山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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楽厳寺城

2017-05-16 20:54:58 | 山城ー信州
楽厳寺城は長野県小諸市大久保にあります。
楽厳寺城地図
国道18号線で小諸市に入り、信号押出入口から南に県道153号線に進み、布引大橋を渡って千曲川を越え、布引温泉近くの反対側の市道に入ります。道幅は狭いです。1.5kmくらいで、布引観音(釈尊寺)の入り口を過ぎて500mほどで土塁が見えてきて、その南側は薫風山荘という別荘地となっています、この周辺が楽厳寺城です。

布引観音から500m南に進みむと、碑があり奥に土塁で囲まれた東曲輪があります。

南下には堀があり

東曲輪を見渡しています。

北側の土塁、この先は林道があり、布引観音入り口まで通じています。

縄張り図は「戦国武田の城」中田正光氏著、楽厳寺城とある方の曲輪を上の写真で照会しています。

薫風山荘の北側に空堀が確認できます。

よくぞ山荘を作るのに遺跡を破壊しなかったと思いました。土塁と空堀で南を守り

西第一曲輪

大きな空堀を越えて西第二曲輪がありますが次回とします。

楽厳寺城はとてつもない大きな規模の要害です。明日縄張り図を紹介しますが、釈尊寺(布引観音)の周辺の三つの尾根に縄張りされています。薫風山荘の北尾根の先にもう一つの先の尾根に縄張りされており、釈尊寺を囲むようになっています。


楽巌寺雅方【らくがんじまさたか(15??~1554)】

佐久郡布引城主。官途は駿河守。別名室賀光氏。釈尊寺の末寺楽巌寺の僧侶。1536年、海尻城が武田信虎に包囲されると兵5,000余りを率いて撃退した。1540年、海尻城は武田晴信勢の攻撃により落城するが、佐久郡国人衆勢力が武田晴信から離反した。楽巌寺雅方は海尻城を奪還するため兵300余りを率いて出陣したが、本丸攻略に手間取り、援軍の武田晴信勢によって撃退された。1546年、海尻城、内山城が相次いで陥落すると、村上義清の命で兵3,000余りを率いて奪回に向かうが撃退された。1548年、武田晴信によって攻撃を受け、隣接する村上義清の元に落延びた。1550年「砥石城の戦い」では、砥石城に籠城した。1553年、村上義清が長尾景虎の元に落延びると武田家晴信に降伏した。村上義清の信濃復帰のために長尾景虎と内通するが、使者が馬場信房の家臣に捕らえられ、内通の罪により自刃させられた。 戦国武将録より






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