萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

第8章 Minerva 智慧の盾 act.34-Aesculapius 杜嶺の医神

2016-10-17 22:27:30 | Aesculapius 杜嶺の医神
la neige attend la neige 此岸の待人 
雅樹28歳・光一13歳8月下旬



第8章 Minerva 智慧の盾 act.34-Aesculapius 杜嶺の医神

こんな時間に本当はダメだ、そう解っているけれど。

「雅樹さん、この箱って何かね?」

ほら気づかれた、気づいて当然だろう。
開かれた冷蔵庫の白い箱、気恥ずかしさと幸せに笑いかけた。

「ケーキの箱だよ光一、昨夜のうち買っておいたんだ、」

ようするに、君の帰りを待ちわびていた。

―そういうのバレバレだよね昨夜のうち買ってたなんて、ああ僕もう、

今日の帰り道に買ってきた、そんなフリしたかったけれど仕方ない。
だから早く帰りたかった今日、それでも午後の選択は間違っていない。

『だから私が診るのは死ではなく、生きた時間です、』

午後おそい法医学教室、あの言葉を聴けた。
あれだけでも今日あの解剖医に会えたことは幸せだった、そう納得してる。
けれど「昨夜のうち」知られて気恥ずかしいどうしよう?困りながらも白い箱とりだし微笑んだ。

「昨夜は佐野先生たちとご飯食べに行ったんだけど、そのお店のケーキおいしいって聞いて。今日は夕飯の支度に早く帰りたかったし、」

こんなの言い訳がましいかな?
照れくさい熱そっと首すじ撫であがる、きっと顔もう赤い。
頬にも熱感じながら夕食後のテーブル、置いた白い箱に澄んだ瞳が見あげた。

「ね、雅樹さんはケーキもう食べたのかね?」
「うん?まだ僕も食べてないよ、」

笑いかけ皿ふたつ並べてフォーク置く。
その手そっと華奢な手ふれて、無垢の瞳ぱっと咲いた。

「待っててくれたのかね?俺と一緒に食おうって、」

見あげてくれる瞳まっすぐ自分を映す。
ただ純粋に喜んで、こんな眼されるから離れられない。

でも、いつまで見つめてくれるのだろう?

「そうだよ、開けてごらん?」

笑いかけて、ほら澄んだ瞳きらきら笑う。
もう十三年を見つめた笑顔、その純白あざやかに咲いた。

「チョコレートだねっ、がとーしょこら?だっけ、」
「うん、オレンジがのってるし好きだと思って、」

笑いかけた真中、見あげてくれる笑顔は三日前と変わらない。
雪白なめらかな頬すこし紅潮して、澄んだ瞳きらきら笑ってくれる。

「大好きだねっ、ありがと雅樹さん!ウンときれいだねっ、」

澄んだテノールはずむ箱の底、ふたつ並んだ甘さ無邪気に笑う。
ダークブラウン深い菓子、真白なクリームに柑橘の黄金きらめく。
夏の果実も藍色みずみずしい、濡羽玉ってこんな色だろうか?

「よろこんでくれて良かった、紅茶でいいかな?」

戸棚すぐ開いて、ティーパックの箱とりかけ指先に缶ふれる。
やっぱりティーポットで淹れてあげたい、紅茶缶つかんで温もり抱きついた。

「茶なら俺が淹れるよ?雅樹さんオツカレでしょ、」
「ありがとう光一、でも今夜は僕に淹れさせてくれるかな?」

笑いかけて温もりが見あげてくれる、その瞳まっすぐ自分を映す。
長い睫あざやかな澄んだ眼すこし甘えて、まだ幼い瞳が笑ってくれた。

「雅樹さんの紅茶いいねっ、でもコンナ時間に甘いモンいいのかね?いつもならダメって雅樹さん言うでしょ?」

あ、こんなこと訊いてくれるんだ?

―前なら喜ぶだけだったな、やったね大人のお茶時間だねって?

