東京医科大学の入試に関する不正の件。
この件で思い出したのが、「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」という言葉。
問題のあるレストランというドラマのセリフ。
当時、この言葉を聞いて感銘を受けてネット上での反応を調べてみた。
するととても悲しいことが起きていた。
この言葉に対しての反応は否定的なものが多く、それらは主に「女の幸せが男の幸せってどういうつもりだ。そんなの傲慢だ。」って怒っていた。
だれもそんなことは言ってないのに傲慢な女のセリフということになっていた。
この言葉はただ、「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」と言っている。
少し言葉足らずではあるかもしれないが、ドラマ全体を通して見て解釈をするならば、「女が幸せに生きられる社会は男にとっても幸せな社会なのに」ということになるだろう。
「女が幸せになるので、男は不幸せになって下さい、そして女の幸せを自分の幸せだと思って下さい。」ってことではなかったと思う。
女性差別の問題が明るみに出ると、「男だって大変なんだぞ、女に配慮した結果こうなってて、そのせいで男は苦労してるんだぞ。」みたいな横槍入れちゃう人が出る。
医科大学の件で言えば「女性は出産で仕事辞めちゃうから男その穴埋めるのは大変なんだぞ。だから女は医者になんかなるんじゃねえよ。」みたいな。
「女性を差別してるんじゃなくて、そうした方がいいからそうしてるだけなんだぞ。はあ、男って大変だなあ。」みたいな、人たちが出てくる。
そういう人たちはそういう人たちで声を上げればいいのにと思う。
男がこんな働き方を強いられているのはおかしいと声を上げればいいのに。
でも彼ら(男性や名誉男性)はきっとそれをできない。
弱音を吐くことを悪とするように育ってきてるから。
そして自分が弱者であるということを認められないから。
これは男たちがかけられた呪いである。
そしてこの呪いを自分で自分にかけ、さらに周りの子供たちや女たちにかけようとしている。
女たちは自分たちにかけられた呪いを言語化し、声を上げてきた。
そういう歴史を積み重ねてきた。
でも男たちにはそういった歴史がない。
それができないように呪いをかけられてしまっているし、自分で自分を呪ってしまっているから。
女たちが差別に対して声を上げているのを見て、あんなことはまさに女がすることだって軽蔑する。
そして「これだから女は。」と安心する。
「あいつらはなんて醜いことをしているんだ、それにしても男って大変だな。」
女叩きをしたり、女たちがたたき合うのを見て軽蔑する。
同時に自分自身をさらに呪っていく。
これが以下永遠に続く。
こんな世の中だからこそ、改めて「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」という言葉の解釈を考えるべきだと思う。
女が差別に対して声を上げると、呪われた男たちたちが横やりを入れてくる社会。
これじゃあ誰も幸せになれない。
女は自分たちを縛る呪いと戦ってきた。
次は男たちが自分を縛っている呪いに気づかなくてはならない。
横槍なんか入れてつぶしあってる場合じゃない。
その先にある「女も男も幸せな社会へ」
資本主義とジェンダー
住宅とジェンダー
この件で思い出したのが、「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」という言葉。
問題のあるレストランというドラマのセリフ。
当時、この言葉を聞いて感銘を受けてネット上での反応を調べてみた。
するととても悲しいことが起きていた。
この言葉に対しての反応は否定的なものが多く、それらは主に「女の幸せが男の幸せってどういうつもりだ。そんなの傲慢だ。」って怒っていた。
だれもそんなことは言ってないのに傲慢な女のセリフということになっていた。
この言葉はただ、「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」と言っている。
少し言葉足らずではあるかもしれないが、ドラマ全体を通して見て解釈をするならば、「女が幸せに生きられる社会は男にとっても幸せな社会なのに」ということになるだろう。
「女が幸せになるので、男は不幸せになって下さい、そして女の幸せを自分の幸せだと思って下さい。」ってことではなかったと思う。
女性差別の問題が明るみに出ると、「男だって大変なんだぞ、女に配慮した結果こうなってて、そのせいで男は苦労してるんだぞ。」みたいな横槍入れちゃう人が出る。
医科大学の件で言えば「女性は出産で仕事辞めちゃうから男その穴埋めるのは大変なんだぞ。だから女は医者になんかなるんじゃねえよ。」みたいな。
「女性を差別してるんじゃなくて、そうした方がいいからそうしてるだけなんだぞ。はあ、男って大変だなあ。」みたいな、人たちが出てくる。
そういう人たちはそういう人たちで声を上げればいいのにと思う。
男がこんな働き方を強いられているのはおかしいと声を上げればいいのに。
でも彼ら(男性や名誉男性)はきっとそれをできない。
弱音を吐くことを悪とするように育ってきてるから。
そして自分が弱者であるということを認められないから。
これは男たちがかけられた呪いである。
そしてこの呪いを自分で自分にかけ、さらに周りの子供たちや女たちにかけようとしている。
女たちは自分たちにかけられた呪いを言語化し、声を上げてきた。
そういう歴史を積み重ねてきた。
でも男たちにはそういった歴史がない。
それができないように呪いをかけられてしまっているし、自分で自分を呪ってしまっているから。
女たちが差別に対して声を上げているのを見て、あんなことはまさに女がすることだって軽蔑する。
そして「これだから女は。」と安心する。
「あいつらはなんて醜いことをしているんだ、それにしても男って大変だな。」
女叩きをしたり、女たちがたたき合うのを見て軽蔑する。
同時に自分自身をさらに呪っていく。
これが以下永遠に続く。
こんな世の中だからこそ、改めて「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」という言葉の解釈を考えるべきだと思う。
女が差別に対して声を上げると、呪われた男たちたちが横やりを入れてくる社会。
これじゃあ誰も幸せになれない。
女は自分たちを縛る呪いと戦ってきた。
次は男たちが自分を縛っている呪いに気づかなくてはならない。
横槍なんか入れてつぶしあってる場合じゃない。
その先にある「女も男も幸せな社会へ」
資本主義とジェンダー
住宅とジェンダー