山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

真下城

2017-01-04 21:01:21 | 山城ー上州
上州はお気に入りの名城を再度紹介しています。
真下城地図
国道462号線で旧鬼石町総合グランドの西に見える山が城山です。

総合グランドから国道462へ出て左手(南)50mくらいに案内板があります。

案内板から城山を見ています。

山道は消えかかっていますが、辛うじて見つけられます。

周囲は根小屋があったのではと思われる平地があります。ここら辺りから道が消えて、西側に歩くと沢があり、これに沿って登ってゆくと再び道を見つけられます。

空堀に着き、右手が本丸、左手が二の丸

本丸側から空堀を見下ろしています。

空堀越しに二の丸を見ています。

本丸

本丸を角度を変えてみています。

本丸南下の腰曲輪

縄張り図は「余湖くんのホームページ」より


<児玉党系真下氏の祖

複数ある系図の一つには、児玉党の本宗家2代目である児玉太夫弘行の三男であり、児玉郡の上真下・下真下・八日市、北共和の一部を所領とある。しかし、これは誤伝と考えられ、弘行と基行では生きた時代が異なる[1]。正確には、弘行の次男である有道資行(のちの入西資行)の四男=末子と見られ、前述の伝承も、父資行から児玉郡の真下の領地を与えられ、居住して真下を称したと見られる。遵って、元の名は、有道(入西)基行であり、真下五郎太夫基行と称した事で、児玉党系真下氏の祖となった。ウィキペディアより
/font>
「群馬県古城塁祉の研究 下巻」山崎氏は「この城は、真下伊豆守吉行の築城と伝えられるが、真下氏は武蔵児玉党で、吉行の頃は山の内上杉に属していた。天文二十年の頃、北条氏康に攻め落とされたという。天文ニ十年は北条氏康が平井城を奪取した年で、この戦いに北条勢の一部は杉の峠を越えて鬼石に現れ、真下城を落とし、平井の背後に迫ったのであろう。」

次回 三の丸から東尾根へ

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 竹ノ城③ | トップ | 真下城② »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。