Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

ベトナム点景

2017-03-21 18:03:27 | 旅行

ベトナムを3日間旅した。
目的地はサイゴン (ホーチミン)である。ベトナムは シナ、フランス、アメリカ、共産中国などの侵略、南北内戦と、長く動乱が続いた国だ。そのためなのか、人々は我々とは違う鍛え抜かれたなにかしらを持っているように感じた。人々は概して私など日本人に対しとても友好的だった。

まったく知らず言葉も通じない土地なので、旅は3日とも案内人付きであった。往復とも夜行の飛行機を使い、3日間を町で過ごすという余り余裕のない旅だった。2日目だけ近くのメコン河畔のミト村という所で小舟に乗った。

 今回の旅はじつは慰霊の旅で、故人が20年前にここを訪れた跡を辿るためだったが、その目的は遂げられたと思う--近代化はしつつあるもののサイゴンという町やミトという村そのもの、そしてそこに住む人たちの生活すべてが古かったと思う。

 

この町一番の観光名所、マリア教会と郵便局、ともにフランス時代の建造。しかしカトリック教徒は少なく大部分は仏教徒とのこと。
バイクの若者はみなマスクをかけている。色は白だけでなく、青、黒などで、みな「活性炭素」入りだそうだ。空気の汚れをみんな気にしている。
大気汚染にはベトナム戦争時の枯葉剤のダイオキシンも含まれており、その影響はいまだに残り、おかげでこの国の人口が減っている、と案内人は言った。

 

バイクの奔流、チラホラトヨタも見える。公共交通機関がバスしかないのでバイクは男女をとわず人気。いま町を南北に貫く地下鉄が日本のODAによって建設中で5年後には20kmの路線が完成するとのこと。地元の人は皆その期待を口にしていた。その暁にはこのような情景も変わるだろう。

 

 道端のカフェテラスに座ってぼんやりと夕景を眺める。向こうの美しい建物は学校で、この町一番の高校だそうだ。かつて「ラマン」という悲恋映画で主役のフランス人少女が通う女学校として登場したことがあるという。
所在なくたばこを喫っていると物売りの子供が姉と弟でやってきた。売り物をいれた箱を首からかけ黙って私の斜め前に立つ。大きな目を開き明るい顔つきで身なりもきちんとしておりうらぶれた様子はない。あたかも遊びとして働いているかのようだ。財布にあった小金をあげると喜んでかけ去っていった。

 

 

メコン河畔ミト村の船着場。船はみな観光船。向こうには漁船もあるが、河の大きな魚はもう取りつくした、と案内人は言った。ここから河の真ん中にある中州に渡る。メコン河はヒマラヤから平野に入るとすぐこんな色になるそうだ。浮かんでいる水草は日本にもよくある「ホテイアオイ」のように見える。

 

中州に上がる。この部落は観光用物産を売って生計を立てている--ハチミツ、木彫りのあれこれ、袋ものやTシャツ、ココナッツの飴や酒、 果物、そしてベトナム民俗音楽の実演-- 「ベトナム経済のためぜひ買って」と案内人が言うので、ワンカップの蓋ほどの容器に入ったローヤルゼリーを千円で買った。同行のおばさんはその1ケースを5千円で買っていた。

このゴツゴツした木は年代ものだ--もう樹齢何十年にもなるだろう。木製の鉢に入った「盆栽」に見える。向こうの家は、これこそ昔ながらの農家の作りだろう、屋根は草葺きである。

 

町の中で一休みしていると、現地青年のリーダーに率いられたベスパのツアー客が出発して行った。 メットを被って暑いのに・・・非力なベスパで走っても遠くには行けないだろうに・・・景色はみな原っぱばかりだろうに・・・ と余計な心配をしてしまった。やはりかれら西洋人にとってはここはまずリゾートであるようだ。

 

 

町の中にはいくつもかつての戦争の記念館がある。その一つにこれが野外展示してあった。しっぽの星印からすると北ベトナム軍のもので多分ロシア製だろう。二枚羽では非力、鉄板も見すぼらしい。やすやすと撃ち落とされたにちがいない。ベトナム戦争時のものだ。

 

 

これは別の記念館の入り口で。中学生たちだろう、国旗にある黄色の星印がついたおそろいの赤いシャツと青いシャツを着ている。制服のようだ。日本で言えば、生徒がみなそろって靖国神社に参拝するという場面だろうか、国の成り立ちをこのように子供たちに教えている。

 

 

市場にて。みな知らない果物ばかり。果物、生水、生野菜は外国人には(特に日本人には)危ないと言われ、味見もしなかった。ちょっと心残り。

 

 これは別の市場で、地元の人の日常生活のための市場。ここでも殆ど知らない野菜ばかりだ。こういうものは都内のベトナム料理店でも出てこないんじゃないか。

 

 

夜、下町を歩いてみる。ガイドブックなどでは「危ない、危ない」と言われているが、そんなことはなかったようだ。 ともかくこの町にはホテルが多い。日本のツアー会社御用達の有名大ホテルだけではなく下町では小規模な無名のホテルを無数に見かける。

この先で小さなカフェテラスの前を通りがかるとメイドさんに笑顔を向けられたのでお礼に中に入って飲み物を頼んだ。しきりに「ジャバ、ジャバ」とおっしゃるのが分からなかったが、どうやら「ジャパン」の意味だったらしい。顔色は似ていてもすぐ日本人と分かるようだ。ベトナムの菅笠を被っていたのだがこれは親善上とても有効なようだ。

 

夕暮の公園にて。直射日光がなくなった夕方には仕事を終えた近くの人たちが夕涼みがてら出てきて食べながら飲みながら一時を過ごす。だが、風がないのが残念だ。

 

 

夜市の屋台に親子連れで売りにきていた。この子、大きく見えるがじつは乳母車に乗ってきている。手を握って話しかけると恥づかしがって幌に顔を隠そうとする。

 

一家で家の前で夕涼み。中学生ほどのこの女の子 は教科書を広げて勉強。

 

 

大通り沿いだけでなく路地にも店ができつつある。市内への日本資本の進出も急速で 「日本人街」などの地域では地価の値上がりも東京に匹敵するとのこと。
左は日系人のカレー屋、わりと辺鄙な下町の一画なのだが現地の人にもだんだん人気が出てきつつあるそうだ。 

 

旅行の前に「日本の古本屋」でベトナム旅行記を探したのだが、これ一冊しか見つからなかった。これは20年も前 1998年の出版で当時20台の女性2人がベトナムを縦断した日々をイラスト入りで綴ったとても興味深い本だった。当時と今を比べれば(といってもサイゴンの一部だけだが) 当然というべきか、近代化はあきらかなように見える。なにしろ当時はトイレや水にさえ苦労があったようなのだ。
このお二人は今ほど便利にも安全にもなっていないこの国を勇敢にも旅し多くの人たちと心からの交流を果たした。とくに北方のモン族部落の訪問には胸を打つものがある。

 

 

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ハノンで遊ぶ - ピアノを再... | トップ | 白鳥 (サンサーンス) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。