萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 act.29-side story「陽はまた昇る」

2017-07-23 10:02:36 | 陽はまた昇るside story
for, long, yet vehement grief hath been
英二24歳3月下旬


第85話 暮春 act.29-side story「陽はまた昇る」

幻じゃない、今、抱きしめられている。
誰に?

「えいじ…」

かくん、

声に膝くずされ崩おれる、真白な空が樹肌になる。
視界かたむいて雪、どさり、大樹のもと腰落ちた。

「やっぱりここにいた、英二っ…、」

呼んでくれる声がなつかしい、でも本当だろうか?
わからないまま見つめる視界、懐かしい声が呼んだ。

「英二、」

呼ばれる白銀の森、黒髪ゆるい波が目に映る。
やわらかな黒髪こぼれる香あまくて、おだやかに爽やかで懐かしい。
この香よく知っている、ただ懐かしくて、なつかしい黒目がちの瞳に瞬いた。

「…周太?」

幻覚かもしれない、幸せな幻。
けれど瞬いても消えない。

「僕だよ、英二…英二?」

黒目がちの瞳が呼ぶ、自分の名前。
こんなふう呼んでほしかった、ずっと。

「うん…幻でも嬉しいな、」

ここに来られるはずがない君。
この雪深い森を君はたどれない、けれど幻は微笑んだ。

「幻じゃないよ、僕だよ英二?ほんとに僕なんだ、」

白銀が舞う、そのかけら黒髪ふる。
ふれて雪そっと雫になって、黒髪ゆるく光つたう。

「僕だよ英二、ほら?」

登山グローブの手に温もりふれる。
グローブ2つ透かす体温に瞬いた。

「周太…?」

確かな体温、ほんとうに?

「そうだよ英二、僕だよ…、」

白銀のあわい瞳が笑う、黒目がちの瞳たしかに君だ。
けれど信じられない声こぼれた。

「どうして周太…どうやって来たんだ?」

君が来られるわけがない、

「道なんて無いんだここは、どうやって周太が来られるんだよ?積雪これだけあるし、」

ルートファインディングも雪山の技術もない、それでは辿りつけない場所。
けれど眼の前の瞳は微笑んだ。

「雪の足跡たどってきたんだ…雪があるから来られたよ?」

おだやかな声、かすかに息はずむ。
その頬も紅潮やわらかで尋ねた。

「でも登山口までどうやって来た?雪のワインディングロードなんて周太、運転ムリだろ?」

自分でも今日の天候は慎重になる。
そんな雪空に黒目がちの瞳が言った。

「光一と美代さんが送ってくれたんだ…もし3時間して帰らなかったら救助に来てくれるって、光一がね?」

もしそれが事実なら、無茶すぎるだろう?

―こんな雪山に一人で放りこむとか光一、なに考えてんだよ?

降雪時の山は危険が多い、たとえば道迷い。
降雪による視界不良、ルート消滅、さまざまな要因に居場所を見失う遭難事故。
それに雪庇の踏みぬき、雪崩、低山でも高山でもそんなリスク何も変わらない。

それなのに、なんてことするんだあのアンザイレンパートナーは?

「それ、ほんとなら俺ちょっと光一に怒りたいけど?」

本音つい零れる、あの男がこんなことするなんて?
はかりかねる意図に唇を噛んで言われた。

「そうじゃないよ英二、僕と美代さんが光一に無理を言ったんだ…光一は危ないって怒ったよ?」

あのザイルパートナーなら怒る、そうだろう。
でも、なぜ?

「なぜあのお…小嶌さんが?」

あの女がなぜ、君をここへ?

「小嶌さんは周太を好きなんだろ、なのになんで俺のとこに行かせるんだよ?光一が止めるくらい危ないのに、」

彼女が君をここへ、自分のもとへ君を?

「祖母に言われたんだ俺、小島さんは自分の感情も超えて周太を愛してるって。それに周太がほしいもの与えられるのは小嶌さんだろ…俺じゃない、」

海、祖母に言われた現実。

『男性として学者としての自信をプレゼントできるわ、親になる喜びも。女性で同じ道を歩くひとだからできることね、』

あの言葉に反論なんて何もない、ずっと解っていたから。
誰でもない自分がいちばん考えていた、知っている、だから、

「俺は学者じゃないし周太と子ども作れないだろ、もう俺は何もあげられない、もう無理だろ?」

無理だ、それが現実だ。

―痛いな、俺…わかってたことだけど、さ、

ずっと解っていた、こんなこと。
だってもう違ってゆく、その道に口開いた。

「それに俺も、これからは…」

言いかけて詰まる、怖くて。
自分の現実を言ったら君はなんて想うだろう?

―言えば嫌われるかもしれない、そのほうが諦めつくけど、

嫌われて疎まれて、そうして離れるならそれでいい。
そんなこと解っているのに凍える唇、そっと微笑んだ。

「どっちにしてもさ周太、ほんとは小嶌さん無理してるよ?好きな人を他の相手に送りだすの楽しいわけない、帰ってあげな?」

帰る、君は。

帰る場所あるのは君、自分は違う。
だから座りこむ白銀の森、ブナの大樹に笑った。

「俺はもうすこし耐寒訓練してくからさ、周太は先に帰れよ?」

先に帰ってほしい、どうかこのまま。
想い見つめる白銀の底、黒目がちの瞳が言った。

「英二、美代さんが僕をここに来させたんだよ…どういうことか解るよね?」

そんなことあるだろうか?

