
本日は「ひな祭り」本番、そして関東地方は今夜「都会の大雪予報」…。
やれやれでございます。明日の朝はまたどっかが凍ったのすべったのと、
さわぎになるのでございましょうなぁ。
お勤めなどでお出かけのかた、くれぐれも今からご準備、ご用心を。
さて、写真は「てぬぐい」です。
なんか釣り糸たれてる?お雛様が「釣り?」
はいそうなんですよ、部分アップです、よーくご覧くださいね。
「ひなまつり」ではなく「ひ・ま・な つり」…。

こちらは「ふろしきや」さんの「特製てぬぐい」です。
これを見つけたときはもぅドツボでした。
官女の一人は編み物してるし、その下じゃポーカーやってる?
私はなんたって、右下でイジイジと砂いじってるコにはまりました。
何考えてるのかなぁ…。
このてぬぐい、実はバサマにプレゼントしようと思ったのですが、
まじめの上にバカがテンコ盛りのバサマ、こんなのみたらゼッタイに
「不謹慎だ」とかいいそうなので、やめました。
本日我が家のみでのオープンです。
さて、では今日あたりは着物から離れてお雛様のお話を…。
といいましても、過去にもいろいろお話ししてますしねぇ。
三人官女の真ん中は、ひとりだけ眉そってお歯黒の年長者、とか
五人囃子は楽団ではなく、楽器得意のエリート集団、とか…。
ちなみに向かって左から音がおおきいものから並んでます。
お雛様のことを「お内裏様」といいますが、
あの♪お内裏様にお雛様…という歌からでしょうか、
お内裏様とは「男雛」だと思われている方がいらっしゃいますが、
「お内裏様」とは「対」のこと、つまり二人で「お内裏様」です。
元々「内裏」とは宮中での帝のプライベート居住空間のこと。
日ごろの私的なお過ごし場所は、内裏の中の「清涼殿」などと
よばれるところです。
一番手前でオシゴトする、いわば「帝の事務所」が「紫宸殿」。
この「内裏」とにかく何度も消失しています。
近代でいうならば、京都は空襲がありませんでしたから、
1000年の都が残った、といわれますが、
実際にはその1000年の前の方では京都の中で戦があったわけで、
京都の地が荒廃したこともあったわけです。
また、元々が日本家屋は木と紙でできた家ですから、
ひとつ火が出れば、あっという間なわけですね。
話しがそれますが、だからこそ江戸の町では「火」に対して
並々ならぬ用心をしたり、火消しの組織を作ったりしたわけです。
さて、そんなわけで、内裏というのはあっちこっちに動いています。
内裏が焼け落ちたからといって「避難所」や「仮設住宅」
ってわけには、いきません。とりあえずどこかそれ相応のところに
おうつりいただく…。離宮(隠居した帝のお住まい))などが
使われましたが、あいてなかったりすることもあるわけで、
そういう時は有力な貴族の邸などを使いました。
これを「里内裏」といいます。
結果的に、この里内裏をそのまま「本宅」にしちゃったりするわけで、
今の御所もそのタイプです。
最初の「平安京」は、今の京都の地図でいうと、
全体に左にずれています。元は御所が一番北の奥、でした。
平安京が「四神相応」という風水に則って作られたことは
皆様もご存知と思いますが、現在の京都駅の左側(西側)に
「堀川通」という通りがあります。二条城の前の道。
これがかつての真ん中の大通り、つまり御所の真南「朱雀門」から
「羅生門」までの一本道、であったといわれています。
御所関係は、予約で申し込みをすれば施設内を拝観できるところが
いろいろあります。一度はゆっくり見てみたい、いえ拝見させていただきたいものだと
ずっと思っていますが、なかなかねぇ。
せめて自由に歩けるあたりだけでも、行ってみますかね。
そうそう、今年は「桃の花」を生協で頼み忘れまして、
お花ナシなんです。
桃の花、は邪気をはらう力がある、とされていますから、
大事な娘を守るため、に飾られたわけですね。
元々旧暦だとこの花が咲くころだったわけです。
桃は弥生時代ころからすでに、日本にあったといわれています。
