萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

第85話 暮春 act.24-side story「陽はまた昇る」

2017-06-16 22:00:21 | 陽はまた昇るside story
My world’s both parts
英二24歳3月下旬


第85話 暮春 act.24-side story「陽はまた昇る」

潮騒ざわめく、あまく香る。

かすかな苦み甘い音、遠く近く飛沫の声。
砕ける光よせる泡、きらめいて囁いて海が響く。
ひろやかな青、うちよせる蒼、静かな浜に英二は微笑んだ。

「は…逃げる、とか?」

つぶやいた自嘲に潮ふれる。
ほろ苦い甘い香くりかえす、あの声。

『あなたが帰る場所は、あるの?』

おだやかな澄んだ声、ただ優しかった。
優しい透明、だから答えられなかった、この自分が。

“帰る場所はある?”

答えられない、訊きたい。
この自分こそ尋ねたい、自分はどこに帰ればいい?

「周太、」

呼びかけて、でも君はいない。
すぐ隣で笑っていた君、あの夏から一年も経っていないのに?

―…見て、桜貝、

ほら君の声、潮騒にうちよせる。
まだ響いてくる君の声、今この耳もと囁くように。

―…桜貝、今日は無理かなって思ってたんだ…冬に拾える貝だから、

あの夏に冬過ぎて、今は春。
もう桜貝は見つからない、それでも眺めた足もと呼ばれた。

「英二?」

名前まだ呼んでくれる、でも違う。
探したい声と違って、それでも会いに来た相手へ笑った。

「おはようございます、お祖母さん?」
「おはよう、」

低いアルトさらり笑う、白皙の微笑やってくる。
さくり、さくり、砂ゆるく渉るデッキシューズ立ち止まった。

「やっぱり来たのね、家出息子クン?」

切長い瞳ほがらかに笑う、その目もと皺さえ華やぐ。
変わらない祖母の笑顔に英二も笑った。

「俺がここに来るって解ってました?」
「わかるわよ、あなたも私が来ると解ってたでしょ?」

波うちぎわ、白い長い指がむこう指す。
示された先へ、ふたり歩きだして言った。

「そうだよ?俺、お祖母さんに会いたくて来たんだ、」

この祖母なら、そう想ってしまった。
想い踏みしめる砂の浜、低いアルト微笑んだ。

「そうね、私も英二に会いたくて来たわ、」

解っている、このひとは。
どうにもならない共鳴に笑った。

「似ていますね、どうにも?」

この祖母は似ている、そして違う。
この懐かしい相似と相違の瞳が笑ってくれた。

「だから腹も立つし憎めないわ、こんな悪い男なのにね?」
「俺が悪かったら、あなたも悪女かもしれませんね、」

笑い返して切長い瞳が笑う。
濃やかな睫に朝陽を見て、たどりついた草地の岩に腰下した。

「お祖母さん、どうして気が変わりました?」

これだけ言えば解る、このひとは。
その変わらない瞳が自分を映して言った。

「斗貴子さんの手紙、英二は読んだかしら?」

手紙?

「周太のお祖母さんの?」

そんなものあったろうか、手紙?

「読んでないみたいね、その貌は?」
「はい、」

見透かされる眼に肯いて、離れた時間うちよせる。
もう自分は知らない、知らない「君」増えてゆく。

「美代ちゃんは読んだのよ、周太くんにお願いされて、」

あの女、どうして?

「怖い眼ね、ほんと心配だわ?」

低いアルト微笑む、その瞳に見つめ返す。
映る自分の貌に白い手のべられた。

「英二も読んでみなさい、頂いたコピーだけど、」

白い封筒ひとつ、差しだされる。
透かし彫り浮きあがる花の柄、アルト深く微笑んだ。

「封筒は斗貴子さん愛用のものよ、私も同じもの持ってたから、」

一重やわらかな花の清楚、やさしい手ざわり。
見つめて触れる面影に封筒を開いた。

―祖母の筆跡じゃない、あ…、

万年筆やさしい手蹟、初めて見る。
けれど何か懐かしい文字、その初句が撃った。

“愛しい君へ はじめまして、未来に生まれている君へ。”

ああ、そうか?

