萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第68話 玄明act.4-side story「陽はまた昇る」

2013-08-31 19:54:21 | 陽はまた昇るside story
entail―運命の後嗣



第68話 玄明act.4-side story「陽はまた昇る」

時計の針が16時を示し、演台で笑顔が礼をする。
階段教室から拍手が湧きだし天井まで響き、それと同じに笑顔も広がらす。
大らかに温かな空気の真中で、すっかり掻き雑ぜな髪に照明きらめいて頭を上げた。

「どうも長時間、ご清聴をありがとうございました。まだ暑い時間ですけど帰り道で倒れたりしないで下さいね、」

明朗な声が告げた挨拶に満場が和やかになる。
のどやかに明るい空気は演台の学者に温かい、それはワイシャツ捲った袖口の腕にも見える。
笑顔と同じくらい日焼の健やかな腕は机上だけの研究肌ではない、そんな姿に英二は微笑んだ。

―山ヤの腕だな、馨さんのアンザイレンパートナーらしい腕、

ひとりごと心に微笑んで見つめる階段教室の席、がたり立つ音が鳴り始める。
講義終了のざわめき広がらす空間の真中で学者も演台を降りてゆく、その背格好を見分する。
ストライプ爽やかな肩幅は骨格がしっかりとして腰高な身長も低くは無い、そんな背姿に溜息と微笑んだ。

―やっぱり馨さんはSAT狙撃手として規格外だ、

聴いて英二、この本をくれた田嶋先生はね、お父さんのアンザイレンパートナーだったんだよ?

そんなふう周太は土曜の夜、嬉しそうに話してくれた。
いつもの穏かな声は幸せそうに笑って、黒目がちの瞳は明るく微笑んだ。
けれど周太ならもう気づいている、父のアンザイレンパートナーだと言う男の体格に父の現実をもう気づいてしまった。

「…でも何も言ってくれなかった」

ひとり呟いた声は喧騒に消されて、誰も知らない。
大勢の聴衆は笑顔で階段教室を下りてゆく、けれど独り静謐が自分を籠める。
最後列の中央に座って見おろす席に唯一人、座りこんだまま土曜の夜は記憶から話しだす。

「この本はね、英二?お父さんが大学4年間で書いた論文とかが全部入ってるの、田嶋先生が作ってくれたんだ、
お父さんの研究を全て大切に遺したいからって私費出版してくれたの…先生はね、お父さんを天才だって信じてくれてるんだよ?
この一冊は俺にあげようって持って来てくれてたんだ、研究生になるお祝いにって…俺が誰かも知らなかったのに持ってきてくれて、」

七機に異動してから1週間、毎晩毎朝を過ごした周太の部屋で話してくれた言葉たちは温かい。
あの黒目がちの瞳は幸せに笑って、深い緑色の表紙を優しい掌に包んで教えてくれた。

「表紙、きれいな緑でしょ?お父さんと先生が一緒に登った山のイメージなの、アンザイレンパートナーへの気持ちを籠めてくれた色。
俺ね、お父さんにこういう友達が居てくれるの本当に嬉しいの…お父さんってね、いつも優しくて穏やかだったけど、どこか寂しそうで。
だから青木先生にも感謝してるの、田嶋先生に翻訳のことで俺を紹介して下さったからお父さんのこと、教えてもらえてて嬉しい…この本も、」

感謝している、嬉しい、そう微笑んだ声は穏やかなまま優しく澄んでいた。
深緑色の一冊を見つめる眼差しは幸せだけに笑って、すこし小さな掌はそっと表紙を開いた。
開かれた白いページにはアルファベット鮮やかに綴られる、その詩文に周太は微笑んで教えてくれた。

「これね、シェイクスピアが大切な人に贈った詩だってお父さんは言ってたんだ…恋愛より深い気持がある相手への、手紙みたいな詩、」

I give it to an epitaph of savant Kaoru Yuhara.