あの「イザナギ・イザナミ」のお話しで、
みれんたらたらで黄泉の国までイザナミを迎えに行ったイザナギが、
結局約束破って醜女や鬼たちに追われ、
最後の黄泉比良坂で、この桃をなげつけたところ、みな立ち去った…、
というところから「魔を払う力がある」とされています。
「弦打ち」といって、妖しきものが近寄らぬように、
弓弦をビーンビーンとはじくという魔除けがありますが、
その弓も桃の枝で作られたりしたそうです。
そういえば、昨日の「ちぃ散歩」見たかた「桃」やってましたね。
こちらにも時々おいでくださる「千兵衛様」の地元、綱島で
明治に作られた「日月桃」という桃、
今はもうそこのお宅しか作っていないそうですが、
桃ビールなんてのもありました。
本格的な春になったら、昨秋行きそびれていますので
また京都へと考えているのですが…。
まだ何の予定も立ちませんが、ためしにホテルの予約欄を見たら…
どーして観光シーズンは、こんなに高いのよっ!おんなじ部屋だろーがっつの。
桜がしっかり終って…みんな都会にもどってからにしよう…。
やれやれでございます。明日の朝はまたどっかが凍ったのすべったのと、
さわぎになるのでございましょうなぁ。
お勤めなどでお出かけのかた、くれぐれも今からご準備、ご用心を。
さて、写真は「てぬぐい」です。
なんか釣り糸たれてる?お雛様が「釣り?」
はいそうなんですよ、部分アップです、よーくご覧くださいね。
「ひなまつり」ではなく「ひ・ま・な つり」…。

こちらは「ふろしきや」さんの「特製てぬぐい」です。
これを見つけたときはもぅドツボでした。
官女の一人は編み物してるし、その下じゃポーカーやってる?
私はなんたって、右下でイジイジと砂いじってるコにはまりました。
何考えてるのかなぁ…。
このてぬぐい、実はバサマにプレゼントしようと思ったのですが、
まじめの上にバカがテンコ盛りのバサマ、こんなのみたらゼッタイに
「不謹慎だ」とかいいそうなので、やめました。
本日我が家のみでのオープンです。
さて、では今日あたりは着物から離れてお雛様のお話を…。
といいましても、過去にもいろいろお話ししてますしねぇ。
三人官女の真ん中は、ひとりだけ眉そってお歯黒の年長者、とか
五人囃子は楽団ではなく、楽器得意のエリート集団、とか…。
ちなみに向かって左から音がおおきいものから並んでます。
お雛様のことを「お内裏様」といいますが、
あの♪お内裏様にお雛様…という歌からでしょうか、
お内裏様とは「男雛」だと思われている方がいらっしゃいますが、
「お内裏様」とは「対」のこと、つまり二人で「お内裏様」です。
元々「内裏」とは宮中での帝のプライベート居住空間のこと。
日ごろの私的なお過ごし場所は、内裏の中の「清涼殿」などと
よばれるところです。
一番手前でオシゴトする、いわば「帝の事務所」が「紫宸殿」。
この「内裏」とにかく何度も消失しています。
近代でいうならば、京都は空襲がありませんでしたから、
1000年の都が残った、といわれますが、
実際にはその1000年の前の方では京都の中で戦があったわけで、
京都の地が荒廃したこともあったわけです。
また、元々が日本家屋は木と紙でできた家ですから、
ひとつ火が出れば、あっという間なわけですね。
話しがそれますが、だからこそ江戸の町では「火」に対して
並々ならぬ用心をしたり、火消しの組織を作ったりしたわけです。
さて、そんなわけで、内裏というのはあっちこっちに動いています。
内裏が焼け落ちたからといって「避難所」や「仮設住宅」
ってわけには、いきません。とりあえずどこかそれ相応のところに
おうつりいただく…。離宮(隠居した帝のお住まい))などが
使われましたが、あいてなかったりすることもあるわけで、
そういう時は有力な貴族の邸などを使いました。
これを「里内裏」といいます。
結果的に、この里内裏をそのまま「本宅」にしちゃったりするわけで、
今の御所もそのタイプです。
最初の「平安京」は、今の京都の地図でいうと、
