萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

水無月十四日、梔子―transport of joy

2017-06-14 14:44:00 | 創作短篇:日花物語
見えずとも、
6月14日の誕生花


水無月十四日、梔子―transport of joy

香る、くちなしが咲いた。

「…、」

沈黙だけ横たわる、縁先あわく濃く甘い。
あまやかな闇ひそやかな夜、しめやかな雨音ひくく透りゆく。
滴る音、きらめく一滴、葉に花に撃たれて落ちる水の音、一滴また香りたつ。

あまい甘い深い夜、ほら、懐かしい言葉がページ繰る。

『ほんとうは、僕たちは何も見えていないんだろうね?でも、それでも真実に気がつける…見えないことがわかったなら、』

謎かけみたいだ、父の声。

もう遠くなってしまった幼い幸福、そこに父が笑っている。
遠いぶんだけ眩しい幸福、まぶしい夜やわらかに謳いだす。

I cannot see what flowers are at my feet,
Nor what soft incense hangs upon the boughs,
But, in embalmed darkness, guess each sweet
 Wherewith the seasonable month endows

足元の花たちを僕は見られない、
梢まとうやわらかな香もまた見えない
けれど、消えない暗闇の中、甘い感覚たどればいい
この季かなう月は何に縁るだろう

「…おとうさん?」

呼びかけて独り、唇があまい。
香らす闇に揺れる気配、花したたる雨の光。
いま独り座りこんだテラス湿り気、まだ止まない雨に花が香る。

あ、違う香あまい?

「…、」

芳香の闇に心澄ます、ほら、ちいさな足音やわらかい。
廊下しとやかな小さな足、それから奥ゆかしい石鹸の匂う。
もうじき独りじゃなくなる、その瞬間たどる香に花まばゆい、そして幸福の呼び声。

「あの…あ、なた?どこ、」

ほら?呼んでくれる幸福の声、香。

「ね…お父さん?僕、幸せでしょう?」

ちいさく微笑んで唇あまい、なつかしい香。
そして石鹸やわらかに奥ゆかしい、それから君の香。

「テラスにいるよ、足もと気をつけて?」

呼びかけて微笑んで、あまい馥郁やわらかな香。
ずっと独りだった場所へ香り近づく、やさしい小さな足音の響き。

「はい、…あ、すてきなお月さん、」

澄んだ声ふわり笑う、あまい馥郁に月が照る。
ひそやかな光に横顔ふわり、真昼より白い薔薇色の頬まぶしい。
寝巻しなやかな首すじも光る、こんなに君は色白だったろうか?

「満月なんだ…すこし、お月見しよう?」
「うんっ…あ、はい、」

笑いかけて君が笑う、ほら薔薇色が透る。
見慣れたより澄んだ君の肌、昨日より甘い君の香。

「いいお月さま…あ、なた?お月見酒し、いかがですか?」

まだ慣れないんだ、その呼び方。
こっちこそ慣れていない、不慣れな幸福に微笑んだ。

「ん、月見酒いいね…あとね、今までどおりの呼び方でいいよ?ふたりの時はかまわないと思う、」

昨日と今日、たった一日で変わってしまった関係。
その違い途惑うのは君だけじゃない、それでも澄んだ瞳はにかんだ。

「はい…だ、んなさまがそのほうがいいなら、」

大きな瞳ゆるやかに瞬く、長い睫きらり月光あそぶ。
すこし傾げた黒髪なめらかな結い髪、ふっと香あわく甘く誘う。

ほらお父さん、僕、今すごく幸せだ?

「ん、今までどおり呼んで?お酒なにがいいかな、」

笑いかけ立ちあがって、ほら君が見あげる。
昨日と同じ君の匂い、でも眼ざし昨日より甘くて、でも笑ってくれる。

「私がしたくする、します。何がいい、ですか?」
「一緒に支度しよ?僕がしたいんだ、」

連れだって二人、テラスに踵かえす。
歩きだして馥郁ふれる、あまい甘い夜が香りたつ。

「嬉しいな、けっこんしても優しいね…あ、ですね?」

澄んだ声が見あげる、廊下の薄明り瞳きらめく。
いつもより透けるような笑顔に笑いかけた。

「僕は変わらないよ?だからそんなに緊張しないで、おくさんになっても、」

あああ、僕こそ呼んで緊張した今。

君をこんなふう呼ぶなんて、思っていなかったよ初対面あのとき。
けれど今ほら見あげてくれる笑顔、こんな幸せに緊張も報われる。

「うんっ…私も変わらない、大好き、」

ほら君が笑う、薄明りにも透る明るい声、あまい優しい香。
闇まばゆい芳香に輝く君、さわやかで甘くて、やさしい幸福の匂う。

ほら?月が照らす。


【引用詩文:John Keats「Ode to a Naightingale」抜粋自訳】
梔子:クチナシ、花言葉「あまりに幸せです・喜びを運ぶ、洗練、優雅」

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2 コメント

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Unknown (dan)
2017-06-14 17:03:17
ほっこりほんわか。嬉しくて笑えて来る。
あの物静かなくちなしの花の白さからお父さんへ。
そのあと話は私の想像と全く違う展開に。
なんて素敵ほほほ、乙女バアサンの私。思わず
遠い遠い昔を思い出したりして。
幼馴染や初恋もいいけど、幸せな夫婦もいいテーマになると思いませんか。
有難うございました。
danさんへ (智)
2017-06-15 13:52:21
楽しんでもらえて良かったです、笑
ひさしぶりに夫婦の話を書いてみました、まだ新婚なおふたりさんです。
違う展開、どんな話を想像されていましたか?

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