「第2回ため池シンポジウムin愛知」 フィールド学習コースご案内

シンポジウム参加ご希望の方へ、9月16日(日)に知多半島で行われるフィールド学習会のコースのご案内です。

フィールド学習会 番外編のご案内

2007年09月02日 | Weblog
<フィールド学習会番外編> 足廻間池の自然を楽しむ
(美浜町、17世紀後半~19世紀前半に構築)
 フィールド学習会に行けない方や、雨で中止の場合のプログラムです。

◆足廻間池とは、ため池シンポジウム会場の日本福祉大学美浜キャンパス内にある小さなため池です。野球のグラウンドが隣接しているため、ボールが散乱しており、きれいなため池ではありませんが、大学キャンパス内にあることでそれなりに守られています。シンポジウムの会場からは、歩いて5分ほどのところです。
 シンポジウム当日(16日)には、カメなどの生き物が観察ができるように準備を行います。以下は、実行委員のコメントです。

◆足廻間池は、小さな谷池ですが、堤体側以外は照葉樹の森に囲まれ、自然が保たれています。今回のシンポジウムをきっかけに、大学内に足廻間池を研究・保全のサークルを発足させたいという話も出ています。将来的には、大学や学生たちによる地域のため池の支援組織に育てばよいと思います。
足廻間池にはアンペライなどの水草もあり、トラフトンボの姿も確認できました。この池はキャンパス内にあり、釣り人が入らないので、周囲の森なども含め、上手に保全すれば、多数のトンボの舞う、自然豊かなため池になりそうです。冬にはカモなども入りそうですので、彼らによって浮葉性の水草も増えそうです。足廻間池の脇にはノバラとアザミも咲いていました。
大内秀之(NPO『カエルの分校』)

◆「日本福祉大学美浜キャンパスの中にため池がある」と聞いて、まず思い浮かべたのは、しっかりとコンクリートで護岸され、キャンパス内の施設然とした人工的な池でした。しかし、実際に見学すると、その予想は大きく外れました。背後にはこんもりとした森林を抱き、水際は土のまま。下流こそグランドとなっていますが、堰堤も草地として維持されていました。このような生物多様性を支える素地のあるため池がキャンパス内に残されていることは、生きた教材として大変貴重であると感じました。
 私は地理学出身なので、足廻間池とその周辺が現在までにどのように変化したかが気になりました。キャンパス造成のため、ため池周辺の地形や水系が現在はわかりにくくなっています(写真1)。そこで、キャンパス造成前の1978年の空中写真を見ると、このため池は伊勢湾にそそぐ山王川の水源の一つにあたり、谷戸(谷に開けた水田)の最も奥まった場所に位置していたことがわかります(写真2)。また、周囲には所々がミカン畑として切り開かれた里山の森林が広がっているのも見えます。この様子から、かつては下流の水田の貴重な水源であったこと、背後の山林がため池を潤していたこと、そして山林・ため池の水域・水田が一体となった豊かで健全な生態系が存在しただろうことが想像できます。この景観の一部が、そっくりそのままキャンパスの一部となって残されていることは、やはり貴重です。
 今後、植生学の立場からは、池上流の森林・堰堤の草地それぞれについて、フロラ(植物相)と群落の調査を行い、基礎的なデータを得ることが大切だと感じます。これにより、このため池の貴重さや地域の自然環境の中での位置づけを客観的な目で明らかにすることができ、また、保護の指針も提案することができるでしょう。


写真1: 1988年(キャンパス造成後)の足廻池周囲


写真2: 1978年(キャンパス造成前)の足廻池周囲

*本記事中に掲載の空中写真は、いずれも国土交通省の国土画像情報(カラー空中写真)によるものであり、ため池周辺を切り出して使用している。

富田啓介(名古屋大学大学院環境学研究科)

フィールド学習のコースのご案内  その④

2007年08月10日 | Weblog
●コース名:Dコース
●コーディネーター:曲田浩和(日本福祉大学)
 愛知用水の調整池としてつくられた佐布里池を中心に、水で苦しみ、水で笑い、水に親しみ、水で闘ってきた歴史をたずねるコースです。

 ①知多市歴史民俗博物館
  基本的なため池の構造やため池づくりの技術者である黒鍬が説明されています。


 ②佐布里池
 (知多市、1670年以前からあった「かし端池(加世端池)」を拡張)
空から見る
  佐布里池は、有効貯水量500立方メートル、満水面積62ヘクタールの巨大なため池で、1965年(昭和40)年、愛知用水の調整池として完成しました。
 佐布里池は加世端池を基に拡大しました。多くの耕地が失われましたが、恒常的な水の給水は知多半島の人々の願いです。村の人々は村の利害を超え、知多半島の人々のために佐布里池を誕生させました。