全体に左にずれています。元は御所が一番北の奥、でした。
平安京が「四神相応」という風水に則って作られたことは
皆様もご存知と思いますが、現在の京都駅の左側(西側)に
「堀川通」という通りがあります。二条城の前の道。
これがかつての真ん中の大通り、つまり御所の真南「朱雀門」から
「羅生門」までの一本道、であったといわれています。
御所関係は、予約で申し込みをすれば施設内を拝観できるところが
いろいろあります。一度はゆっくり見てみたい、いえ拝見させていただきたいものだと
ずっと思っていますが、なかなかねぇ。
せめて自由に歩けるあたりだけでも、行ってみますかね。
そうそう、今年は「桃の花」を生協で頼み忘れまして、
お花ナシなんです。
桃の花、は邪気をはらう力がある、とされていますから、
大事な娘を守るため、に飾られたわけですね。
元々旧暦だとこの花が咲くころだったわけです。
桃は弥生時代ころからすでに、日本にあったといわれています。
あの「イザナギ・イザナミ」のお話しで、
みれんたらたらで黄泉の国までイザナミを迎えに行ったイザナギが、
結局約束破って醜女や鬼たちに追われ、
最後の黄泉比良坂で、この桃をなげつけたところ、みな立ち去った…、
というところから「魔を払う力がある」とされています。
「弦打ち」といって、妖しきものが近寄らぬように、
弓弦をビーンビーンとはじくという魔除けがありますが、
その弓も桃の枝で作られたりしたそうです。
そういえば、昨日の「ちぃ散歩」見たかた「桃」やってましたね。
こちらにも時々おいでくださる「千兵衛様」の地元、綱島で
明治に作られた「日月桃」という桃、
今はもうそこのお宅しか作っていないそうですが、
桃ビールなんてのもありました。
本格的な春になったら、昨秋行きそびれていますので
また京都へと考えているのですが…。
まだ何の予定も立ちませんが、ためしにホテルの予約欄を見たら…
どーして観光シーズンは、こんなに高いのよっ!おんなじ部屋だろーがっつの。
桜がしっかり終って…みんな都会にもどってからにしよう…。





















御所には一度も足を踏み入れていません。
気候のいい時にゆっくり拝観してみたいですね。
最近鼻と喉のイガイガでどうにも気分の
悪い日々です。体は元気なんですけど
なかなかスッキリと取れないものですね。
とんぼ様も腰大事にしてくださいね。
そこで一つ質問なのですが・・・
着物の意匠で滅多に桃の花の描かれた物が無いのですが、そんな曰くもあるものなのに何故なんでしょう?
梅と桜と時期がかぶりがちとは言え、花としても綺麗ですし、これほど無いというのはおかしいと思うんですけれど。
子供のころ、風邪をひいたら、桃缶を食べさせてもらえました
「風邪の鬼も逃げんねんで〜。」って。
御所、最後に行ったのは10ウン年前…。境内で売られていた「コンペイト」が忘れられない!
何を思い出しても最後は食べ物に収まるあたりがどうも…。
お雛様仕舞うのは、もっとカラッとしてからにします!(言い訳がましい?)
一度外側だけでも、ゆったりと
歩いてみたいですね。
イガイガ、いやですねぇ。
花粉症ではないのですよね。
私は幸い、ちっと眼がかゆいくらいで、
花粉症もおわりましたが、
顔のあたりってうっとおしいですよね。
春先はホコリっぽくもなりますし、
お大事になさってくださいね。
これねぇ、今日の記事に
書かせていただきました。
桃の花柄もないわけじゃないんですが、
梅や桜ほど、ポピュラーじゃないですね。
かわいそーだとも思いますー。
まぁ読んでみてください。
もっとも「じゃないか」っていう
お話しばっかりですが。
そうそう、昔は桃なんて「缶詰」でしたよ。
水密桃なんてのは、よそ様への「お遣い物」
見るだけーでしたね。
御所、時代祭りのときにいったきりです。
ありゃ何十年前だ…。
お雛様、ウチも今日はやめて置きます。
すこしカラッとしてないとね。
(いいわけいいわけ)