山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

虚空蔵山城

2017-08-05 21:09:33 | 山城ー信州
長野県麻績村にある虚空蔵山城(麻績古城)と奥の山にある麻績新城に登ってきました。麻績新城は初めてのトライです。

虚空蔵山城地図

国道403号線の信号本町から地方道12号線で西に進み、バス停亀やを過ぎてすぐに村道を右折します・法善寺を目指し、この寺の右手から「信濃観月苑」に向かい、最初の駐車場に停めさせてもらい(許可を得たほうが良いです。)観月苑の奥の建物から登り口があります。

麻績図書館から見た虚空蔵山城が中央、奥に見える山が麻績新城

法善寺

寺の右手の道から信濃観月苑へ

観月苑

苑内奥の道から登ります。

観音堂

岩山で、この間を抜けてゆきます。

尾根に着いて南曲輪(仮に)

南先端の岩、物見でしょう。

40mの尾根ここも曲輪内

大きな堀切が北に待ち構えています。

次回 虚空蔵山城②

麻績古城について
戦国時代麻績の地を支配したのは服部清信であった。麻績城の南西の麻績古城(虚空蔵山城)に居を構えていたが、守りを強化するために麻績城を築いた。
しかし、天文22年(1553年)甲斐の武田晴信が筑摩郡に侵入し、青柳城の青柳清長を従えて服部氏を追い払い、青柳氏が麻績氏を名乗り、麻績城には青柳氏が移った。
天正10年(1582年)、武田氏滅亡により織田信長麾下の木曾義昌の所領となるが、本能寺の変で織田氏の軍勢が信濃から撤退すると(天正壬午の乱)、上杉景勝は旧服部氏の麻績左兵衛清正を入城させた。しかし信濃府中を回復した小笠原貞慶との争奪の地となり、最終的には小笠原氏の支配地となった。ウィキペディアより
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