Tomatopiaの日記帳

クラシック、思い出、短歌、旅、政治

ぶらあぼ、8月

2016-08-08 08:08:04 | 音楽

毎日暑い。8月1日の前後2週間は毎年覚悟しているが、今年は特につらい。
きょうは8日、朝晩は涼しくなった、と感じられる日が待ち遠しい。
今月も色々あって、書くべき記事をいくつか落してしまった、残念。

 

ここは毎年モツアルトの歌劇をやっている。いつも魅力的である。上手、下手、というのを通り越して、ともかくさわやかで気持ちよく聴かれ観られるのだ。

 

このような編曲に接したのは初めて。バッハはどんな編曲も受け入れる人だったと思う。ピアノでの演奏もチェンバロなどより相性がいい、と思えることもある--ただ、調律が古典調律でないのをいつも残念に思っているのだが・・・

 

 

 

エレクトーンが現代の万能オルガンとして登場するのをよく目にするようになった。特に違和感はない。かつての「電気音」という印象もなくなった。足鍵盤の音域がもっと広がればいいのだが・・・

 

邦楽家だったご先祖の記憶が自分の音楽によみがえる--そのようなことは音楽家であってもなくても誰もが経験することではないだろうか。われわれは毎日近い、そして遠い先祖を思い出しながら生きている。

 

武満徹の後継者を自負する外国の作曲家がいらっしゃるようだ。日本ではどうなのだろうか?

 

「絶滅危惧種」的で「前人未踏系新種」とは、いったいどのようなヴァイオリニストなんだろうか?

 

われわれに最も親しいクラシッグは日本の歌だ。その系譜をすべて辿ってみたい、といつも思っている。

 

少年少女たちのオーケストラ、ぜひ聴いてみたい。(21日と27日)

 

また今年もこのスクールの季節となった。今回は、いつも名前だけの「ドレンスキー教授」がおいでになるもよう。(13日)

 

このコンクール、日本でも一番興味深い登竜門となったと思う。(18日)

 

2次予選が始まるようだ。(ピアノは28日)
今年から応募も審査も「国際化」したとのことだ。

例のマスゾエ知事 (第9の演奏会に公費・公用車を使って家族で行っただけでなく 「音楽政策」 にまで手を出していたとは驚いた) の置き土産と推察されるが、案の定、隣国から数名の予選通過者が出ているようだ。このコンクールはもともと、わが国の若手を発掘して応援するというのが趣旨だったはず、それなら国籍限定であってよい。やはり「国際化」している仙台のコンクールもそうだが、徒らに「国際コンクール」を標榜するのは意図に反した(?)結果となるだろう。
念のため、このコンクールの主催者は、東京都、文化会館 (都営)、読売新聞社、花王株式会社(この会社は親韓として有名)。

たとえば、邦楽や日本語歌曲、邦人作品、現代音楽で国際コンクールを、というなら日本発のクラシック音楽の後押しであり、全く問題はない、というより、そのように世界に向けて主張できるような地位を日本が早く占めることを待ち望んでいるのだが。

国際コンクールは国の威信をかけて行われる。ポーランドのショパンコンクール、(旧)ソ連のチャイコフスキーコンクールを見れば、一目瞭然だ。それが逆の印象を与えることになったのでは元も子もない。

 

 

 

 

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