去年の君なら疑問なんて挟まない、ただ無邪気にほおばっていた。
けれど今は配慮もしてくれる、成長つい見惚れて笑った。

「僕はね、光一が帰ってきたら甘やかそうって決めてたんだ、よそのお宅に泊った最初だからね。だから今夜は特別ってことでいいかな?」

想い微笑んで手を伸ばす、ランプ艶やかな黒髪ふれる、そっと撫でる。
やわらかな髪さらさら梳けて零れて、無邪気な笑顔ふわり咲いた。

「うんっ!今夜は特別だねっ、おしゃべりウンとして風呂も一緒してねっ、」
「もちろんいいよ、他にしたいことあるかな?」

うなずいて笑いかけた目線、ほら三日前よりすこし近い。
抱きとめる肩はTシャツすこし大きくて、かぼそい骨格は少年の華奢。
それでも去年より目線の高さ近づいた。もう中学一年生の夏休み、あっというま大人になるのだろう?

―ほんと大人に近づいたな、二晩も他所の家に泊れたんだ、

去年なら考えられなかった少年の外泊、でも今夏は現実だ。
すこしずつ少年は自身の脚で外へゆく、そうして自身の道を見つけて、いつか自分を離れるのだろう。
それでも帰る場所でいてあげられたらいい、休まりたい君を癒せる君の居場所に。

だって、ほら?

「いっぱいあるねっ、だって俺もいっぱい甘えたかったよ?今夜はウンと、うーんと甘えちゃうよ?」

ほら君が笑う、まだ幼い瞳まっすぐ自分に抱きつく。
こんな仕草に想いがわかる、たぶん、きっと、この子は死んだ両親が恋しかった。

―やっぱり湯原さんたちに寂しかったんだ光一、希くんが羨ましくて、

あの内気な少年に悪気なんて無い、あの少年の両親も優しい佳いひとだ。
それでも何気ないワンシーンきっと抉ってしまった、だって両親いちどに亡くした傷は深い。

「うーんと甘えていいよ?」

笑いかけた真中、ほら瞳きらきら明るます。
この瞳きっと涙こらえた瞬間がある、その雫に微笑んで少年が訊く。

「ほんと?俺ホントにうーーんっと甘えちまうよ、いいの?」

いいの?

「うーーんと甘えていいよ?なんでもワガママ言ってごらん、」
「ほんとに?俺びっくりするほどワガママ言っちまうよ、うーーーーーんっと甘えるからね?」

ほんとに、ほんとうにここで甘えていいの?

そう尋ねてくれる瞳に、ほら、鼓動の底ゆっくり温まる。
温もり昇って瞳の底あふれだす、それでも睫ゆっくり瞬きいっぱい笑った。

「うーーーーーんっと甘えていいよ?僕も明日は午後ちょっと研究室だけだから寝坊できるんだ、ワガママいっぱいしていいよ?」

本当は明日、一日ずっと一緒にいたい。
けれどままならない現実と抱きしめて、それでも宝物きらきら笑う。

「うんっ、いっぱいワガママ聴いてねっ!二晩分いっぱい一緒にアレコレしてよねっ、約束だよ?」

ほら抱きついてくれる、温かい。
夏の終わりの夜、それでも欲しかった温もりが笑って抱きつく。
こんなふう本当は自分こそ必要で、だからこそ選んだ今に笑いかけた。

「いいよ、二晩分いっぱいワガママしてほしいな?」
「うんっ、トクベツ夜ケーキだねっ、」

笑って抱きつく、その腕まだ華奢にすがりつく。
もう他人の家にも泊まれる君、思春期を超えてゆく十三歳、もう大人の門をくぐった君。
それでも甘えたいと願い見つめてくれる、ただ応えたくてポットの手とめて抱きしめた。

「うん、僕には甘えてね?光一、」

たとえ僕を必要ないほど君が大人になっても、それでも居場所ある安堵は君を支える。
いつでも受けいれられる場所、どこからでも帰られる場所、揺るがない不動の居場所。
そんなスペースこの懐ずっと十三年に育んだ自分、そんな自分に温め育てたのは君だ。

だから僕はずっと待っている、ただ君が癒される居場所でありたい。


(to be continued)

【引用詩文:Rene Char「Feuillets d’Hypnos」より】

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