萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか純文学小説×写真×文学閑話

第8章 Minerva 智慧の盾 act.33-Aesculapius 杜嶺の医神

2016-10-14 23:15:07 | Aesculapius 杜嶺の医神
a la limite de l’air et de la terre. 晨の挟間で   
雅樹28歳・光一13歳8月下旬



第8章 Minerva 智慧の盾 act.33-Aesculapius 杜嶺の医神

車窓の空、もう暮れてしまう。

がたたんっ、たん、
規則的な車輪の音、その音ひとつ太陽また沈む。
朱色ゆるく墨いろ刷いてゆく、もう近い夜に待ち人が切ない。

「…ごめん光一、」

がたたたんっ、

ひとりごと車輪が砕く、重たい轟き扉ぶつかる。
スーツの肩ごし夕映え濃やかで、視界まばゆく肚底を射る。
だって待たせてしまう、その焦りごと雅樹は携帯電話ひらいた。

「あ、」

ほら、受信メール1通。

……
From:光一
Sub :おつかれさま
本 文:おつかれさまです雅樹さん、こっちさっき帰ってきたよ。
    夕飯あとは飯を炊くばかりだからね、ウチに着く30分前にメールしてください。
……

出迎えてあげられなかった、二日ぶりなのに?
だから早く帰るつもりだった、けれど自分の道に背けない。

『そのご遺体も幸せな死だと思うよ、ひとつの命に人生を示せたんだ、12歳の君に、』

また響く二時間前の声、あの解剖医が言う通りな自分の道。
そうして今も大切な人を待たしている、こんな自分は君に相応しい?

「ごめん…光一、」

がたたんっ、スーツの肩ゆすられ扉もたれる。
射しこむ朱色あわく電子文字かすむ、その一字ずつ愛しくて哀しい。

―夏休みなのに留守番させてばかりだ、僕は…保護者失格かもしれない、

八月の終わり、中学一年生には夏休み終盤。
きっと誰もが宿題に遊びに満喫している、でも自分の宝物はどうだろう?
こんなふうに家事と自分の心配ばかりさせて、こんなことで夏休みと言えるのだろうか。

「ごめん、」

がたたたんっ、走らす車輪に心が奔る。
待ち人に焦って逢いたくて、それでもほら、響く。

『だから私が診るのは死ではなく、生きた時間です、』

黄金まばゆい今日最後の陽、その光が先刻を照らしだす。
二時間前あの研究室も朱色まばゆくて、銀縁眼鏡の瞳は静かだった。

『対話するんだよ、ひとつの命の時間と。きっと君なら聴ける、』

死ではなく生きた時間を診る、その対話。
そう告げた解剖医の眼は穏やかで静かで、そして明るかった。

「…聴けるのかな、僕も、」

つぶやいて車輪の音かすかに緩む。
もうじき着く、そんな車窓にメールひとつ送った。



街燈の道をレザーソール駆けエントランス、オートロックのキーボード敲く。
開錠すぐ開かれた扉、駆けこんで階段ひとつ飛ばし靴音が昇る。

たんたんたん、

規則正しい駆ける音、この音ひとつ君に近づく。
もしかして拗ねられるだろうか、いっそ拗ねてワガママ言って欲しい。

「は…、」

呼吸ひとつ扉に止まる、ポケット探ってコードヴァンふれる。
藍鉄色なめらかなキーケース握りしめ鍵さしこんで、かちり開いて呼ばれた。

「おかえりなさい雅樹さんっ、」

澄んだテノールふわり抱きつく、頬ふれる頬なめらかに温かい。
ワイシャツくるり腕かけられ温かで、くるまれる香ほっと抱き寄せた。

「ただいま光一、僕を怒っていいよ?」

怒ってくれたら良い、そのほうが幸せだ。
願い見つめた玄関先、抱きしめる笑顔が訊いてくれた。

「なんで雅樹さんを怒るのかね?」
「出迎えてあげられなかったろ?二日ぶりに光一、帰ってきてくれたのに、」

答えながら革靴を脱いで、爪先ふっと解放される。
帰ってきた、その安堵ごと澄んだ瞳ぱっと笑った。

「そんなの怒らなくってイイよ?俺こそ二日ぶりに出迎えたかったもん、おかえりなさい雅樹さんっ、」

雪白の笑顔が頬よせる、やさしい薔薇色ふれて温かい。
また受けとめられる温もり幸せで笑った。

「ただいま、光一もおかえりなさい、」
「うんっ、ただいま雅樹さんっ、」

底抜けに明るい瞳が笑ってくれる。
今夜も帰り遅れてしまった、それでも抱きとめたい願い笑いかけた。

「おかえり、二晩分いっぱい話そう?」

三日二晩分、離れていた分だけ話したい知りたい。
そうしてまた重ねたい想いに訊いてくれた。

「いっぱい話したいねっ、雅樹さん昨日と今日はナニしてたかね?」
「大学病院にいたよ、今日は違う大学にも行ってきたんだ。遅くなってごめん、」

スリッパ履きながら記憶、息ふっと詰まる。
二時間前あの銀色にぶい台の上、ちいさな遺体、硬く凍えた肌とメス。

『なぜ君は子どもの司法解剖を見せられたのだろう?』

銀縁眼鏡の眼ざしが問う、そこにある現実と目の前の笑顔。
この笑顔どうしたら護られるのだろう?


(to be continued)

【引用詩文:Rene Char「Feuillets d’Hypnos」より】

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

blogramランキング参加中! 人気ブログランキングへ 

PVアクセスランキング にほんブログ村
著作権法より無断利用転載ほか禁じます
ジャンル:
小説
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第85話 暮春 act.16-side s... | トップ | 休日雑談:秋晴のインドア »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。