萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 Tokiko-side story「陽はまた昇る」

2017-06-17 00:30:10 | 陽はまた昇るside story
未来の君へ
斗貴子25歳の手紙


第85話 暮春 Tokiko-side story「陽はまた昇る」

愛しい君へ

はじめまして、未来に生まれている君へ。
私は君のお父さん、馨さんのお母さんで君にはお祖母さんになります。
名前は斗貴子「ときこ」と読むんですよ、旧姓は榊原といって世田谷にお家がありました。
その家は君がこの手紙を読むころには無いかもしれません、私は兄弟がいなくて一人っ子だから家を守る人がいないんです。

こんなふうに書くと分かってしまうかしれないけれど、私は君が生まれるよりずっと前にこの世から消えます。
私は喘息という病気で心臓も弱いの、長くは生きられません。君のお父さんが大人になる姿も見られず世を去るでしょう。
本当はもっと生きて馨さんが大人になったところも見たいです、入学式も遠足も一緒にしたいけれど叶いそうにありません。
でも、あなたに逢いたいです。

馨さんの子供である君に逢いたい、お祖母ちゃんですよと笑いかけて抱きしめたいわ。
どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に逢いたくて、つい馨さんの姿に想像します。
もしかして髪はくせ毛ですか、私がそうだから馨さんもくせ毛です。本は好きかしら、花を見るのも好きでしょうか。
こんなに想像するほど君に逢いたいです、だから手紙を書くことにしました。何年先になるか解からなくても必ず届く魔法で贈ります。
この魔法は叶っているはずです、何故って今こうして君は読んでいるでしょう?

君と一緒にしたい事はたくさんあります。
君と手をつないで庭を散歩したいです、私が好きな花を一緒に見たいわ、白い一重の薔薇ですよ。
本もたくさん読んであげたい、書斎はたくさん本があるでしょう?東側の飾棚は私が御嫁入りに連れてきた本です。
お菓子も一緒に作りたいわ、スコンは君のお祖父さんもお気に入りです、君も私みたいに甘いものが大好きかしら。
私の母校でも一緒に散歩したいわ、大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。

お祖父さんの晉さんと私は大学の研究室で出逢ったの、フランス文学の研究室です。お互い本が大好きだから逢えました。
君のお祖父さんはフランス文学の学者です、戦争のあと独りでフランスに留学して一生懸命に勉強した立派な方です。
いろんなご苦労をされてきました、その苦労の分だけ濾過された心が本当に綺麗で瞳にも表れています。
私は君のお祖父さんの妻になれて本当に幸せです、そして教え子であることも誇りです。

私と君のお祖父さんは齢が十五歳も違います、でも共通点が恋になりました。
二人とも文学が大好きだという共通点です、フランス文学にイギリス文学、もちろん日本の文学も大好き。
私は体が弱くて学校に行けない日も多かったの、そんな私にとって本はいちばん傍にいる友達です。
それでも学校は好きだったのよ?だから尚更に学校へ行けない日もベッドで本を読み勉強しました。
そんな私だから君のお祖父さんが書いた本とも出逢えたの、彼の言葉たちは鼓動から響きました。
響いたから大学へ行きたいと夢を抱いたのよ、君のお祖父さんに逢いたくて。

君が生きる時代は女の子たちも大学に行きますか。
私の時代は女が四年制大学に行くことは珍しくて、合格も難しいと思われていました。
それでも私は大学へ行きました、君のお祖父さんと逢いたくて日本でいちばん難しい大学を受験したの。
病気がちで大学なんて無謀だとお医者さまにも叱られました、でも短い命ならばこそ夢を見に行きたいとお願いしたの。
どうしても君のお祖父さんに御礼を言いたくて、それには学生になって逢いに行くことが一番の恩返しだと想えて大学に進みました。