「お正月に周太くんが見つけたの、」

正月、そのあと逢えたのは雪の中だ。
だから自分は読めるはずない、納得しながらも言葉が撃つ。

……

愛しい君へ

はじめまして、未来に生まれている君へ。
私は君のお父さん、馨さんのお母さんで君にはお祖母さんになります。
名前は斗貴子「ときこ」と読むんですよ、旧姓は榊原といって世田谷にお家がありました。
その家は君がこの手紙を読むころには無いかもしれません、私は兄弟がいなくて一人っ子だから家を守る人がいないんです。

こんなふうに書くと分かってしまうかしれないけれど、私は君が生まれるよりずっと前にこの世から消えます。
私は喘息という病気で心臓も弱いの、長くは生きられません。君のお父さんが大人になる姿も見られず世を去るでしょう。
本当はもっと生きて馨さんが大人になったところも見たいです、入学式も遠足も一緒にしたいけれど叶いそうにありません。
でも、あなたに逢いたいです。

馨さんの子供である君に逢いたい、お祖母ちゃんですよと笑いかけて抱きしめたいわ。
どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に逢いたくて、つい馨さんの姿に想像します。
もしかして髪はくせ毛ですか、私がそうだから馨さんもくせ毛です。本は好きかしら、花を見るのも好きでしょうか。
こんなに想像するほど君に逢いたいです、だから手紙を書くことにしました。何年先になるか解からなくても必ず届く魔法で贈ります。
この魔法は叶っているはずです、何故って今こうして君は読んでいるでしょう?

君と一緒にしたい事はたくさんあります。

……

なめらかな筆跡、やさしい言葉。
書いた手が偲ばれる、どんな貌、どんな瞳で記したか?
そうして撃たれてゆく自分の鼓動、こんなこと最初に悩んで、そして見ないフリしてた。

“どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に逢いたくて、”

この願い、君だって同じだろう?

「お祖母さん…周太は」

問いかけて言葉とぎれる、静かな瞳に。
手紙一通はさんで向かう、その眼やわらかに微笑んだ。

「まず読みなさい英二、それからでいいわ…待ってるから、」

ダークブラウンの髪なびく海、ほろ甘い辛い苦い潮の風。
白皙の横顔そっと波を見る、眺める目もと皺がやさしい。
この眼ざしに君は誰見るのだろう?想い、便箋を見た。

……
君と手をつないで庭を散歩したいです、私が好きな花を一緒に見たいわ、白い一重の薔薇ですよ。
本もたくさん読んであげたい、書斎はたくさん本があるでしょう?東側の飾棚は私が御嫁入りに連れてきた本です。
お菓子も一緒に作りたいわ、スコンは君のお祖父さんもお気に入りです、君も私みたいに甘いものが大好きかしら。
私の母校でも一緒に散歩したいわ、大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。

お祖父さんの晉さんと私は大学の研究室で出逢ったの、フランス文学の研究室です。お互い本が大好きだから逢えました。
君のお祖父さんはフランス文学の学者です、戦争のあと独りでフランスに留学して一生懸命に勉強した立派な方です。
いろんなご苦労をされてきました、その苦労の分だけ濾過された心が本当に綺麗で瞳にも表れています。
私は君のお祖父さんの妻になれて本当に幸せです、そして教え子であることも誇りです。

私と君のお祖父さんは齢が十五歳も違います、でも共通点が恋になりました。
……

やさしい筆跡に綴る想い、ぜんぶ「君」へ。
心は封筒にも映る「白い一重の薔薇」透かし彫りの紙。
それだけじゃない、「本」「お菓子」「スコン」「図書館」そして「研究室」も。

―ぜんぶ周太に届いてる、なにもかも、

筆跡の想い「君」に映る、手蹟が願うままに。
だって君は本を読み菓子を焼く、図書館にも通う。

“君と一緒にしたい事はたくさんあります。”

一緒にしたい、そう願うまま「君」はどれも好きだ。
そして近い研究室の未来、そこに自分はいられない。
だからまた撃たれる、筆跡の言葉に。

“共通点が恋になりました。”

共通点なんかあるだろうか、俺と君に?

……
二人とも文学が大好きだという共通点です、フランス文学にイギリス文学、もちろん日本の文学も大好き。
私は体が弱くて学校に行けない日も多かったの、そんな私にとって本はいちばん傍にいる友達です。
それでも学校は好きだったのよ?だから尚更に学校へ行けない日もベッドで本を読み勉強しました。
そんな私だから君のお祖父さんが書いた本とも出逢えたの、彼の言葉たちは鼓動から響きました。
響いたから大学へ行きたいと夢を抱いたのよ、君のお祖父さんに逢いたくて。

君が生きる時代は女の子たちも大学に行きますか。
……

万年筆が遺す想い、そのまま今朝のテレビに見た。
だから君が彼女と映ったのだろう、途惑ったような泣顔の笑顔と。

“東大に合格も恋も咲く”

テロップに映されたのは「君」その隣は「女の子」で「大学」合格発表の掲示板前。
見たのは今朝だった、でも昨日に映された現実で、そのとき自分は違う場所にいた。

―このひとが望んだ姿なのかな、あれが、

今朝のニュース画像が筆跡に重なりだす。
すこしずつ無彩色になる視界、それでも筆跡あざやなブルーブラックに謳う。

……
私の時代は女が四年制大学に行くことは珍しくて、合格も難しいと思われていました。
それでも私は大学へ行きました、君のお祖父さんと逢いたくて日本でいちばん難しい大学を受験したの。
病気がちで大学なんて無謀だとお医者さまにも叱られました、でも短い命ならばこそ夢を見に行きたいとお願いしたの。
どうしても君のお祖父さんに御礼を言いたくて、それには学生になって逢いに行くことが一番の恩返しだと想えて大学に進みました。

