ゲイの共同パイロット

 


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「ストーンウォーク・ジャパン2005」のスライドショウ

2006年09月01日 | Weblog

米国から、送られてきたスライドショウをストーンウォーク福岡でアップしてくださいました。

http://photo-patrone.org/swintro.swf
http://photo-patrone.org/StonewalkJp.swf

前者は長崎編、後者は広島編です。
8月4日の「ストーンウォーク・ジャパン2005」の1周年では、広島編を日本語の解説付きで紹介しました。


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「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(6)

2006年08月14日 | Weblog
石が叫ぶ

大川清

 
ストーンウォーク・ジャパン2005から早一年になります。共に碑石を曳き、共に汗を流し、共に食べ、共に語らいながらかたく平和を誓い合いました。とくに岩国では「軍事力によらない平和な未来を共に築くべく、米軍の強化再編に反対する共同声明」を採択し、市長に届けることもできました。それから一年、岩国では米軍基地を巡って本当に大きな動きがありました。住民投票では圧倒的多数の反対意見で基地の強化にはっきりと「ノー」の意志を示すことができました。しかしながら日米両政府は民意を全く無視して米軍強化再編を推し進めようと致しますが、小さな力が連帯して大きな巨大な碑石を長崎から広島まで引いたように、私たち市民の小さな力が、声が連なりあって軍事力によらない真の平和を築いていきたいと願っています。碑石を引きながら誓った平和への思いを決して私たちは忘れません。

「もしこの人達が黙っても、あの石が叫び出すであろう」(聖書の言葉)

                    (日本基督教団岩国教会牧師)

 


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「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(5)

2006年08月13日 | Weblog
 自分史の一ページに

 植木智子

「去年の今頃は小郡で待ってて、鳥栖からのバトンを受け取った頃だ」と7月11日の朝、そう思いつつ朝の身支度をしました。12日、13日・・・同じく、「ああ、今頃はどこどこを歩いてるんだな」とか「去年の今頃はみんなと夕食を食べてたな」とか、とにもかくにも、ストーンウォークは私には大きな自分史の中の一ページとなりました。ドットさんアンドレアさん達と共に過ごしたことを通して、日常の小さな平和に感謝することが少しわかったような気がしています。そして、戦争で亡くなった方々、また、戦争を体験し苦しい人生を送ってこられた方々の思いをしっかりと私は受け取っているだろうかと自省しつつ、ストーンウォーク1周年を過ごしています。

(ストーンウォーク・福岡代表)

 


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「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(4)

2006年08月12日 | Weblog
 「ファスレーン365」に繋げよう

豊島耕一

  皆様,お久しぶりです.このおよそ一ヶ月間,特に佐賀を通った1週間は,「今日はどこそこを歩いていた,今日は交流会だった」などと,「1年前の今日」を毎日毎日思い出しながら過ごしました.皆さんもそうではなかったかと思います.ウイークデーの遠足という,思えばとても贅沢な日々でした.

 佐賀は人数も少なく,普段いろんな活動を一緒にやる仲間からも「意味が分からん」と無視されて,かなり苦労しました.そのような中で集まった仲間たちとの友情はその分だけ高価な,言わば「希少価値」の高 いものとなりました.やはり体を動かすことはとても大事なことです.

 さて,この10月からはイギリスで「ファスレーン365」という野心的な核廃絶プロジェクトが始まります.イギリスの核兵器はちょうど更新時期を迎えており,その費用が5兆円とも8兆円とも言われます.

これを大きな政治問題にし,更新を止めさせる,つまりイギリスを非核国にするために,スコットランドの核基地を1年間,世界中のグループが交替で封鎖し続けようというものです.日本からも何チームかを送りたいものだと思っています.「ウォーク」ではなく基地の入り口に留まり続ける活動です.そこでまた皆さんとお会いできたら素晴らしいと思います.

 最後になりましたが,ストーンを守って下さっている広島の皆様に感謝を申し上げ,本日のご盛会をお祈りします.

                   ストーンウォーク2005佐賀                 

                      (佐賀大学理工学部)

 


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「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(3)

2006年08月11日 | Weblog

(写真説明)米国からの主要メンバー。2005年8月6日、世界平和記念聖堂で、碑石が搬入された後に撮影。

多くのボランティアに支えられて

川嶋擁子 

ストーン・ウォーカーが7月2日、長崎爆心地公園をヒマワリ合唱団に見送られて目的地、広島平和記念公園にゴール・インしてからもう1年になりつつあります。

 振り返ってみますと、色々な思い出がゆっくりと私の胸中を昨日の出来事のように1コマ、1コマと通りつつあります。

 私個人が実際に行動を取ったのはたった34日間でした。この34日間の準備のために数え切れない5県の方々が計り知れないほどの時間とエネルギーを費やしてくださいました。

 ウォーカーの後には矢野氏がご自分の車で疲れた方、傷ついた方々のために乗せてくださり、又、休み時間には小粒のウメボシ、砂糖にひたした薄切りのレモンの皮をエネルギー回復のために配って居られました。私も何回も食べさせていただきました。それだけじゃありません。矢野氏はお腹具合の悪かった方や疲れ切ってる足やヒザを温灸で治療してくださいました。

 山本ご夫妻には車で多くのスーツケースを運び、一緒にケーソンを曳き、押し、ウダル暑さの中で「頭と首に!」と云ってアイスパックを。又、水のビンをわけてくださいました。

