萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

第9章 Aither 天上の光 act.13-Aesculapius 杜嶺の医神

2017-03-13 13:30:00 | Aesculapius 杜嶺の医神
Turn wheresoe‘er I may, 山上で、
雅樹28歳・光一13歳9月



第9章 Aither 天上の光 act.13-Aesculapius 杜嶺の医神

岩峰を降りて山頂直下、雲の海はるかな青。

「ホントいい朝だね、雅樹さんっ?」

澄んだテノール光きらめく。
稜線あざやかな青と白、瞳ほそめ少年が笑う。
雪白の横顔きらきら眩しくて、ただ愛しくて笑った。

「そうだね光一、お腹ちゃんと空いてるかな?」
「ウンと空いたねっ、」

健やかな返事きらきら笑う。
標高を上げても損なわれない、強靭な健康に微笑んだ。

「光一は標高の変化も強いね、持久力も肺活量もしっかりしてる、」

この少年の身体能力は高い、その姿ずっと見てきた。
そうして迎えた十三歳の初秋が明るく笑う。

「雅樹さんの指導がイイからねっ、」
「光一の素質がいいんだよ、」

朝陽に笑いかけた言葉、なにげない言葉に止まる。
冷たい大気を透る風は明るい、もう昇った朝、けれど心掠める声。

―…The innocent brightness of a new-born Day、生まれたての今日だね、雅樹?

深く低く響く声、どうして心こんなに離れない?
もう死んだはずの声、それでも谺する言葉そっと首ふり笑った。

「朝ごはん、小屋の前でいいのかな?」
「うんっ、いつもの朝ゴハンだねっ、」

ぱっと澄んだ声が笑う。
健やかな生きた声、その鼓動につかまれる。

―光一も僕も生きてるんだ、明広さんが死んでも、

朗らかな澄んだテノール、生きた健やかな少年の声。
こんなに眩しくて、それでも少年の両親は消えてしまった。

―僕たちは生きてる、明広さんが死んでも…奏子さんがいなくても、

ほら、親しい笑顔ふたつめぐる。
雪焼あざやかな涼しい瞳、その隣は透けるような美しい横顔。
あの白い横顔は目の前の笑顔に重なって、そうして雪焼の眼ざしに変わる。

『雅樹、山ってイイだろ?』

いいだろう?そんな自慢に笑っていた。
笑っていたくせに明広さん、どうして死んだ?

―ずるいよ明広さん、山を見ると…ひっかきまわされるよ?

ひきずられる足もと、砂礫ふれる視界は青い。
青はるかな雲の海、朝陽きらめく広大に泣きたくなる。
こんなにも繰りかえして繰りかえして、そうして着いた小屋に立ち止まった。

