山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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氏族の追跡(長享日記の舞台、海尻城)⑦

2015-05-27 14:55:19 | 氏族の追跡
大永二年(1522)信虎狂気の如く大将なれば腹黒に思われ居るところ当年室賀・横尾・小野沢等城代之由是を聞き、押し寄せ首を刎ねずんば甲府へ帰陣せましとの取り沙汰にて四月二十五日六千騎を引率海尻に着陣しして信虎は三千騎にて三十丁後に控えて陣取り、先手勢には小山田備中・諸角豊後三千余騎城を取り巻く押し寄せくれば城中これを見て大手、搦め手より千有余人、さも足早に落ち行く体也。武田勢遥かにこれを見て敵城を明け敗軍と見えたり、急ぎ討取るべしと押し寄せ来たる事急也。続いて城中より大手の半途迄百有余人敗北の体成りしか、武田勢近く押し寄せるを見て引き返し城中に入り鷹羽打違之旗押し立てり、武田勢小山田備中・諸角豊後三千余騎鬨を揚げれば城中にても鬨を合わすれども続々百人に過不逞也。武田城中は小勢なるぞ懸かれ進めと下知すれとども粒手合戦にて強くして容易に進み得ず。大手搦め手へ四五十人攻め上れば城中よりも突き出て追い下し追い下せば追い登り迫り合い四五度也。武田勢この体を見て城代室賀・小野沢・横尾三人也と聞きしに室賀・小野沢は心変わりして落ち失せたりと見え鷹羽之旗は横尾采女守と見えたり、彼までも落ち行くべきところ、我々急に押し寄せたるによりて余儀なく籠城と見えたり、城中は百人には過ぎず一人も漏らさず討ち取れとて追手搦め手へ大勢押し寄せ、既に城兵防ぎ兼ね城中へ引取れば武田勢勝ちに乗じて門を打ち破り塀を引き倒さんと攻めかかるに、時に城中二千余人追手搦め手鬨を合わせ貝を吹き立て鐘太鼓天地に響く戦い也。門の左右に櫓を揚げ櫓の中は石材木を組立車仕掛けの張り木を引き落とせば櫓真っ逆様に押し倒れ振動雷電せしめ武田勢微塵に打ち砕かれ、人雪崩を突いて城下へ押落とされ堀を埋め死人の山を築く武田勢案に相違し色めき立つところに追手よりは室賀満氏・横尾信光、搦め手よりは小野沢清長押し出し伐りて懸かり、入り乱れ敵も味方も死人を乗り越え乗り越え攻め戦う。武田勢は毎度の辱を雪がんと小山田・諸角龍虎の怒りをなし走り回って下知する。日既に西山に傾けば敵も味方も攻め偲んで見えけるところに村上義清後詰め六千余騎後に続いて松本・小笠原より加勢とし、三千余騎湖の満るがごとく寄せ来れば終日戦い疲れたる武田勢これを見て色めき崩れて敗走す、後陣に控えたる武田信虎三千余騎これを助けんと真一文字に押し寄せ来たり、敵も味方も出合い頭に攻め戦う、敵は小勢なるは左右に廻り引き包み討取るべしと村上義清下知を成す井上兵庫・高梨摂津守清野伊勢守・出浦下野守・屋代左衛門尉・三井岩見守・内山美濃守・綿内源太左衛門・牧島玄蕃・須田大炊助等左右に押し廻り前後より伐りたて薙ぎ立てられて、崩れて敗走す信虎怒りを成し七転八倒して下知をなす。諸氏集まり来たり、彼のごとき崩れたちては下知に附くのは敗軍尋常なりひとまず落とさせたまえと脇を引き立て落ち行なりしとなり。
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