 ③水の生活館・愛知用水神社
  水の生活館は、愛知用水を中心に水と生活を考える施設です。水をめぐる懐かしい光景が展示されています。愛知用水神社は、水の安全を願い、工事の犠牲者への慰霊のためにつくられました。神社の隣には、水利観音があります。


 ④雨宝山の寺院の数々
  水不足に苦しんだ知多半島、降水量は決して少なくはないが、ほとんど大きな川がなく、梅雨時期には三日も雨が降らないと、空を見上げて雨の恵みを待ったといわれています。佐布里にある正法院・密厳寺・誕生寺・如意寺・浄蓮寺は「雨宝山」を山号とする雨乞いの寺院です。

 

フィールド学習のコースのご案内  その③

2007年07月29日 | Weblog
●コース名:Cコース
●コーディネーター:河合克己(半田市文化財専門委員会委員長)

 ため池の歴史を辿り、先人の苦労や工夫を知り、次の時代へ引き継ぐためのヒントを学び取ろうと思います。

半田池
 (阿久比町、半田市、常滑市 1695年…元禄8年構築)
空から見る
 近世末期、半田村海岸部に拓かれた干拓新田のために築造され、用水路は掘削せず、矢勝川を水路として使用したので、矢勝川の水の既得権を持つ流域農民との間での水利慣行が詳細に決められた模様です。
 また、新美南吉の童話「おぢいさんのランプ」の舞台ともなりました。
 常滑市大野と半田市亀崎を結ぶ「黒鍬街道」が池の傍らを通っているため、各地のため池造りに大きな役割を果たした「黒鍬衆」についても触れます。


半田市立博物館
 ため池の水を調節するための、木をくりぬいて作られた、当地方最大の「立て杁(樋)」(ダツ、タツ、スズメビルとも呼ばれる)や、水路より高い水田に水を配水するための「龍骨子」を見ていただき、先人の足跡に、思いを寄せていただきます。


鵜の池(堂前池)
(美浜町、寛永10年…1670年以前に構築)
 国指定の天然記念物「カワウの生息地」の中心にあるため池です。
化学肥料が発明される前の江戸末期から明治期には、近隣の上野間村の農民達は「鵜の糞」を集めて販売し莫大な収入を得て、村の経費に充てていました。その一つに村立上野間小学校があり、口さがない悪童達は、上野間小学校を「糞立(フンリツ)鵜の糞(クソ)小学校」と呼んだと伝えられています。





フィールド学習のコースのご案内  その②

2007年07月23日 | Weblog
●コース名: Bコース
●コーディネーター: 富田啓介(名古屋大学大学院環境学研究科)

*「空から見る」からはGoogleMapによる池上空からの空中写真がご覧いただけます。InternetExplorerおよびNetscapeでの閲覧を確認しました。

*Bコースは、以下の3地点を回って、異なる環境の中の異なる整備状況のため池を比較していただき、ため池の現状と環境保全について考えるコースです。

(1)上池と七本木池  住宅地の中のため池の自然 
      (共に半田市、上池:17世紀後半~19世紀前半に、七本木池:寛永10年…1670年以前に構築)
  空から見る


→左から、七本木池の全景、七本木池の一部に残る森林、モニュメント「空へ」

満水面積が半田市内で1位と2位を占めます。住宅地に存在するため池で、水質はあまり良好ではなく、堰堤や周囲には帰化植物が多くなっています。ただし、完全に自然が失われているわけではなく、周囲の一部は森林や土の岸辺が残されています。また、冬季には多数のカモ類が飛来することで知られています。七本木池の北側に広がる水辺空間が、景観や生物の保全上貴重だと評価する本実行委員のメンバーもいます。そのほか、排水口のモニュメント「空へ」や大池神社、周辺の土地開墾の際の碑文などを見ることができます。


(2)明覚池 貴重種のある田園地帯のため池
      (東浦町、18世紀後半に構築)
  空から見る


→左から、明覚池全景、ガガブタの花

東浦町の真ん中にある南北に細長いため池です。果樹園や水田の広がる田園の中にあり、圃場整備が行われた現在では周囲にはまとまった森林はありません。このため池が貴重なのは、絶滅危惧Ⅱ類に指定されているガガブタ(ミツガシワ科)が多数生育していることです。コンクリート護岸は行われていますが、水辺のヨシやガマの群落が残されていることも貴重で、トンボ類も豊富です。ただし、堰堤は管理が行き届いておらず、薮になっています。


