囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

東北被災地巡り 最終日

2017-06-01 09:17:39 | 旅行

5日目の最後の日の朝、いわきの塩屋崎灯台を見に行きました。灯台への海岸通りはどこも堤防・水門や道路工事がいっぱいやられていました。

奥にある岬の向こう側に灯台があるようです。

岬に着きました。灯台には厳しい階段を登らなければなりません。酸素を抱えている連れ合いは、登るのを断念して下のお土産物屋さんで待つことにしました。

灯台に着きました。見学料200円を払って灯台を登りました。塔の内側の100段余の階段をぐるぐる回り灯台の上に出ました。外に出ると大海原と海岸線が眼下に見えます。私は、高所恐怖症だとは思いませんが、さすがに足がすくんで怖かったです。

そこでは2~3枚写真を撮るのがやっとでした。その内の一枚です。

海岸線をコンクリートで固めているのがよくわかります。

灯台の入り口には美空ひばりの記念碑がありました。その前に立つとセンサーが働いて”みだれ髪”を歌うひばりの声が流れます。どこで聞いても素晴らしいうたごえです。

記念碑には、ひばりが「52歳で間質性肺炎による呼吸不全で亡くなった」と記されていました。私の連れ合いと同じ病気で、その為に、連れ合いは液体酸素を抱えてここに立っています。ひばりは奇しくも私と同じ歳です。生きていれば79歳の筈です。

3:11では、この碑も灯台もそして地域の住民も大変な被害にあったと言います。お土産物屋さんでは、その時の被害の状況を写真や新聞記事の切り抜きを貼って展示していました。

新聞記事の展示の中に、その店の主が「津波被害にあったが自衛隊などが原発事故の対応を最優先にしたため津波被害の救援が後手に回ってしまった。原発事故さえなければもっとしっかりした救援ができたはずだ」との趣旨のことを話していました。この方の小学生のお孫さんも含め、地域の方の多くが亡くなったり、行方不明になったりしているそうです。

3:11以降、ここを訪れる人は極端に少なくなり、この日も閑古鳥が鳴いているようでした。

5日間、駆け足で東北の被災地を回りました。津波被害の復旧も、原発事故の後始末も全く出来ていなかったというのが実態でした。私は、政府が今やるべきことは「やれ、オリンピックだ。カジノだ」と騒ぐのではなく、被災した地域を復興し、先ずは第一次産業の復興と原発政策からの脱却をすべきだと改めて強く感じました。

 

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