Tomomi's

入谷に住む

すべて完了

2017-08-13 | 日記・エッセイ・コラム

最も気になっていた父の遺品を福島県伊達市の太田良平記念ホール・伊達市梁川美術館に寄贈して、受領書がとどいた。これですべて完了した。

その遺品とは、祖父・高村傳(つたえ)のブロンズの胸像と、伯母・太田光子の歌集、そして従姉の槇さわ子(佃牧子)の詩集だ。

祖父の高村傳は、福島県双葉町出身だから、帰るべきところ、福島に帰してあげたい、というわたしの思いがあった。祖父は、中学のときから福島県の奨学金で双葉町から東京に出て学び、法務省に勤めて30代はじめ、北海道に転勤になった。根室、釧路、帯広の地裁で書記官をやって、帯広で定年になった。本省にもどる話をなんども断って北海道にとどまった、と祖母が話していた。北海道で嫁いで暮らす4人の娘たちのことが心配だったという。とくに一番下の娘、律子さんを溺愛していた、という。皮肉なもので、律子叔母は拓銀帯広支店に勤める石川さんと結婚した。拓銀帯広支店勤務の石川さんは、すぐに東京、横浜、京都と本州の拓銀支店を転勤して、名古屋で定年退職した。石川夫妻は名古屋で家を建て、名古屋で亡くなった。祖父が溺愛していた末娘、石川律子さんが、北海道にもどって暮らすことはなかった。74歳で亡くなった祖父は、死ぬ前の数年、酔うと「東京に帰りたい」と言っていた、という。

 

歌人・太田光子は、祖父・高村傳の長女、高村光(みつ)。帯広高等女学校(帯広三条高校)で教員をやっていたが、「プロの歌人になる」と、反対し激怒する祖父をふりきって、家出同然で東京に出てくる。その東京で彫刻家の青年、太田良平と出会い結婚する。

詩人・槇さわ子(佃 牧子)は、彫刻家・太田良平と歌人・太田光子の長女。

 

 

   伊達市梁川美術館 http://www.city.fukushima-date.lg.jp/site/y-museum/4871.html

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