だって君、学問は受け継がれていくものです。
たとえば文学は文字を通して世界を伝えていくことができます、それを読んだとき人は希望を見つけることも出来るの。
病気でベッドにいる時間すらフランスの風景に連れていってくれた、この心の自由をくれたのは君のお祖父さんが紡いだ言葉です。
それは君のお祖父さんがこの世を去っても遺ります、文学が文字が世界にあり続ける限り、君のお祖父さんがつむいだ自由は生きています。
そして私も生かされました。

But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

私が好きな詩の一部です、シェイクスピアというイギリスの詩人が詠みました。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」ソネットという十四行詩です。
言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われています。
この詩は学問をあゆむ全ての人に贈られるものです、この通りに君のお祖父さんは生きています。
きっと君のお父さんも同じように生きるでしょう、そして私も詩のように生きたのだと自負しています。
……

手紙のひと、あなたの願いは、望みは?
見つめる手蹟にただ見つめて解らなくなる、自分が信じていた全て。
この手紙に息づく願い温かい、ただ伝えたいと願って、祈っている。

「…君のお父さんも、同じように」

声こぼれて唇、風やわらかな潮があまい。
この祈りに自分は「生きた」のだろうか、出会って、逢って、護りたくて。

―斗貴子さん、俺はすこしでも手伝えましたか?それとも、

ゆっくり廻りだす想い、見つめる便箋まだ続く。
時を超えて届いた祈り、その手蹟たどる。

……
君のお父さんの名前は馨ですが「空」でもあります。
馨、この「かおる」という音はラテン語の“ caelum ”カエルムを充てたのです。
若葉の佳い香がする5月の青空の日に君のお父さんは生まれました、だから“ caelum ”です。
馨という文字は言葉を伝える「声」が入っているでしょう?きっと文学を愛する人になると思います。
そうして君に本を読み聴かせてくれるのだと予想しています、お祖母さんの予想は当たっていますか?

君の名前はどんな願いの祈りに付くのでしょう。
考えるだけで幸せになります、そして逢いたくて祈ってしまいます。
馨さんが大人になって大切な恋をして、そして君が生まれてきてくれること。その全てが幸せであれと祈ります。

馨さんが結婚する相手は素敵な女性でしょうね、君のお母さんになってくれる人ですから。
きっと私はすこしだけ嫉妬してしまいます、なぜって今も手紙を書きながら馨さんを見ていて愛しいのです。
こんなに馨さんが愛しいもの、馨さんの子供である君も愛しくて宝物で、誰よりも幸せを願わずにいられません。
だからこそ君のお母さんが幸せである日々を祈ります、君が笑っていられるように。
……

ブルーブラックの筆跡、潮風あまくほろ苦い。
見つめる想い綴られる言葉、願って祈ってインクあふれだす。
この手紙は「君」を愛している、まだ生まれてもいない「君」に幸福を捧げたがっている。
まだ幼い赤ん坊の息子を抱いて、その未来その先まで愛しんで祈りあふれて、そうして思い知らされる。

こんなふうに自分は愛され、生まれたろうか?

『あなたが帰る場所は、あるの?』

問いかけてくる記憶の眼。
よく知らない相手、それなのに瞳おだやかに懐かしかった。
あの眼ざしに問われて答えられなくて、逃げてきた海で思い知らされる。

……
君のお祖父さんに、新しい奥さんを迎えてとお願いしました。
私は君のお父さんのきょうだいは産めません、でも健康な新しいお母さんがきたら馨さんにきょうだいが出来るでしょう。
私はきょうだいが無いけれど仲良しの従妹がいます、顕子さんといって馨さんのことも可愛がってくれる頼もしい人です。
病気がちの私をいつも見舞ってくれたのも顕子さんです、彼女が従妹だから私はたくさん笑っていられました。
そういう信頼できる身内が馨さんにもいてほしくて晉さんに再婚を勧めています。

ですから私ではないお祖母さまが君にはいるかもしれません。
その方と君は血のつながらない家族です、でもどうか大切にして下さいね。
家族は血の繋がりだけではありません、心が結ばれたなら幸福な家族です。

私は本当に幸せに生きました。
……

幸せに生きたひと、その手蹟が眩しい。
まぶしくて温かで求めたくなる、こんなふう自分も生まれたかった。
そんな本音あふれて撃たれて、そうして気づかされ思い知らされる。

だから周太、俺は君が欲しかった。

(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】


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