萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第77話 結氷 act.9-side story「陽はまた昇る」

2014-07-11 22:30:09 | 陽はまた昇るside story
cornice 生の懸崖



第77話 結氷 act.9-side story「陽はまた昇る」

そこは懸崖の涯だった。

標高1,363.3m 川苔山の下山ルートはいくつかある。
その一つ、真名井北陵から真名井沢を下降して大丹波へ下りる道は急峻で事故が多い。
そして今もまた小雪けぶらす視界の先、切れ落ちた白銀とうずくまる人影に英二は振り向いた。

「後藤さん、一人しか見えません、」

道迷い“2名”

そう救助要請の報に聴いている、けれど雪稜に今は一人だけ。
こんな現状に考えられることは一つしかない、この現状に熟練の山ヤは訊き返した。

「一人か?要請は二人のはずだが、」
「ここから見えるのは一人です、でも近くにいるでしょう、」

答えてまた歩きだす背後、溜息ひとつ黙りこむ。
そんな気持ちはレスキューなら誰も同じだろう、その予測を言葉にした。

「ここは何度も転落事故が起きているポイントです、たぶん雪庇を踏抜いたのだと思います、」

いま山中の積雪は50cmを超えている。
この雪が草叢の上に積もれば道と見分けにくい、そこを踏めば転落する。
こんな危険は積雪期の山では当り前で、そして道迷いの焦りと雪中の疲労はミスを誘う。

「くそっ、無理に行動したんだな?急ぐぞ宮田、」

悔しげな声と速まる歩調にレスキューのプライドが温かい。
優しいからこそ悔しい、そんな想い自分の何倍も噛みしめる横顔に頷いた。

「急ぎましょう、低体温症を起こした判断ミスかもしれません、」

低体温症の涯、凍死遺体には不可解な行動の痕跡がある。
それと同じ結果が今も起きた、その予測ごと踏み分ける雪に息が白い。
もう15時過ぎた、それは山中の日没と気温低下の刻限でより高まる危険に後藤もため息吐いた。

「低体温症か、確かにこの天候じゃ起きそうだなあ?」

白い靄くゆらせて仰いだ先、空は薄墨あわく白が厚い。
まだ雪は降る、それが小雪から吹雪きだす観天望気に振り向いた。

「後藤さん、転落者の搬送はヘリが使えないかもしれません、消防は他の2件に向かってますよね?」

ここの一報は道迷い、そして同時の他2件は受傷有との報せだった。
それなら消防の救急隊員は他へ回ってしまう、そんな状況に副隊長は軽く息呑んだ。

「しまった、こりゃあ応援の期待は出来んぞ?」
「はい、」

頷いて駈けてゆく足元、埋まる雪が深くなった。
こうした雪中を搬送したことはある、けれど怪我人の容態次第では二人だけで無事に済むだろうか?

―もし頸椎や背骨がやられていたら危険だ、でもビバークで待機なんか出来るのか?

おそらく夕刻に雪は強くなる、それでも自分と後藤は一晩くらい耐えるだろう。
けれど要救助者2人にそれだけの体力と技術があるだろうか?そんな不安すら微笑んで崖上に着いた。

「警察の救助隊です、救助を要請された方ですか?」

穏やかに問いかけた先、うずくまったウェア姿が顔上げる。
報せ通りに三十代らしき男の顔色は白い、それでも確りとした眼差しが頷いてくれた。

「はい、二人組の道迷いと連絡した者です…でも同行者がここから落ちて、」

話してくれる声すこし震えている、それは緊張の為だろうか?
それとも低体温症の初期、寒冷反応による筋肉の震えと末梢血管の収縮だろうか。
その判断を見つめながらポケットからオレンジ色のパッケージ取りだし一粒そっと手渡した。

