肺癌も友達「イレッサ」で治療中

2002年9月肺腺癌余命6月と診断。イレッサ服用1000日経過。現在健康な毎日に感謝、感謝の日々を送っています。

甘い甘いさつまいも|

2005-10-28 16:10:57 | Weblog
この間買って食べたさつま芋はあんまり美味しくなかった。もっと甘みのあるお芋が食べたい。

写真

2005-10-28 14:12:51 | Weblog
写真の投稿
  
冬のソナタ

3年前の(02年10月24日)尊厳死協会に入会

2005-10-24 15:33:16 | Weblog
以前から興味のあった「尊厳死協会」 URL:http://www.songenshi-kyokai.com/ の申込書を取り寄せていたので、郵便局から送金と申込書を発送しました。

03年前(02年10月22日)頭部CT検査

2005-10-22 13:24:08 | Weblog

3年前の10月22日

前回の診察で予約していた頭部のCT検査をしました。

まさか頭にまで転移しているとは想像もしていませんでした。前回の診察時、特に頭痛については自分が不快に思うことが無かったが「時々頭が痛い時がある」と話したことからCTを撮ることになっていたものでした。

結果は、つぎの診察日に頭部に2~3cm位のガンが転移している事がわかりました。

10月4日の病院での初診から「がん」の新聞記事が目に付くようになりました。この新聞の切り抜きは、町の図書館へ行って後日調べたものです。図書館では読売新聞、朝日新聞、毎日新聞3紙の縮刷版しかなく、私の見た産経新聞、日経新聞の記事はありませんでした。

特に02年7月に健保薬として承認された新薬「イレッサ」の副作用で亡くなった方々の記事が中心で「新薬で13名死亡」の記事が10月15日各紙に掲載されたようです。

02年10月29日。副作用過少報告再発防止を指導 販売元に厚労省。今月15日時点で69人分の副作用情報を入手しながら22人分しか報告しなかった・・・。
 

 


交番の時計が取り外されていました。

2005-10-17 09:15:03 | Weblog
朝運動で家を出、神社にお参りしてから交番の時計を見るのが決まりです。今日は何故か時計が取り外されていました。いつもその時刻は5時40分前後です。

3年前の昨日(10月16日)は、気管支鏡の検査の日でした。初診から一日でも早く「肺癌かそうでないか」を決めてくれと急いで日を取ってもらった検査です。病院へ行くと4~5箇所にカーテンで仕切られたベットのある一角を指定されそこで治療用の着衣に着替えるように言われました。そこで注射をされたかどうかは記憶がありませんが、ベッドに横になったり落ち着かないながい時間を過ごしました。

当日は癌かどうか確定されると言うよりも検査にはどんな苦痛があるのかの方が心配でした。胃カメラのように口から管を入れて検査するのかなあと言う位の知識しかありませんでしたから。

かなりの時間が経って検査室へ案内されて、そこでもまだワンクッションありしばらく待ちました。
いよいよ検査室へ。薄暗い部屋で高い位置に細いベットがあり、うえに上がるように指示されました。検査室の奥のほうで2~3人の先生の気配があったが一人の医師からいろんな処置を受けまたしばらく待ちました。

ベッドの上からあたりを伺うとテレビ様のモニターやいろんな機材が雑然とあり異様な雰囲気これからどんな事態に進んでゆくのか不安と恐怖。このままこのベットから死体で運ばれてゆく自分を想像したり・・・。

いよいよ先生が二人。ここまで来ると人間は覚悟ができるのか不安や恐怖の思考が停止して指示されたとおり従います。やはり想像どおり口から管が入ってきました。だらだらと唾液が出て・・・。なりふり構っていられない容態です。

どれ位時間が経ったのか肺の組織の一部を採取しているのでしょう。胸の中を掻き毟られるとはこの事かと思う感触が二三回あったとき、もう止めてくれるように懇願しました。言葉では表せないからどんな姿で懇願したのか自分でも分かりません。医師に通じたのでしょう。「もう終りですよ」とかの言葉がありました。それでも二三回苦痛がありましたがその後すぐに終了しました。