考えひとつ首をふる、信じられない。
ほんとうは信じたくないだけだ、負けを認めるみたいで。
もし本当だとしたら悔しいだろうか?途惑うような想い、懐かしい声そっと笑った。

「あのね…僕、美代さんに怒られたよ?」

あの女が怒った?

―なんで怒るんだ、あの女が?

いつも笑っている、そんな印象しかない女。
それが怒ることも意外で、それを今なぜ君は言うのだろう?
これから何を聴かされる?解らないまま穏やかな声が言った。

「英二は憶えてる?オペラ座の怪人…Le Fantome de l'Opera のこと、」

“Le Fantome de l'Opera”

邦題『オペラ座の怪人』フランス語に綴られる物語。
この題名どうして忘れられるだろう?

「憶えてるよ周太、あのベンチで読んでくれたよな、」

笑いかけて唇に雪ふれる。
やわらかな零度いまは優しい、だって熱い。

「ん…憶えててくれたんだね、英二も、」

黒目がちの瞳が微笑む、その吐息かすかな白い熱。
白銀の古木に向きあう温もり、これは現実だろうか?

「忘れるわけないだろ、」

笑い返して鼓動、ことん、かすかに速い。
この瞳に見つめられている、それだけで。

―周太だ、周太が眼の前で俺を見てる、

逢いたかった、どうしても。
けれど逢えなかった、どうしようもなく怖くて。
こんなふう恐怖させるなんて他にいない、その鼓動にすら考える。

なぜだ、あの女がなぜ君を?

『美代さんが僕をここに来させたんだよ…僕、美代さんに怒られたよ?』

どうして君を来させたのだろう?
なぜあの女が君を怒ったろうか?

―あの女どういうつもりだ、祖母まで誑しこんで…別れを言いに来させたのか周太を?

なぜだ、あの女はなぜ君を俺に逢わせる?
思惑めぐる疑問に懐かしい物語が響く。

「オペラ座の怪人…歌姫と初恋の人がふたたび恋するお話だったよね、でも歌姫にはふしぎな存在がいるんだ、」

おだやかな声が香る、あまい爽やかな知っている香。
この香に眠った時間ふわり蘇る、その記憶なぞる声。

「歌姫に歌を教えてくれるけど、姿を見せない声…歌姫は天使って呼ぶけれど、ほんとうは醜い顔を仮面で隠した天才の男、」

あのベンチでも語ってくれた、こんなふうに。
あのとき想った鼓動まだ燻る、疼いて声こぼれた。

「俺みたいだな、」

かつて君も呼んでくれた、そんなふうに。
そして素顔も自覚がある。

「周太も俺のこと天使だって前は言ってくれたけどさ、もう本性バレてるし?」

疼き声になる、こぼれて言葉くゆる白い熱。
そうして凍える靄に純粋な瞳うなずいた。

「そうだね英二…英二はファントムみたいって、僕も想う、」

ファントムみたい、って。

“Fantome”

その意味は「怪人」だけじゃない。
その言葉ふくんだ現実を君が言う。

「現れたり消えたり、いつのまにか僕をたすけて…幻みたいな幸せもくれて、ふしぎで、怖くて…いくつも仮面があるみたいに不思議なひと、」

おだやかな声しずかに微笑む、その言葉が優しい。
やさしいから疼いて笑った。

「それにファントムは人殺しも厭わない、自惚れが強いまま怖いもの知らずだ、」

言った言葉まっすぐ自分に返る、だって自分だ。
そして呼びかけられた言葉、君の50年の連鎖に。

“Fantome”

この単語どんなふう使われてきたのか?
この言葉なにを目的にどこで使われるのか、何を指すのか、君は知ったろうか?
そんな全てごと自分自身だと想える、きっと君も想っている、そんな自覚に言われた。

「そうだね…英二はひとりぎめ独善的で自分勝手、自惚れるぶんだけ大事なこと教えてくれない、僕なんかじゃ信頼もくれないね?」

そうだ、こう言われて仕方ない。
言われるだけの自分に笑った。

「小嶌さんに怒られたって周太、こんな自惚れやとつきあうなって怒られた?」

怒られて当然だろう、あの女は「まっとう」だから。

―だから祖母も周太と結婚させたいんだよな、俺とは違う、

まっとうじゃない自分、そう自覚している。
だから解ってもいる現実に笑った。

「俺と周太は釣り合わないって俺にも解ってるよ、自分勝手で自惚れやの俺だろ?努力家で謙虚な周太とうまくいかないよな、」

別れを切りだされる、そんな予兆が怖い。

「祖母も俺を周太から遠ざけたがってる、周太の携帯も俺だけ着拒されてるよな?誰にも望まれないなんてさ、よほど釣り合わないんだろ、」

唇が自嘲つむぐ、予兆が怖くて。
それでも願いたかった本音に君が微笑んだ。

「あのね…美代さんが怒ったのはね、ファントムを選ばない歌姫なんだ、」

(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】


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