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8月8日(水) 雨

2018-08-08 16:29:46 | 日記
東京医科大学の入試に関する不正の件。
この件で思い出したのが、「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」という言葉。
問題のあるレストランというドラマのセリフ。
当時、この言葉を聞いて感銘を受けてネット上での反応を調べてみた。
するととても悲しいことが起きていた。
この言葉に対しての反応は否定的なものが多く、それらは主に「女の幸せが男の幸せってどういうつもりだ。そんなの傲慢だ。」って怒っていた。
だれもそんなことは言ってないのに傲慢な女のセリフということになっていた。

この言葉はただ、「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」と言っている。
少し言葉足らずではあるかもしれないが、ドラマ全体を通して見て解釈をするならば、「女が幸せに生きられる社会は男にとっても幸せな社会なのに」ということになるだろう。
「女が幸せになるので、男は不幸せになって下さい、そして女の幸せを自分の幸せだと思って下さい。」ってことではなかったと思う。

女性差別の問題が明るみに出ると、「男だって大変なんだぞ、女に配慮した結果こうなってて、そのせいで男は苦労してるんだぞ。」みたいな横槍入れちゃう人が出る。

医科大学の件で言えば「女性は出産で仕事辞めちゃうから男その穴埋めるのは大変なんだぞ。だから女は医者になんかなるんじゃねえよ。」みたいな。
「女性を差別してるんじゃなくて、そうした方がいいからそうしてるだけなんだぞ。はあ、男って大変だなあ。」みたいな、人たちが出てくる。


そういう人たちはそういう人たちで声を上げればいいのにと思う。
男がこんな働き方を強いられているのはおかしいと声を上げればいいのに。

でも彼ら(男性や名誉男性)はきっとそれをできない。
弱音を吐くことを悪とするように育ってきてるから。
そして自分が弱者であるということを認められないから。
これは男たちがかけられた呪いである。
そしてこの呪いを自分で自分にかけ、さらに周りの子供たちや女たちにかけようとしている。
女たちは自分たちにかけられた呪いを言語化し、声を上げてきた。
そういう歴史を積み重ねてきた。


でも男たちにはそういった歴史がない。
それができないように呪いをかけられてしまっているし、自分で自分を呪ってしまっているから。
女たちが差別に対して声を上げているのを見て、あんなことはまさに女がすることだって軽蔑する。
そして「これだから女は。」と安心する。
「あいつらはなんて醜いことをしているんだ、それにしても男って大変だな。」
女叩きをしたり、女たちがたたき合うのを見て軽蔑する。
同時に自分自身をさらに呪っていく。
これが以下永遠に続く。


こんな世の中だからこそ、改めて「女が幸せになれば、男も幸せになるのに」という言葉の解釈を考えるべきだと思う。


女が差別に対して声を上げると、呪われた男たちたちが横やりを入れてくる社会。
これじゃあ誰も幸せになれない。


女は自分たちを縛る呪いと戦ってきた。
次は男たちが自分を縛っている呪いに気づかなくてはならない。

横槍なんか入れてつぶしあってる場合じゃない。
その先にある「女も男も幸せな社会へ」



資本主義とジェンダー
住宅とジェンダー

2017.08.05(土)くもり

2017-08-05 19:41:01 | 日記
帰り道、湘南新宿ラインを逃して仕方なく武蔵野線で帰る。
西浦和あたりで遠くに花火が見える。
遠くに咲く花火っていいもんだなと発見。
見に行った花火ではなくて、たまたま遠くに見える花火の嬉しさ。

鎌倉でたまたまやってた地域のお祭り、南浦和の陸橋から見えた花火。
たまたま見つけた嬉しさ、セレンディピティ。

2017.07.07(金) 晴れ

2017-07-08 05:41:31 | 日記
4時50分起床。
目が覚めて、そろそろ7時かなと思って時間を確認するとこの時間。
眠くはないのでそのまま起きることにする。

昨夜は23時に就寝したので睡眠時間は約6時間。

今朝も咳が酷い。

気道を広げねばと考えてコーヒーを淹れ、ゆっくり飲む。
早く起きると朝の時間がゆったりと流れる。

薬を飲み、たっぷりと白湯を飲む。

シャワーを浴びる。
下着を変えるかどうかで悩むが、変えることに。
毎朝変えるとなると下着が足りなくなりそうだが、何かをしないことの理由がめんどくさいからということである場合、それはしないよりもした方がいいのではないかと考えてのこと。
とりあえず下着を買い足そう。
そしてステテコも。

以前読んだ『自分を好きになる方法』を思い出す。
リンデは、宅配便を受け取ることも億劫でなかなか呼び鈴に出られない人である。
そんなリンデが自分を好きになれるかもと思うのが、その日のうちにやりたいことをリストアップし、それをこなせた時なのであった。
他人に合わせて好かれる自分でいることでなく、自分のやりたいことを可視化し、それをこなせた時に自分を好きになれる。

他人に行動指針を委ねるのではなく、自分で行動指針をもつこと。
そうすることで自分を好きでいられる。

日記をつけるという行為は自分を好きでいるためにとても役立つ。
日記は1日の自分を振り返るための装置であり、そのことが自分の行動を省み、自分を律することを促すものであるからだ。