「着いたね雅樹さんっ、朝でもコーヒー飲めるんだっけね?」

見あげてくれる瞳あざやかに明るい。
その登山ウェアも青まぶしくて、ただ愛しく微笑んだ。

「そうだよ、朝ごはんの後に飲もうか?」
「モーニングコーヒーいいねっ、朝飯したら飲もうねっ、」

底抜けに明るい瞳が笑ってくれる。
青い登山ウェアまだ華奢で、けれど逞しい明るさ手に笑いかけた。

「まず、ごあいさつしよう?」
「うんっ、おはようございまーす、」

朗らかなテノール透って、奥から声が返る。
木目やわらかな受付台、日焼あざやかな顔が笑った。

「お、光ちゃんと吉村くんじゃないか?今年も来たなあ、」

昨夏も笑った瞳が笑ってくれる。
夏のならいにヘルメット脱ぎ、頭下げた。

「ご無沙汰しています、明広の通夜にありがとうございました、」

ここの小屋主も来てくれた。
春は黙礼だけ交わした相手は、そっと笑った。

「アキさん逝っちまったなあ…今シーズン、寂しかったよ?」

静かな哀惜やわらかに明るい。
こんなふう見送ること何度目なのだろう?山に生きる人に微笑んだ。

「いつも明広が本当にお世話になりました、ありがとうございました、」
「こっちこそだよ?いい写真をいつもうれしかった、」

やわらかな穏やかな声が懐かしむ。
穏やかな瞳ゆっくり瞬いて、日焼の頬やわらげた。

「今回は表銀座コースから来たんだろう?大天井に予約入ったって聞いてたよ、コッチは今年は泊まってくれないのかい?」

待っていてくれたんだ?
そんな小屋主の厚意に微笑んだ。

「ありがとうございます、今年は日程が短くて。すみません、」
「そうか、あいかわらず忙しそうだなあ?」

だったらこうしよう?
笑って主人は奥へ声かけた。

「おおーい、味噌汁の残り持ってきてくれんかー?椀は二つだあ、」

大らかな声に盆ひとつ、汁椀ふたつ運ばれてくる。
テーブル置いてくれる青年まだ若くて、初めて見る顔に微笑んだ。

「お忙しいのにすみません、ありがとうございます、」

会釈した先、その視線まっすぐ見てくる。
まっすぐ見つめて、そして青年は口開いた。

「あのっ、吉村雅樹先生ですよね?」

違えず名前を呼んでくれる。
どこかで会ったことあるだろうか?味噌やわらかな馥郁に微笑んだ。

「はい、吉村ですが?」
「ああやっぱり吉村先生だ…」

若い声ゆっくり瞳ひとつ瞬く。
こんな反応は意外で、途惑いながら笑いかけた。

「どこかでお会いしたでしょうか?忘れっぽくてすみません、」
「いえ、俺が一方的に知ってるだけなんです、すみません、」

盆さげて頭下げてくれる。
あまい深い芳香くゆらす湯気、小屋主が笑った。

「あのなあ吉村くん、この医学生クンな?吉村くん目当てでバイトにきたらしいんだ、」

そんなひといるんだ?
言われて困りたくなる隣、澄んだテノールが言った。

「雅樹さん、味噌汁が冷めちゃうよ?」

澄んだ声すこし低い。
どこか不機嫌なトーンに小屋主が笑った。

「ああ、ごめんよ光ちゃん?よかったら朝飯このまま食ってれ、大天井で弁当もらってきたんだろ?」
「もらってきたね、じゃあエンリョなく、」

黒目きれいな瞳が笑ってうなずく、でもすこし不機嫌だ?

―どうしたのかな光一?

ついさっきまでご機嫌だった。
急転した貌に汁椀そっと口つけて、気になるまま尋ねた。

「医学生なんですね、慈恵医大ですか?」

夏季、この山小屋は診療所が併設される。
その主体になる医科大学に青年はうなずいた。

「はい、医学科一年の戸川武雄です。ずっと山岳部です、」

東京慈恵会医科大学。

明治14年、1881年創立の成医会講習所に始まる私立の医科大学。
権威主義と研究至上主義から医学界は病人を研究材料とみる傾向が強かった当時、健全な医育機関を目標に創設された。
創設者が学んだ英国セント・トーマス病院医学校をモデルに「患者を研究材料とみる医風から、患者を病に悩む人間とみる医風へ」を掲げる。

その建学精神は自分も好きだ、はるかなる先達への敬意に笑いかけた。

「病気を診ずして病人を診よ、ですね?」
「そうです、吉村先生やっぱよく知っていますね、」

笑顔ぱっと無邪気ほころぶ。
まだ高校生みたいな医学生に微笑んだ。

「たいしたことないです、でも慈恵医大さんには僕もこれからお世話になります、」

これから、これから何年幾度を関わるだろう?
もう始まった時間に医学生が尋ねた。

「それって吉村先生、うちの大学の先生になるんですか?」

だったらいいなあ?
そんな視線ぱっと笑ってくれる、けれど違う事実に微笑んだ。

「いいえ、司法解剖のお世話になると思います、」

なるべく少なければいい、そんな哀しい「お世話」は。
願い汁椀くちつけて、啜りこんで訊かれた。

「司法解剖って先生、東京医科歯科も法医学あるのになんでですか?」

理由よく解らないな?
不思議そうな青年の眼に笑いかけた。

「この冬に僕は開業するんです、地域の警察医も勤めるのでお伺いするかと思います、」

東京慈恵会医科大学は現在、監察医制度施行地域以外である多摩・島しょ地域における解剖業務を杏林大学と共に委託されている。
これら大学二つとは紐帯がほしい、めぐらす思案に医学生が尋ねた。

「先生のご出身は御岳ですよね、青梅署の警察医ってことですか?」
「はい、今は現職の先生に教えて頂いています、」

答えながら隣、雪白やさしい手が箸をうごかす。
艶やかな白飯もくもく少年は頬張る、その薄紅やさしい唇に笑いかけた。

「光一、おべんとうつけてるよ?」

笑いかけて指さき、少年の口もとふれる。
ふれて温かい米粒ひとつ、つみとり何げなく自分の口ふくんで言われた。

「吉村先生、その子、もしかして彼女ですか?」

ああまた誤解されるんだ?

―そんなに女の子に見えるかな?綺麗な子だけど、すごく男なんだけどな?

いつもながらの声に首かしげたくなる。
たしかに見た目は美少女かもしれない、それでも男論理な少年は唇の片端あげた。

「だったらねえトガワさん?恋のオジャマムシってあだ名つけちゃうかね?」

ああますます不機嫌だ?
また困りながら登山ザックの弁当だした。

「光一は僕の息子でアンザイレンパートナーだよ?戸川君、僕も朝ごはん食べさせてもらうね、」

もう口になにか入れてしまおう、そのほうが今はいい。
プラスチックの弁当箱ひらいたテーブル、青年が言った。

「すみません男の子だったんですね、ごめんねコウイチくん?」
「ふん?別にいいですよ、」

そっけない、でも返事はしてくれる。
すこしの安堵ほっと箸つけて、総菜ひとつ醤油あまからく生き返る。
夜中と朝のはざかい作られた弁当は冷めて、それでも沁みる味に微笑んだ。

―おいしいな、ひさしぶりの味だ…、

あの山小屋で弁当を買う、そうして登頂後に食べる。
五年前あたりまえだったこと、そんな過去にまた思い出してしまう。

『うまいねえ、山の飯ってうまいよな雅樹?』

なつかしい笑顔、頬ばる日焼あざやかな輪郭。
あの涼しい瞳いつも満足気で、その面影が隣で少年になって頬ばる。
こんなふう重ねること去年までなかった、そんなひと時に小屋主が笑った。

「なあ光ちゃん、この医学生クンな?夏の診療所で吉村くんを待ってたんだ、でも会えなかったから週末もバイトきてるんだ。解ってやれないかい?」

これで「解ってやれない」なんて言われたらどうしよう?
困った想像と弁当たいらげて、味噌汁のんびり温かい。

(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」」/Pierre de Ronsard「Les Amours de Cassandre」】


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