だって君、学問は受け継がれていくものです。
たとえば文学は文字を通して世界を伝えていくことができます、それを読んだとき人は希望を見つけることも出来るの。
病気でベッドにいる時間すらフランスの風景に連れていってくれた、この心の自由をくれたのは君のお祖父さんが紡いだ言葉です。
それは君のお祖父さんがこの世を去っても遺ります、文学が文字が世界にあり続ける限り、君のお祖父さんがつむいだ自由は生きています。
そして私も生かされました。

But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

私が好きな詩の一部です、シェイクスピアというイギリスの詩人が詠みました。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」ソネットという十四行詩です。
言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われています。
この詩は学問をあゆむ全ての人に贈られるものです、この通りに君のお祖父さんは生きています。
きっと君のお父さんも同じように生きるでしょう、そして私も詩のように生きたのだと自負しています。

君のお父さんの名前は馨ですが「空」でもあります。
馨、この「かおる」という音はラテン語の“ caelum ”カエルムを充てたのです。
若葉の佳い香がする5月の青空の日に君のお父さんは生まれました、だから“ caelum ”です。
馨という文字は言葉を伝える「声」が入っているでしょう?きっと文学を愛する人になると思います。
そうして君に本を読み聴かせてくれるのだと予想しています、お祖母さんの予想は当たっていますか?

君の名前はどんな願いの祈りに付くのでしょう。
考えるだけで幸せになります、そして逢いたくて祈ってしまいます。
馨さんが大人になって大切な恋をして、そして君が生まれてきてくれること。その全てが幸せであれと祈ります。

馨さんが結婚する相手は素敵な女性でしょうね、君のお母さんになってくれる人ですから。
きっと私はすこしだけ嫉妬してしまいます、なぜって今も手紙を書きながら馨さんを見ていて愛しいのです。
こんなに馨さんが愛しいもの、馨さんの子供である君も愛しくて宝物で、誰よりも幸せを願わずにいられません。
だからこそ君のお母さんが幸せである日々を祈ります、君が笑っていられるように。

君のお祖父さんに、新しい奥さんを迎えてとお願いしました。
私は君のお父さんのきょうだいは産めません、でも健康な新しいお母さんがきたら馨さんにきょうだいが出来るでしょう。
私はきょうだいが無いけれど仲良しの従妹がいます、顕子さんといって馨さんのことも可愛がってくれる頼もしい人です。
病気がちの私をいつも見舞ってくれたのも顕子さんです、彼女が従妹だから私はたくさん笑っていられました。
そういう信頼できる身内が馨さんにもいてほしくて晉さんに再婚を勧めています。

ですから私ではないお祖母さまが君にはいるかもしれません。
その方と君は血のつながらない家族です、でもどうか大切にして下さいね。
家族は血の繋がりだけではありません、心が結ばれたなら幸福な家族です。

私は本当に幸せに生きました。
君が今いるこの家で私は生きて笑っていました、屋根裏部屋が私の書斎で大好きな場所です。
鎧戸の小さな出窓があるでしょう、あの下は小さな隠し棚になっていることを君は知っていますか?
開け方のヒントは寄木細工です、板をずらすと開きます。そこに贈物をしまっておくので受けとって下さい。
それを見れば私は幸せだったことが解かるはずよ、そして君を愛していることも伝えられると信じています。

君は学問が好きですか?
たぶん大好きだろうと思います、学問に出逢った晉さんと私の孫ですから。
君のお父さん、馨さんも学問が大好きな人になると思います。今も絵本を見て笑っているわ。
まだ文字も読めないはずの赤ちゃんです、でも小さな指で文字をなぞりながら楽しく笑っています。
だから君も学問を愛する人になるかもしれない、そう想えるから学問にも役立つ贈物を選びました。

いつか時の涯に君と逢えるよう思えてなりません、そのときは笑顔で私を見つけてください。
そのためにも写真を同封しておきます、君のお父さんを、私の caelum を抱いている私です。
そこには君も抱きしめています、なぜって君は馨さんを通して私の遺伝子と夢を継ぐのだから。

どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。

湯原斗貴子



第85話 暮春act.24
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