山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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霜台城

2017-07-08 18:33:54 | 山城ー信州
霜台城は長野市若穂保科にあります。

霜台城地図
県道35号線でバス停保科入口から250m東の橋を左折します。

橋から見た山城の遠景

橋を渡って左折し麓に登り口案内が出ています。駐車するのに、ここから西へ200mくらいに空き地があります。

地図にありますように東500mくらいに広徳寺があり、この寺は保科氏の菩提寺です。説明版には(本丸)この寺には館があったそうです。

広徳寺本堂、家紋は並び九曜
保科氏について
保科氏は、信濃国高井郡保科(穂科)から発祥し、のちに上伊那に移住したといい、清和源氏源頼信の子井上頼季を祖としている。しかし、保科氏の出自に関しては諸説があり不明な点が多い。
 『信濃史源考』によれば、諏訪氏の庶流金刺姓手塚氏の末とする、建御名方命の後裔という神姓諏訪氏の庶流で藤沢氏と同家とする、信濃源氏井上掃部助頼季が末葉とする、など保科氏の出自に関して三つの説を掲載している。そして、結論的には保科氏を他田氏の後裔とする説を紹介している。
 古来、信州の仁科・明科・保科・埴科・更級を五科と号し、それぞれ地頭が領していたという。ここでいう地頭とは郡領の意味で、荘園が成立するようになると郡領は神領または皇室領の立庄につとめた。そして、崇徳天皇の長承三年(1134)、長田御厨が定められ、保科氏の祖先は長田御厨の庄官をつとめ、一族は各郡村の名主職・公文職をつとめた。長田御厨の長田は他田に通じるもので、そこの庄官をつとめた保科氏の祖は他田氏であったと思われる。
 他田氏は、諏訪氏とは同祖関係になる古代氏族である。すなわち、諏訪上社・下社の大祝家はともに諏訪氏を名乗り、多臣族の金刺舎人直から分かれた。そして、金刺金弓の子麻背の子らの代に二流に分かれてそれぞれ上社・下社の大祝となった。麻背の兄弟である目古は敏達天皇の御名代である他田舎人部の伴造家となって他田直姓を賜り、目古の孫にあたる老は伊那郡司となり、子孫は歴代伊那郡司を世襲した。そして、藤雄のとき小県郡司となり、藤雄よりのち他田を名字とするようになったという。そういう意味では、知久氏とも同族関係ということになる。
武家家伝より


山道10分くらいで前の山砦跡とあります。

堀切と土橋

宮坂氏「信濃の山城と館2」によれば、堀切の南側が曲輪としています。

前の山砦から20分くらいで弾正岩

見晴岩とされ、長野市市街が見渡せます。

若穂太郎山トレッキングとして山道はとても良く整備されています。弾正岩から15分くらいで霜台城となります。

曲輪6の帯曲輪に守られ、石垣虎口が見えます。

曲輪5の石垣南虎口、これ以降は次回とします。





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