山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

高城②

2016-11-05 21:12:26 | 山城ー越後
本丸へ


二の堀

Aの堀(縄張り図にはなし)

三の堀、これを登れば本丸です。

本丸に入りました。右の建物は避難小屋

本丸中段は一段高くなっています。

本丸の西虎口側を見返しています。

東側には地蔵が祭られ、左手から二の丸に下ります。

二の丸に立って、本丸城壁を見ています。

五の堀切

縄張り図

高城城主について
<飯野長尾景直【ながおかげなお(15??~1581)】
長尾景久の男。長尾藤景の養子。通称小四郎。別名椎名景直。後に椎名康胤の跡を継ぎ、椎名小四郎と称した。主に越中戦線で活躍した。1578年「月岡野の戦い」では織田勢に敗れた。長尾景虎の病没後の「御館の乱」で長尾三郎景虎派に属して所領を削減された。これに反発してか、後に織田家に寝返った。1581年、「越中小出城の戦い」で討死した。
下田長尾藤景【ながおふじかげ(15??~1575)】
高城主。官途は遠江守。長尾景虎の家老として、本庄慶秀、直江景綱、柿崎景家らとともに活躍した。1561年「際四次川中島の戦い」では、長尾景虎の戦術を批判した。1575年、長尾景虎は本庄繁長に長尾藤景、長尾景治兄弟の誅殺を命じた。本庄繁長は祝宴の名目で長尾兄弟を誘いだし謀殺した。
下田長尾景治【ながおかげはる(15??~1575)】
長尾藤景の弟。通称右衛門尉。1575年、長尾景虎は本庄繁長に長尾藤景、長尾景治兄弟の誅殺を命じた。本庄繁長は祝宴の名目で長尾兄弟を誘いだし謀殺した。
下田長尾興里【ながおおきさと(15??~1568)】
下田長尾家臣。官途は外記。山内上杉憲政と共に越後国に落延びた。長尾藤景に仕え、その姉を娶った。1568年、長尾藤景、景治兄弟は本庄繁長に誅殺された。長尾興里らは軍議を開き、高城の守りを固めるため堀の普請などを行った。長尾景虎はこれを謀反として、本庄実乃に高城攻めを命じた。長尾興里は敗れ、高城を落延びる途中で自刃した。「戦国武将録 南越後」より
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