And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

[Cited from Shakespeare's Sonnet18]

英文で綴られる詞書と詩の抜粋は、馨の言葉通りだと想えた。
その綴りを指なぞらせながら周太はオレンジの香と口遊んだ。

「研鑽たゆまぬ学者、湯原馨の碑銘に捧げる。
 夏の限られた時は短すぎる一日。
 天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
 時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
 清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
 偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
 けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
 清らかな貴方の美を奪えない、
 貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
 永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
 人々が息づき瞳が見える限り、
 この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける…」

詩を詠みあげる声は穏やかに微笑んでいた。
黒目がちの瞳は澄んだままページを見つめ、そして自分を見つめて笑ってくれた。

「田嶋先生はね、お父さんはいつか文学に戻るべき人だって信じてくれてるんだよ?お父さんは学問に愛される人だって言ってくれた、
俺の声と笑った貌を見てると信じた通りって想えるって…俺のなかに生きてお父さんもお祖父さんも帰って来たって笑ってくれたんだ、」

そう話してくれた笑顔は、きっと忘れられない。

あの笑顔のまま日曜の朝も笑ってくれた、夜は自分の部屋を訪ねてくれた。
そして今朝、あの笑顔のまま周太はスーツ姿で振向いて穏やか声に微笑んだ。

「祖父がくれた宿題を見つけに行ってくるね?プレゼントは全部、ちゃんと受けとりたいから、」

“Je te donne la recherche”探し物を君に贈る

それが晉から馨に贈ったメッセージだった、この伝言を受けとめる為に周太は行ってしまった。
このメッセージ遺された一冊を周太に贈った男と向かいあう為に今日、ここに自分は座っている。

―馨さん、あなたのアンザイレンパートナーに俺を見つけさせて下さい、

心祈りながら立ちあがった大教室は、もう誰もが出口を潜っている。
喧騒の薄れゆく高い天井には照明が消えて、夏を名残らす陽射しが古いガラスから降りそそぐ。
もう季節は移ろってゆく、そんな光線に照らされた階段を踏み出した一歩から、足音は響きだす。

かつん、かつん、かつん…

ひとつ、ひとつ、足音は天上高く響かせる。
漆喰と木造の穏かな空間は経りた星霜くゆらせて、足音だけが響く。
ゆるやかな午後の光が足元から影を長く延ばす、その蒼い自分の影を踏んでゆく。

―馨さんの影に俺が入っていくみたいだな、

影踏む革靴に微笑んで独り、心に写真を描く。
懐かしい書斎机の写真立に微笑んだ男の瞳、あの眼差しを自分の瞳に映す。
そんな想いに書斎の時間から黒目がちの瞳が微笑んで、穏やかな凛とした声に温かい。

『英二の目ってお父さんと似てるんだ、笑った貌とかね、なんか雰囲気が似てる…お母さんもそう言ってて、』

愛しい声が記憶に笑って自分の顔と写真の顔に見比べる。
そう最初に言われた時は自覚が無くて、けれどある日の鏡に見た貌に気が付いた。
そして夏の初めに除籍謄本から真実を知らされて今、この手に提げた鞄には2つの証しが入っている。

“Confession”

そう綴られた一冊の本は祖母から自分が受け継いだ。
この一冊に継いだメッセージは真実の告解、その懺悔と有罪の自白。
そんな全てを独り負わされたまま死んでしまった男の影ごと今、自分が嗣ぐ。
あの優しさ、あの翳り、あの穏やかで凛とした深い声は喉に籠らせて、そして扉を潜る。

「あ、まだ居たのに電気消してしまったな?すみません、」

明朗な声が笑って、腕まくりしたワイシャツ姿がこちらを振り向く。
夏の名残の光だけのエントランス、向きあった明敏な瞳は笑いかけて、そして止まった。

「…っ」

息を呑む、そして見つめる。
見つめる明敏な瞳は細められ、すぐ大きくなって真直ぐ見つめる。
真直ぐに自分を見つめてくれる瞳孔に眼差し繋げ、英二は穏やかなまま綺麗に微笑んだ。

「講義ありがとうございました、」

いま微笑んだ声は、いつもの自分の声と違う。
この一週間を聴いて幸せだった愛しい声、あの声なぞらせた前で明敏な瞳が揺れる。
揺らいだ瞳孔から感情があふれ出す、その全てに微笑んで踵返した背中に聲が呼びとめた。

「待ってくれ!」

待ってくれ、そう叫んだ聲が今、29年を超えてアンザイレンパートナーを呼び戻す。






(to be continued)


【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」より抜粋】


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