(3)あいち健康の森・いのちの池  公園として整備されたため池の自然
     (大府市、元は蛇ヶ根(寝)池…19世紀前半)
   空から見る


→左から、いのちの池全景、池をめぐる遊歩道

大府市の最南部にある公園内の池で、新しく公園建設時に造成されたもののようです(同じ公園内にある蛇ガ寝池はもともとのため池のようです)。周囲には遊歩道が整備され、芝生が植えられています。また、池の中にはハスが植栽されています。周囲の公園を含め、多くの人の憩いの場なっています。明覚池と異なるのは、もともとあった自然からは切り離された空間が作られている点です。

フィールド学習のコースのご案内  その①

2007年07月23日 | Weblog
 フィールド学習会は、9月16日(日) 9:15~12:30に、次の4コースで行います。出発および帰着地は、日本福祉大学美浜キャンパスです。

 Aコース(自然系)…「里山景観の中のため池」(知多半島南部)
 Bコース(自然系)…「知多半島のため池・自然のいま」(半島北部)
 Cコース(人文系)…「カワウと南吉とため池と」(半島南部)
 Dコース(人文系)…「知多半島・水とため池の来し方」(半島北部)

 なお、希望者数によってはコースを合併することもありますので、あらかじめご了ください。

〔コース概要〕

●コース名:Aコース
●コーディネーター:大内秀之(NPO『カエルの分校』代表)

 Aコースは、現役の農業用「ため池」でありながら、素晴らしい景観と2次的自然が残る「ため池」をご案内します。
なお、フィールド学習会の後の分科会では、Aコースでご案内したような豊かな生態系や景観の「ため池」を、どうやって次の時代へ引き継ぐかについて、みなさま方と、引き続き、お話し合いが出来ればと思っております。
・第2分科会「ため池の価値と地域住民の役割」では、私からの話題を大沼実行委員が代わって報告します。
・第3分科会「環境教育」では、埋立ての危機にあった「ため池」を残し、少しでも良い自然と景観にするために、地域住民や行政、そして子どもたちと取り組んでいることを、私自身が報告させていただきます。
 より良い形で残すためのキーワードは「自然に学び」「意識を高め」「支援組織」「釣り人対策」のようです。

矢梨新池
(やなししんいけ:美浜町、明治8年…1875年に構築)
空から見る
 南知多らしい美しいため池で、地域のボランティア『しんいけ倶楽部』の方々と、河和南部小学校の児童たちによって、その美しさが保たれています。
堤体上からは、三河湾も望めます。
 地元の方に、維持のための苦労話なども、ご報告いただく予定です。



青山池
     (美浜町、17世紀後半~19世紀前半に構築)
 空から見る
 昔からあったため池を、愛知用水の水量調整機能を持たせた、大きなため池です。
池の片面は道路と接しているものの、水草も豊富で、自然が残されています。
 愛知用水についても、水資源機構愛知用水総合管理所の土田様からお話させていただきます。



中山池
     (美浜町、寛永10年…1670年以前に構築)
空から見る
 堤体の法面に工夫がなされていて、植物も生え、子供が万一池に落ちても這い上がりやすいようになっています。
 中山池の改修に当たられた知多農林水産事務所さんから、その辺の苦労話なども、お話させていただきます。



白沢下池
      (美浜町、寛永10年…1670年以前に構築)
空から見た白沢下池
空から見た 奥杉谷池、中山池、白沢池群 
 西の北が奥杉谷下池、西の南が奥杉谷上池、中央が中山池、東の北が白沢下池、東の南が白沢上池です。

 白沢下池は、白沢上池と共に、知多半島一ではないか思える自然度と景観が保たれた「ため池」です。
このようなため池を、行政、地域住民などが一体となって、各地に残せたらと思います。
 ただ、気がかりなこともあります。それは、ブルーギルやブラックバスがいて、それを目的の釣り人が入り、フェンスが破られたり、ゴミも捨てられていることです。
車が入れないようにするのも、手として考えられますが…。

 このため池へ行くためには、30分ほど歩かないと辿りつけないのですが、荻原農園さんのご好意で、北側の農園内を通らせていただき、シンポジウム参加のみなさまは、バスを降りて6分ほどで行くことが出来るようになりました。