とはいえ、人間はそんなに強いものではなく、怠惰な心というのも持ち合わせている。
少なくとも自分の場合は。
そこで、上手く他人の目というのを利用する。

そうすることでなんとか自分を律しようと努める。
なんとか自分自信が行動指針をもっていようと意識する。


日記をひっそりとウェブにおいて公開するブログ。
それは自分を省みるツールであり、そして他人の目を上手い具合に意識することのできるうってつけの装置なのではないか。

小林麻央さんは癌になってからブログを始めたというが、彼女はブログを書くことによって癌に苦しめられる自分ではなく、自分で自分の人生を生きられる自分というのを、他人に対して、自分に対して、そして残されることになる彼女にとって身近な人達に対して見せていた。




自分を好きでいられる人は、他人にも自分を、好きになってもらえる確率の高い人である。
自分が自分を嫌いである場合、自分のことを好きでいてくれる他人は、自分が嫌いなものを好きな人である。
これでは自分を好きでいてくれる人とは気が合わない。
そして自分を好きでいてくれる人を遠ざけたくなってしまう。

反対に自分が自分を好きである場合、自分のことを好きでいてくれる他人は、自分の好きなものを好きな人だということになる。
こうなれば自分のことを好きでいてくれる人は気の合う人となり、彼らと良好な関係を結んでいくことができる。




誰もいない朝の時間はゆっくりと流れていく。

昨日読見返した『現実脱出論』の時間感覚のことを思い出す。
著者は幼い頃、日曜日の朝はいつもより早く起きて、誰もいない自分だけの時間を楽しんでいた。
それは、1人でいるというよりは時間と並走する感覚であったといい、家族が起きてそれぞれが生活を始めると、その感覚はなくなっていく。


6時に自宅を出発。
6時11分発の電車に乗る。
車内ではブログのメモ作り。

席は2割から3割程度空いていてゆったりとしている。
人と触れずにいられる席に座ることができた。
正確には、最初は人の隣に座ったが、我慢できずに車両を移動して角に座った。

もう1つ前の電車が踏切から見えたが、その電車はかなり空いているように見えた。
6割から7割程度の席が空いているような印象である。
この程度の乗車率だとゆったりと過ごすことができそうだ。

時間と並走するということについて少し考える。

時間に追われるとなると、忙しない。
その逆はなんといえばいいのか。
ネガティヴにいうと退屈。
ポジティブにいうと待ち遠しい

追われるのと退屈なの、これらは時間に関する正反対の感覚であるが、どちらも共通して
時間を気にしている、時計に縛られているという意味では少し窮屈。
待ち遠しいとなるとこれは窮屈ではないだろう。
楽しみの先延ばし、幸福感に縛られているということかな。

時間と並走する、というのはこれは時間を気にしていない状態。
擬人化すると、気心知れたパートナーと過ごしているような感じだろうか。
相手のご機嫌を伺ったり、合わせたり、調子を取ろうとしなくていい。

宮台真司がいうところの委ねるということについて以前考えたが、そんな感じか。
諸富のいうところの他人と一緒にいるが1人でいるような感覚。

相手の顔色を伺うことなく、ただその場に、相手に委ねることができる。
それはとても心地よいことだろう。

時間に追われるでもなく、退屈するでもなく、並走するという心地よさ。



7時20分到着。
ナチュラルローソンでr-1を買って飲む。

マクドナルドでゆっくりしようと思うが、店員さんが無愛想、そして眠そう。

今日はそういう気分ではないので、思い切って星乃珈琲店へ。
きっとマクドナルドにしようという気分の日もあるが、今日は星乃珈琲店。

9時前に出勤。
昼食はざるラーメンとタレカツ丼。


帰り道、駅でサンドイッチとファンタを買っていく。

買い物して帰宅。

海鮮丼、ほうれん草と玉ねぎの卵とじ、ごぼうの漬物、もずく酢の夕食。

夕方からずっと咳。
呼吸が辛い。
食後薬を調べると、喘息の人は医師に相談と書いてある。
やばい。

シャワー浴びて寝る準備。

21時40分就寝

2017.07.06(木) 晴れ

2017-07-06 22:56:16 | 日記
実家のリビングにて7時起床。

トーストとアイスコーヒーの朝食。

インハーシューズとスウィートノーベンバーを見る。
どちらも既に見たことのある作品。
たまにみたくなる。

2つを見て思ったのが、どちらにもダウンシフト的な価値観があるということ。
こんな風に生きてみてもいいんじゃないかという提案に見えるということ。

昔見たときはそんなことは思わなかったが、今にしてみればそういうところに惹かれていたのかもしれない。

午後、実家を出て木場へむかう。
電車で現実脱出論をパラパラとめくる。
過去に引いたアンダーラインの箇所を中心に。

木場公園で大学の後輩とテニス。

その後久地に戻り自転車で仙川へ。
杉村家でトランプして、国領駅のタイ料理屋に向かう。
辛い。
そして咳が止まらない。

帰り際、会計の時にちょっとしたトラブル。
会計はちょうど6000円。
お釣りを巡ってちょっとしたマジックが起きた。

解散して自転車で久地に帰宅。
22時を過ぎる。