ここのところなかなかブログ更新がはかどらない。
9月いっぱいで終えるつもりだった「フーバー元大統領回想録」要旨もあと140ページ位残っている。やり始めてもすぐへとへとにくたびれて進まないし、読み返してみると最近はとくに文章が荒い。不眠、めまい、疲れやすさなど、全身的に体調不良に陥ったようだ。しかしこの本は目からうろこの記述が多く、日本人ならぜひ読んで実情を知らねばならない、という気持ちがますます強くなってくる。あと2週間くらいで出来上がればなあ、と思っているが・・・
ラテン語の短歌についてもいつも考えているのだが、その前に現代西洋語による短歌もちらっと見てみたり、その歌人たちが日本短歌をどう思っているか、受け入れているか、興味深いテーマであることを発見し、これについてもちょっとなでるようにでも見てみなければ、と思いついた。また、外国語による短歌というのは、漢詩や新体詩など外来の詩の日本化とは逆の方向にあり、これらがどんなに享受されていたかも振り返ってみたい。ともかく、これらは終りのない課題ではある。
ショパンコンクールは毎日見ているが、実に楽しい。あと1週間続くようだし、終わっても記録がYouTubeで提供されているのでずいぶん長い間聴くことができる。ただただ注目しているのは日本勢の活躍である。あらためて日本人のピアニストの良さや特徴、「直き心」が、音だけでなく弾きぶりから表情や服装に至るまで、すとんと心に落ちてくる感じがしている。優勝などしなくともいい、第一次審査で見せてもらった音楽性と演奏力で基本的に十分だ、そのまま日本で活躍できるはずだし、我々も応援せねばならないと思う。「舶来信仰」はもう止めよう。日本の音楽市場は世界一なのである! (15年2月17日の記事を参照)
もう一つ、楽器は3種類、スタインウェイ、ヤマハ、カワイが用意されているようだが、かつては「練習用」と言われていた日本製ピアノも世界最高水準になったことを納得した (音の狂いが一番大きかったのはスタインウェイである。これはオクターブや単音の "うなり" ではっきり分かる)。 同時に、「ショパンが弾いていたピアノ」でショパンの曲は弾かれるべきではないか、との思いもある。特に前奏曲24曲はみな違った調性で書かれており、その性格の違いを正しく表現するには平均律ではなく、ショパンの頃の古典調律でなくてはならない。
2、3日前にこのコンクールを聴くためにパソコン用のスピーカーを買った。いつもヘッドホンで聴いていたのだが、わずらわしい感じもしてきたので。仕事部屋に置ける小さなものだ。音は最善ではないが、大きな店に行っても日本製のいいものが見つからない。割と大きなウーハ付きの3点ものを選んだ。安い価格でウーハ付きは割と良心的、という点で仕方なく妥協した。
あれこれと書き出すと止まらないのでこの辺で。これから本屋に「海潮音」文庫版を買いに行かねば。
今日のところの課題はこんなもの、明日は明日でまたやらねばならないことが出てくるだろう・・・