冨田敬士の翻訳ノート

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翻訳は英語力

2017-05-31 23:17:03 | エッセイ
 実務翻訳の検定試験で採点を依頼された。英文和訳の答案が30件ぐらいあったが,誤訳が多かった。誤訳を見つけるのは比較的やさしい。文章がうまく書けているようでも話の辻褄が合わない部分はたいてい誤訳と考えてよい。翻訳の勉強を始めてしばらくの間は,自分の訳文がうまく書けているかどうか気になるものだが,実務翻訳の目的は主に情報伝達にあるので,文章の善し悪しよりもまず原文の内容が正確に理解できているかどうかに注意を向けたい。
 原文が正確に読み取れない原因は主に,内容に対する知識不足と英語力の不足にあると思われる。このうち,知識不足はそれほど大きな問題とは思えない。市販の参考書やネットなどを利用すれば誰でも相当な知識が得られる。それに,専門知識が必要になるのはそれほど多いわけではなく,大部分は一般的な知識と想像力で理解できるような内容が多い。たとえ文章が複雑であっても,論理の展開を丹念にたどっていけば原作者の意図は見当がつく。これに対し,英語力が不足すると,いくら知識があっても論理の道筋が正確にたどれず,結果的に不正確な訳をしてしまう。

英語力の強化法

 翻訳に必要な英語力は英文の構造が正確に把握できること。内容がわかるかどうかは二の次である。私たちが日本語を読むとき,内容がわからなくても文の構造は即座に把握できるのではないだろうか。英語でもそれと同じようなことができれば英語力は十分ということになる。
 英語力を強化するには基本的に英文をたくさん読むことが必要だ。英文の種類はさまざまだが,英語の検定試験に出るようなコミュニケーション英語ばかりでは全く不十分である。翻訳では論理的な読解が中心になるため,多少むずかしい英文にあたり,内容や文の構造を隅々まで理解するような気骨の折れる努力も欠かせない。
 英語力の強化には読むことのほかに,英作文や英訳の練習が有効なことも強調しておきたい。英語を書くことよって英語の仕組みがよく見えてくるので,読解力も確実に向上する。実務翻訳には和文英訳という仕事もある。英語が書けると仕事の範囲も格段に広くなる。

 参考までに,採点した試験問題の中で特に誤訳の多かった部分を一つだけ紹介し,問題点を指摘しておきたい。
This Agreement does not establish or constitute Spansion as AMD's representative or agent for any purpose other than the marketing, sales and customer support of Products in furtherance of AMD's rights and responsibilities under the Distribution Agreement.
 これは米国の代理店契約の一節で,名詞中心の典型的な法律文である。簡潔でわかりやすい日本語に訳すのはそう簡単ではないが,英語自体はむずかしいところはほとんどない。契約書の前文に記述された契約締結の経緯は,大まかに次のようになっていた。
 「これまでAMD社とスパンション社は販売代理店契約を締結し,AMD社がスパンション社の製品を代理店として販売してきたが,こんど代理店契約を解消することにした。そこで,AMD社が行っていた代理店業務を担当従業員も含めてすべてスパンション社に移行し,スパンション社が引き継ぐ。ただし,AMD社は,移行期間中まだ従来の顧客に対して製品納入など一定の義務があるので,移行期間中,今度はスパンション社がAMD社の代理人としてそれらの義務の一部を継続して実施することにした。そのためには,両社の権利と義務をどのように分担するかを取り決める必要があるのでこの契約を締結する」
 以上のような前提を理解した上で上記の英文を見ると,ほぼ次のように訳せる。
 「本契約は,いかなる目的においてもスパンション社をAMD社の代表者又は代理人に指定又は指名するものではない。ただし,販売代理店契約に基づくAMD社の権利と義務を実行するために本製品のマーケティング,販売及びカスタマー・サポートを行うときは,この限りでない」。
 受験者がつまずいたのはin furtherance of AMD's rights and responsibilities以下のかかり受け。この部分を述語動詞のestablish or constituteに引っかけて訳してしまったことである。
 英文がよく理解できないときは,一般に意味と文法の2面からアプローチする。in furtherance of以下を述語動詞に引っかけて解釈しても意味をなさないので,述語動詞を修飾していないことは明らかである。では文法的にはどうか。述語動詞を修飾していると解釈するのは文法的にはおかしくないが,前置詞句は形容詞としての働きもする。直前のmarketing, sales and customer support of Productsを修飾していると解釈すると,全体の意味がすっきりと通じる。この部分を理解するには,in furtherance ofの前に例えばmadeを補い,分詞句として考えるとわかりやすい。
 文の構造にも注目したい。法律文では誤解の余地をなくすため,修飾語と被修飾語を極端に離れた位置に置くことはめったにない。文の構造がどうなっているかも文意を理解するときの重要な手がかりとなる。
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