検査台からおりるときはもう一人前の病人ふうで控えのベットにたどりつくのがやっとでした。とても運転してきた自動車では帰れる状態ではありませんでした。
その時も自分の知識では、100%癌とは思いませんでした。まだ癌かも知れんかなあ・・・と、野球で言えば七回の裏で未だ2点位勝ち越しているような気がしていました。「願望や思い過ごし」が現実を見誤るのはこんなときなんでしょうか。

妻はこの検査の日にはすでに「余命6ヶ月」と医師に聞いて知っていましたから「あまり苦痛のある検査は無理にしないように」と医師に頼んでおいたよと、ずうっと後に聞きました。

イレッサ1079日目、今朝は早朝運動休み

2005-10-16 10:41:41 | Weblog
今朝は目覚ましに気づかずに6時半までねてお宮参りさぼる。
今日は「頭鳴り」ややましか。
早朝から家族が旅行に出発するので車に荷物を積んで近くの電車の駅まで送ってゆく。
帰ってテレビを録画しようとしたらテープが巻きつく。3本巻きついたところで電気店へ。以前の店ではすぐに新品に交換してくれたのに、今度の店は修理するという期間は10日と。
配線がHDD/DVD/ビデオとCVKテレビタミナル、テレビと三つも重ねてしてあるのでアンテナの線の配線がお手上げ。台所の古いテレビで我慢する事にした。
今からプールへゆことに決める。

イレッサ服用1078日、頭鳴りとめまい

2005-10-15 21:10:53 | Weblog
少し前から頭鳴り(頭全体が耳鳴りのようになる)とめまいがする。これはこの前の診察のときCEA(腫瘍マーカ)が5となり前回2.6前前回2.6から上がったからかなあと思う。でも、昨年の9月、一昨年の9月も5・0以上に上がっているから肺癌再発と関係ないように思うが・・・。やっぱり気になる。昨日はスイミングも病欠とした。

3年前(2002年)10月13日再びだんじり見物に

2005-10-13 11:00:41 | Weblog
前日に続いてまた孫を誘ってだんじり見物に行った。厚かましく二日間も知人の家に押しかけてだんじり見物してご馳走をいただいた。
だんじりを見ながら来年も、私が死んでいなくなってもお祭りの日がくると今日の日のように大勢の人でにぎわうことだろうなあ・・・と。  数日前からは、何処へ行っても「ここにくるのは最後か。」「この景色ももう二度と見ることもないか・・・。」「この人とはもう会えないだろうなあ・・・。」と考えるようになりました。でも当時は、声が出ないほかは、他人から見てもまた自分も健康そのもの食欲もあり体調も快調でした。
でも不安が大きくなってくると、お風呂に入ったり、夜布団にもぐると悔しさと、自分の不運な運命に涙、涙、涙で眠れなくなり、お酒と睡眠薬を飲むようになりました。

3年前(2002年)10月12日孫とだんじり見物に

2005-10-12 10:36:48 | Weblog
初診の日、先生からは「肺癌」とは聞かされなかったが、あのレントゲン写真を見て自分の知識からだんだん「肺癌」ではないかと疑うようになってきた。ただ、癌でないとの希望も少しはあったが・・・。
でも、もしあの大きさの癌であれば来年はだんじりが見られないかもしれない。子供の頃からなじんできただんじりも今年が見納めになるかもと考えて、孫を誘って最後の想い出になるかも知れないとだんじりを見に行った。

3年前(2002年)10月11日病院二回目の診察

2005-10-11 11:55:24 | Weblog
二回目は、初回診察時間が長くかかったこともあり、妻も一緒に行くことになり、二人で喀痰検査の結果を聞きました。しかし、私は淡い希望である「癌ではないとの診断」を急ぐ余り、気管支鏡検査(肺にカメラを挿入して組織を採取)の日程に意識が集中。喀痰検査でも悪い結果が出ていたのにそれを聞き逃して勝手に異常なしと考えて帰ってきました。そして、気管支鏡検査で決着が付くと考えていました。あとで聞いた話では、妻は喀痰検査で異常があったのを聞いて、その後私に知らせずにいろいろ調べて余命半年を知っていたようでした。