「解かりました、まず口に入れて下さい。甘いものは落着きますから、」

動揺は次の事故を呼んでしまう。
それだけは避けたい願いに男は微笑んだ。

「ありがとうございます、まず私も落着かないと困りますね?」
「はい、お願いします、」

笑いかけた向かい男の顔色いくらか明るんでいる。
こんな雪の日に山へ入るなら幾らか心得はあるのだろう、この様子に微笑んで振りむくと後藤が呼んだ。

「宮田、ちょっといいかい?」
「はい、」

答えて雪踏みこみ青い冬隊服の隣に立つ。
その眼差しが指す方を見ると深い声が告げた。

「前と同じポイントだよ、でも前より一段上の岩場だ…さっき少し動いたように見えたが、」

見下ろす先、切立った岩溝のテラスに人が倒れている。
積雪に白い岩棚は狭くて、それでも受けとめられた幸運に微笑んだ。

「雪がクッションになったのかもしれません、俺が降ります、後藤さんは彼から状況を聴いて頂けますか?」
「ああ、宮田が降りた方が良いだろよ、おまえさんがいてラッキーだったなあ、」

少し軽やかなトーンで静かに笑ってくれる。
その信頼に微笑んでザイルをセッティングすると雪の急斜を素早く降りた。

―アイガーや滝沢よりずっと楽だ、でも帰りは怪我人を背負って、

この雪に受傷者を背負い登ることは甘くない。
そして受傷状態によってはバスケット担架を遣うことになる、けれど二人でこの急斜面は難しい。
でも「出来ない」なんて降参する気は全く無い、その誇りに微笑んで50メートルザイルをまた繋ぐ。
たぶん3ピッチで降りられるだろう?そう予想した通りに着いた岩棚、ふわり積雪が登山靴を受けとめた。

この積雪なら命は助かっているかもしれない?

そんな期待と傍らに跪いた白銀、埋もれた体かすかに動く。
まだ痙攣している、この生体反応にザックおろしながら呼びかけた。

「いま救助隊が着きました、聞えますか、聞えたら目を開けて下さい、」

呼びかけの声もあまり大きくは出来ない。
山は昨日からの新雪で表層雪崩の危険がある、その可能性は今このテラスに怖い。

今ここで雪崩が直撃したら?

そんな可能性に英二はハーケン1本取り出し素早くセルフビレイした。
同じにもう1本を撃ちこみザイルを繋ぐ、そして倒れた青年の傍に置いた。

―こんなの気休めだ、でも何も無いよりは、

まだ受傷状態の確認前では下手にハーネスも着けられない。
けれど万が一には対応できる術を備えたくて、その為にも手早く診始めた。

「すみません、今から応急処置をしますよ?右手の指をさわります、」

呼びかけて、けれど反応は薄い。
脳震盪を起こしているのだろうか?もっと大きなダメージの可能性も高い。
そんな思案と眺める頭部はニット帽しか被っていない、せめてヘルメットを被っていたらと思ってしまう。

『芦峅寺ガイドは確かに古くから山岳救助のプロ集団だよ、山で仕事して生きてる仲間で助け合う伝統なんだ、スポーツや遊びと違う、』

動かす手許へと先刻に話していた後藤の声がよぎってゆく。
あの言葉から考えれば今この手を動かす相手は「スポーツや遊び」に入るのだろう。
それでも今こうして向きあえば願いたいことは唯ひとつだけ、その祈りが鼓動から指先へ息づきだす。

「大丈夫ですよ、頑張ってくださいっ、もうじき病院に行きますからね?家に帰りましょう、ご家族もお友達も待ってますよ?」

呼びかけ続けながら視線に受傷状態を確かめ手は応急処置へ動く。
こうして現場に立つことは機動隊舎の訓練所とは違う、その実感が雪に風に指先の体温に沁みる。

―時間が無い、でも焦るな、皆で帰るんだ、

もう15時半、そして雪崩の危険が高い場所、それでも「全員で無事帰還」を自分も護りたい。




(to be continued)

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