山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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菅沼城②

2015-08-01 22:54:00 | 山城ー信州
本丸から東側遺構


大空堀、縄張り図でア

大空堀の東に曲輪3

空堀イ

本丸南下の腰曲輪

縄張り図は「信濃の山城と館」、南は上になります。

本丸南下の腰曲輪に立って、本丸城壁と空堀を間に曲輪3とを見ています。

空堀イの東上の曲輪(宮坂氏は曲輪として番号を振っていません。)曲輪4としておきます。

曲輪4の南下の腰曲輪

曲輪4の東に切岸によって、一段高く曲輪が並びます。(曲輪5 仮に)

曲輪5の北側に堀があって

曲輪5の北に堀を隔てて曲輪6(仮に)、宮坂氏が曲輪4・5・6を縄張りに加えなかった理由が分かりません。

城主 「長野県町村誌」には菅沼阿波守城址とある。「伊那武鑑根元記」に、天文十八年(1549)武田信玄に降伏せず切腹落城としている。しかし、武田氏支配の時代に中沢衆の中に菅沼久兵衛、同次右衛門がいる。武田氏が侵攻してきたときに、上伊那地方の諸氏の抵抗は強く、主だったものは討滅されたが、一族の中には菅沼氏のように残って、武田氏の属して働いた例は多い。「信濃の山城と館」上伊那編より

次回 駒ケ根市 塩田城

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