萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

葉月十日、木槿―persuasion

2017-08-10 15:48:11 | 創作短篇:日花物語
生涯へ、
8月10日の誕生花


葉月十日、木槿―persuasion

花が浮かぶ、夜が明ける。

ざっ、

掃かれる箒の響き、塵の光。
舞う埃きらきら朝陽はじく、ゆるやかな明け色しみてゆく。
掌にぎりしめる柄なめらかな竹、もう幾年ともに朝を見た?あの花も。

「お早う、」

微笑んで仰ぐ花、梢さわやかに高くなった。
初めて見た朝もっと低くて、けれど自分の背丈も小さかった。

共に育ったのだ、この花木と。

「今年もきれいだなあ、でも今日でお別れだ、」

笑いかけて花ほの暗い、たたずむ境内しんと静謐まどろむ。
かすかに甘いのは草木の香、花から、葉から木肌から息吹く朝露の匂い。
ほろ苦いくすぶりは土と塵埃の香、人の呼吸まだ混じらぬ風、花に明けきらぬ闇あわい。

「…この時が好きだよ、私は、」

微笑んだ唇に馴染む「私」こんな一人称いつから慣れた?
あの山門はじめて潜った日は、自分は何と自分を呼んだろう?

「あの日も咲いていたなあ、おまえは…私は小さかったろう?」

花に呼びかけて薄紫しみる。
この花を見あげた幼い日、あのとき零れた涙どこだろう?
この花に吸いあげられ咲いたろうか?もう遠い時間たたずんだ背、呼ばれた。

「清めてもろうてありがたいが、のお?出立の支度は整っておるのか?」

皺深い、けれど透る声が笑う。
この声とも今が最後、積年に振りむき頭下げた。

「はい、整っております、」

こんな日が来るなんて、思ってもいなかった。
それでも辿りついた今日、下げた頭に声が肯いた。

「そうか、」

白い髯ふさり揺れたろう、今。
見なくても分かる、それくらい長い時間ここにいた。
きっと剃りあげた頭かしげて、そうして自分を見ている。

「はい、おかげさまで支度できました、」

返事して頭もひとつ下げる、今、顔あげられない。

「そうか、還俗の心支度もよいか?」

透る声すっと語りかける、静謐のうす闇しずかに響く。
こんな朝が好きだった。

「はい、」

肯いて頭もひとつ下げて、鼓動しずかに足もと見つめる。
なじんだ草履に素足もう痛くはない、初めて履いた日の痛み、あの肌ささくれる痛み懐かしい。

「まあなあ、心支度など出家にくらべれば軽かろう?どうだ?」

訊いてくれる声が笑う、明朗あの日と変わらない、でも若かった。
それだけ過ごした静寂の日々に顔あげられない、それでも声にする。

「どうでしょうか、まだ家督の重さを知らないので、」

足もと見つめ答えて、ほら、すこしだけ鼻緒ほつれている。
明日も履くなら挿げ替えるだろう、けれど挿げ替えられるのは鼻緒じゃない、自分だ。

「うん…その心支度は難しいか?」

深い声が透る、沁みてしまう。
この声あの日も沁みて、温かで、そうして喉ほどかれる。

「兄が死なねば私は明日もここに居りました、それだけです、」

鼓動くだける、声になる。
ほとばしった声こぼれる想い、そうして鼻緒が滲む。

「それだけです…」

声こぼれる、鼻緒がにじむ、ほつれた馴染んだ白い色。
すこしだけ灰色にじむのは汗の痕、毎日いつも履き続けた時間の跡。
このまま過ごすと思っていた時間、このまま頭下げ続けたなら、そうしたら居られるだろうか?

「そうか…そうか、」

透る声ふかく沁みる、そうして今日が明ける。


木槿:ムクゲ、花言葉「新しい美、persuasion 信念・信仰、consumed by love 恋の虜」
【還俗=出家した聖職者が俗人に戻ること/家督=家を相続する者、相続すべき家の跡目】


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