萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 act.39-side story「陽はまた昇る」

2017-10-11 22:10:41 | 陽はまた昇るside story
part of His double interest Unto Thy kingdom,
英二24歳3月下旬


第85話 暮春 act.39-side story「陽はまた昇る」

眼下50メートル、足もと一気に切れ落ちる。

「雪庇を踏みぬいたんだな、」

大雲取谷はるかに銀色ほの暗い、午後の太陽もう傾く。
雪崖ふきあげる冷気の底、燈るオレンジ色に山っ子が呼んだ。

「ザイルはしまいな宮田、ちょうど直下だね、」

冷厳の断崖、谷底まっすぐ墜ちている。
人の真上からザイルで降りるのは危険、その判断に肯いた。

「国村さん、上の小尾根を回りこみましょう。降りられる程度の斜面があります、」

あそこならザイルなしでも降りられる。
記憶に歩きだした唇、息なおさら白い。

「気温が下がりだしたね、宮田どれくらいアレ持ってる?」

さくざく雪駆ける音、背後から訊いてくれる。
このあいかわらずな問いかけに前見たまま応えた。

「予備もザックに入れてます、国村さん使いますか?」
「俺はいらないけどね、下の人が要るとイイけどさ?」

背後のテノールかすかに低い。
その空気に問いかけた。

「国村さんは状態、見えたんですか?」

山育ちの視力は違う、そう聞いたことがある。
そのままに山っ子な元上司の声が言った。

「大雲取谷まで直下50メートル、ビルだと何階分だっけね?」

雪さくざく駈ける声、現実を問いかける。
もう予測できる状況に答え吐いた。

「約15階分です、」
「ふん?警視庁の建屋でロクブンノゴってとこかね、」

淡々、いつものトーン応えてくれる。
雪道を駈けても乱れない呼吸、なにより「見えて」も落ち着いている。

“直下50メートル、ビルだと何階分?”

人間が1メートル自由落下する衝撃、その現実にある転落遭難。
事故の結末は状況がからむ、物理公式だけに求められない。
そうした姿いくつ見てきたのだろう?

「光一の冷静なとこ、医者にも向いてるんだろな、」

安定した怜悧な視線、それは素質もあるのだろう。
けれど経験に培われているとも知っている、自分もどれだけ教えられたろう?
そうして今たどる雪嶺にテノール笑った。

「おまえに言われるとナンカ不思議だよ、さて?下降地点ドンナもんかね、」

雪白の笑顔たちどまって、小尾根の眼下を見る。
ヘルメット着けた横顔いつもと同じで、だけどウェアが蒼い。

―そっか、もう隊服を着ることないんだ…光一は、

いつも見ていたスカイブルー、白く染め抜かれた「警視庁」の文字。
前を駈けてゆく青い背中ひろやかで、まぶしい強靭ただ追いかけた。

「コレならザイルなしでイケそうだね、雪からブッシュ出てるしさ?宮田はどう想うね、」

隣で笑ってくれる声、変わらない。
その目線も昨日と同じ、でもスカイブルーの背は二度と見られない。
こんな日が来るなんて想わなかった、けれど辿りついた今に答えた。

「ブッシュに掴まれば大丈夫です、滝の右岸を高巻いて沢に下れます、」
「じゃ、行こっか?」

雪白の顔からり笑って、白銀の崖へ叢つかむ。
その怜悧な瞳が底抜けに明るく言った。

「イイかい英二?無事帰還だよ、で、メモに連絡、」

悪戯っこな眼からり笑って、視線すっと低くなる。
もう雪面の断崖さくさく駆けだす、その蒼い登山ウェアに笑った。

「速いな、ほんと?」

下ってゆくヘルメット澱まない、見惚れてしまう。
躊躇ない足どり雪の斜面に軽くて、ここが居場所なのだと謳う。

『傷まみれでも責任まるっと背負って立つ全部だ、おまえもソレに憧れてんだろ?』

数分前に言われたこと、あれは言った本人の覚悟だ。
だから今も救助へ駆けだす背中は蒼く青く、スカイブルーを脱いだ今も誇り高い。
あの背中に憧れて選んだ世界に今立っている、その先にある想い微笑んだ。

「光一みたいに生きれるかな、俺も…周太?」

憧れ、願い、その原点が駆けてゆく。
もういちど還れるだろうか?そのトレースに英二も踏みだした。

(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】


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