山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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茂木城

2017-10-16 21:54:47 | 山城ー野州
茂木城は栃木県茂木町の城山公園が城址です。

国道123号線の信号大町から北へ町道を登ります。城山公園の案内板が出ています。

城山公園駐車場にある平面図

駐車場から東に大空堀から出丸へ

橋の左手の空堀

橋の右側の空堀

平面図では出丸

出丸から茂木町市街

帯曲輪にある東屋

物見櫓

現在は遊歩道

空堀の南側から見ています。

帯曲輪ではなくて棚とあります。

南斜面、説明板の通り急です。

駐車場に戻り、西へ進むと本丸虎口

次回 本丸へ

茂木氏について
茂木氏は鎌倉幕府の有力御家人で、常陸守護職に任じられた八田知家の三男知基に始まる。知家は建久三年(1192)将軍源頼朝から下野国茂木郷の地頭職を与えられ、三男の三郎知基を現地に遣わした。茂木郷に下向した知基は桔梗城に拠り、茂木三郎を称して茂木氏の初代となった。『吾妻鏡』の建久六年(1195)の記事に、知基は流鏑馬十六人のうち十一番目の射手として選ばれている。また、承久三年(1221)の承久の乱に出陣、戦功により紀伊国賀太庄を与えられた。
 宝治元年(1247)、「宝治合戦」が起り、執権北条時頼が幕府御家人としても勢力を誇っていた三浦氏を攻め滅ぼした。この「宝治合戦」に茂木知基の子知定は三浦氏に与したとの疑いをかけられ、乱後の論功行賞から漏れた。恩賞に漏れた知定は、書状や起請文を提出して嫌疑を晴らすとともに恩賞にも預かっている。知定にとって執権北条氏から嫌疑を受けることは、自家存続のうえでにも重大事であり、なんとしても晴らさなければならないものであったのである。
 茂木氏は本領である茂木五ヶ郷のほか、信濃国、越後国、能登国、紀伊国などに所領を有していた。そして、全国に散在する所領の統治は、庶子や代官を派遣して行っていたようだ。『茂木文書』によれば、茂木氏は惣領を中心として、所領を庶子に分け与え、庶子は所領高に応じて年貢・公事を割り当てられ、軍役も課せられていた。いわゆる、惣領制による支配を行っていたことが知られる。
武家家伝より





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