 橋本氏にも私個人の家族が言葉で云い表せないほどにお世話になりました。ストーンウォーカーのために汚れた洗濯物を集めてコインランドリーに持っていってくださいました。ある朝の事でした。私が自分の選択したスモックとスラックスを乾してあった大部屋へ取りに行きますとそれ等にきっちりとアイロンがかかって居りました。後程知った事は、橋本氏が、ストーン・ウォーカーが疲れているので、アイロンがかけてある服を着ると疲れもやわらぎ、気もちも良いことだろうと云ったやさしい思いやりの精神でした。

 ご自身もすっかり疲れて居られるのもかかわらず、チョウ・ホワン氏は、献身的にストーン・ウォーカーの足の水ぶくれを毎夜治療して居られました。私にはどなたかが差し入れしてくださった五本指のソックスのお陰で水ぶくれができず、チョウ氏に治療していただけなかった事が残念でした。ニコ・ニコ。彼が胸にぶら下げてる警笛、ピッ!ピッ!と、空にもとどく合図にあわせて台車を曳き、押して出発したのも忘れがたいです。又、日本山妙法寺上人たちの仏に加護を願う祈りの唱えも、今でも私の耳にひびいいて居ります。

 こうやって書き出しますと切りがありませんが、ボランティアの皆々様、若い、美しい5県の通訳たちは、ある日々は体が溶けてしまう様な日照りのもとで、又、ある日々は強風やドシャ降りの中で、坂に来れば彼女たちの「ワッショイ!」掛け声で元気づけ、励ましてくださいました。

 中村助教授にはストーンウォークの永久安置所を、はぐれてしまった愛する我が子を探す様にして見つけてくださいました。広島市長からストーンの平和記念公園安置拒否を受け取ったドット様は「国に持って帰ろう!」と決心していましたが、ある朝、彼女は私に安らんだ声で「未だ公表はしていないけど安置する場所がみつかったのよ!良いニュースだわ!」と申されました。この「良いニュース」の裏には中村助教授と役員の方々のねばり強い努力があったのを忘れるべきではないでしょう。ストーンがピースカテドラルに安置された時、中村助教授は、私の心をゆさぶる程に感動した言葉を申されました。「これから私はストーンのsurrogated motherになりますね!」と。

 ピースアビーとピースフルトモロウズの全くよき理解者であった長崎、佐賀、福岡、山口そして広島の皆々様、あなたたちの心からの支えで私も無事歩くことができ、60年前からの個人的約束を果たす事ができました。皆々様、大変におつかれ様でございました。

 ケープ・コッドの夏の夜が深くなった静かな勉強部屋の片隅で皆々様、一人一人の献身、親切、そして愛情を再びかみしめながら深くお礼を申しあげて居ります。       

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ

ケープ・コッド、マサチューセッツで

 


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「ストーンウォーク・ジャパン2005」1周年に寄せて(2)

2006年08月10日 | Weblog

(「ストーンウォーク1周年」に寄せられたメッセージをご紹介しています)

新たに歩む石に期待を

海老根勲

 ちょうど1年前のきょう、まだ落ち着き先も定かにならないまま、このストーンはヒロシマに到着しました。そして図らずも三末司教はじめ教会関係者の暖かいご理解を得て、世界平和記念聖堂にたどり着いたのでした。ダットさんやアンドレアさんらアメリカから参加された方々も、「石が望むところに来たんですね」と大喜びして、碑石にキスして帰国したのです。

 改めて、三末司教はじめ教会のみなさまに、1周年に、このような形で除幕できたことに、厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 もう、10年ちょっと前になりますが、レバノンのベイルートから中東諸国を旅したことがあります。中東戦争や内戦の傷跡が色濃く残る街角で、「ワン ダラー、ワン ダラー」と手を差し伸べてくる大勢の子供たちに出会いました。今日、その時に出会った子供たちの手にも、マシンガンが握られているのでしょうか。ミサイルが飛び交う中を、赤ちゃんを抱いて逃げ惑っているのでしょうか。ニュースを聞くたびに胸が痛みます。

 私たちの社会は、なぜ、これほどまでに不寛容で、ヒステリックなナショナリズムに明け暮れるのでしょうか。ごく最近は平和憲法を持つはずの日本政府からさえも、先制攻撃論が飛び出しました。

 果たして、私たちは「戦争の世紀」に終止符を打つことができるでしょうか。私は、この聖堂の前に来るたびに、平和の到来を確信するのです。50年前、この聖堂は世界中の多くの人々の善意が、さまざまな価値観の相違を乗り越えて結集され、献堂されました。戦争に終止符を打ち、共生の理念で平和な世界を創造しようとする人々の意思が、聖堂全体に塗り込められたのです。

 それから半世紀を経て、私たちもまた、まさに汗まみれになりながら、思想信条の違いを超えて「対話と和解」の象徴であるこのストーンをヒロシマに運んだのです。

 あの、暑い日差しを浴びながら刻んだ歩みは、豊かな寛容の精神をともに培い、それぞれの心にある平和を求める糸を紡ぎあうための、一歩また一歩であったと私は信じます。石を引きながら、多くの人々と出会い、異なる価値観を認め合い、共生へのプログラムを探しあった毎日でもありました。半世紀の歳月を隔てて、私たちは聖堂の存在と理念の上では重なり合う行動を、実践してきたのです。

 「戦争は人間の仕業です」と、この地から呼びかけたヨハネ・パウロ二世の銅像と並んで設置されたこのストーンは、固定されたものではありません。いつでも、新たな歩みを始めることができます。この世界から核兵器を放棄し、みんなが共生しあえる真の平和な社会を創造する旅を、ヒロシマの聖堂から再び始めようではありませんか。

           2006年8月4日       ストーンウォーク・ヒロシマ共同代表


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