宮坂氏が描く前山古城の近くの北尾根に200mに渡る遺構があり調査していただきたいと一昨年、佐久市文化財課に手紙を出してお願いしてきたのですが、その後調査されたか先日、確認しにお尋ねしたところ、結果は地元の畑を持たれている方も、熱心な方でやはり調査をお願いしていたとのことで、文化財課として調査され遺構が確認できましたとの返事でした。近日、縄張り図が作成されましたら、送ってくださるそうです。
宮坂氏の前山古城の縄張り図、私が見つけた前山北城(正式名称ではありません。)は林道が北に向かって伸びていますが、860という等位線から北尾根に遺構があります。よく見ましたところ、林道によって尾根を断ち切っており、実際は尾根は繋がっていたようです。4の長い段曲輪は、林道に沿って繋がりその先にも東北の斜面には三段に段曲輪が構築されていますので、前山古城は北尾根を含む、もっと大きな規模の山城と言えます。公式には佐久文化財課が近く発表されると思います。
便宜上、宮坂氏の描く前山古城とあらたに発見した前山北城と分けて報告します。この峰を登ると
前山北城三の丸(仮に)
三の丸の南西奥に土塁があります。
土塁から少し手前中央に櫓台?
三の丸北東を見返しています。
三の丸東下に腰曲輪
土塁の先に前山北城二の丸とを隔てる堀切
この堀切から東側斜面には段曲輪が数段確認できます。
この段曲輪は南に伸びて、前山古城の北東の段曲輪と繋がっています。
次回 前山北城の二の丸・本丸へ
宮坂氏の前山古城の縄張り図、私が見つけた前山北城(正式名称ではありません。)は林道が北に向かって伸びていますが、860という等位線から北尾根に遺構があります。よく見ましたところ、林道によって尾根を断ち切っており、実際は尾根は繋がっていたようです。4の長い段曲輪は、林道に沿って繋がりその先にも東北の斜面には三段に段曲輪が構築されていますので、前山古城は北尾根を含む、もっと大きな規模の山城と言えます。公式には佐久文化財課が近く発表されると思います。
便宜上、宮坂氏の描く前山古城とあらたに発見した前山北城と分けて報告します。この峰を登ると
前山北城三の丸(仮に)
三の丸の南西奥に土塁があります。
土塁から少し手前中央に櫓台?
三の丸北東を見返しています。
三の丸東下に腰曲輪
土塁の先に前山北城二の丸とを隔てる堀切
この堀切から東側斜面には段曲輪が数段確認できます。
この段曲輪は南に伸びて、前山古城の北東の段曲輪と繋がっています。
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