経営者フォーラム 東京ランド株式会社

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借金コロガシ 第8章 団結力と信用力で地獄から復活

2017年05月20日 | 著書
日本バブルが崩壊したのは、1990 年(平成2 年)4 月の2 日です。国会図書
館で4 月3 日の新聞を見てもらえば、4 月の2 日にどんな大事件が起こったの
かわかります。当日の株式欄はほぼ真っ白です。全ての株式取引所で投げ売り
に次ぐ投げ売りで、取引が成立しなかったのです。この日より日本はデフレ経
済に突入しました。
土地建物の取引も不動産業者の投げ売りに次ぐ投げ売りで、取引が成立出来
ませんでした。土地建物の取引は相対取引で、株式市場のようなマーケットが
ありませんから、新聞紙上には本日の相場の動きとして掲載されることはあり
ません。不動産業者だけが同業者の動きをキャッチし、その動向を見極めなが
ら、買うか、売るか、見送るかを決断します。この判断を間違えると身の破滅
です。ですから、中小企業の経営者のセンサー機能は極めて発達しています。
さもないと、破産、倒産、閉店、廃業となります。
1990 年3 月の総量規制は、バブル経済を造った不動産業者とそれに関連する
建築業者潰しを目的とした大蔵省の政策でした。地上げ業者と共にバブル関連
業者のすべてを潰しておかなければ、全国民が家を持てなくなる、みんな「家
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なき子」になってしまうとの危惧から、春には総量規制を発動し、秋には公定
歩合を大幅に引き上げたのです。
国民の名を前面を出していますが、本音は自身達が官舎から出られなくなっ
てしまうと危惧していたからです。バブルの生成を図ったのは、政府大蔵省、
バブルの崩壊を図ったのも、政府大蔵省でした。自分のまいた種で自分が困っ
てしまったのです。
でも政府大蔵官僚には、今日に至るまで、謝罪の言葉は全くありません。彼
らには無謬の神話があるからです。戦前の軍事官僚と同じです。日本には「神
風が吹くから敗れるハズはない」と本心から思い、国民に信じさせたのと同様
です。国民を無知のまま捨て起き、バカな政治家に代って権力を自由に操れた
からです。
この無謬の神話に取りつかれたバブル崩壊大作戦によってお取り潰しにな
った不動産業者、関連の建築業者はどれだけいるのかデータはありませんし、
見当もつきません。ほとんどは潰れたまま、20 年近く経過した今日まで、再起
できないでいます。だから不景気のままなのです。
その原因はバブル崩壊を指揮したエリート官僚たちの無謬の神話にあった
のです。ペーパー野郎たちの犯罪です。どれだけの人が貧困にあえぎ、どれだ
け多くの人が命をなくしていったのでしょう。官僚達の犯罪でデフレの悲劇は
20 年たった今もまだ続いています。
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<用語解説:無謬(むびゅう)の神話>
エリート官僚たちはけっして失敗を認めません。子供のころからペーパーテス
トでは常に満点の彼等は、自分は満点の人間だ、と思うようになってしまいまし
た。満点人間が失敗などするはずがないと信じ切っているのです
不動産バブルの崩壊で買い手のいなくなった不動産相場は、急落に次ぐ暴落
です。この暴落の最中、日本銀行は公定歩合と市中金利を急騰させたのです。
あたかも気息延々の死に体の業者の首を締めあげたのです。業者はみんな大量
死です。
不動産業者も建築業者も殆どの者は、株式投資もやっていました。バブル崩
壊で株式も大暴落しましたから、こちらでも大損害です。つまり、右、左とダ
ブルパンチを浴びたのです。バブルパンチとなりました。そして殆どの者はノ
ックアウトされました。ノックアウトされたまま死に至った者数知れず、死者
は生き還りません。この時のダメージは今日まで続き、未だ復活できておりま
せん。自殺者はウナギ登りのままです。
復活できたものは、全く別の道を歩んだ人々です。国の支援を受けたIT 産
業ぐらいでしょう。しかし、それもIT バブルの崩壊で多くの企業は消えてい
きました。どうやら全てのバブルは崩壊する運命にあるようです。
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さて、これからは、突然バブル崩壊(当時はこのフレーズはまだありません
でした)のストレートパンチを浴びた我が身と我が家族の物語です。
当初いったい何が起こっているのか、報道はありませんし、何がどうなって
いるのか、まるでわかりませんでした。新聞もテレビも全く報道がありません。
しかし、銀行からの融資はピタリと止まるし、マンションの売れ行きもピタリ
と止まりました。買い手の資金手当てができなくなったからです。銀行は、不
動産物件には誰にも全く融資しなくなったのです。
仕事はすっかり無くなりました。しかし、しばらくは今までの蓄えで食いつ
なぐことはできていました。しかし新規の収入は全くなくなっていたのです。
不安がつのり、次の一手を模索しても、なかなかアイディアが出てきません。
そんな折、私のオフィスの近くの会社が、続々とバブル崩壊の煽りを受けて、
会社規模を縮小する会社が次々と出てきたのです。テナントが次々と退却する
ものですから家賃相場が下落に次ぐ暴落です。
周辺のビルはテナント募集の広告だらけになりました。バブル景気最盛期の
頃、我がオフィスのある市ヶ谷周辺の家賃相場は、1 坪当たり4 万円から5 万
円でした。それが、バブル崩壊後1 年ぐらいで1 坪当たり2 万円台から1 万円
台に暴落してしまったのです。
この暴落現象を、私はチャンスと捕えました。ピンチはチャンスなのです。
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安くなった物件の資料を作成し、チラシを周囲に配布したのです。私のオフィ
スの周囲は賃貸ビルとマンションが林立しています。ポストが数十個とか、百
数十個とかも、まとまってありますから、チラシはすぐ品切れになってしまい
ました。そこで、このポスティング作戦に女房、子供も参加させようと考えま
した。
日曜祭日の休日の朝早く暗いうちから、リュックサックにチラシをぎっしり
詰め、両親もリュックサックと両手に紙袋姿で、一家5 人で出撃したのです。
父親と保育園児のチーム、母親と小学校低学年児童2 人の2 チームで、幹線道
路の左右に分かれ、ポスティングを開始したのです。
驚いたことに、子供たちは喜んで駆け足で、まるでゲームをやるかのように、
夢中でチラシをポストに投げ込んでいくのです。渋々やるかと思っていました
ので、これには感心しました。子供は仕事をするのが好きなのです。それが生
きる為のDNA なのでしょう。そして、お客様から反応があり、契約に結び付く
と、一家そろって回転寿司で労いました。今となっては楽しい思い出です。バ
ブル崩壊をこんなに楽しんだ一家は、そうはいないでしょう。ピンチを抜ける
一致団結作戦でした。
しかしバブル崩壊で転売業は全面停止ですし、このころの借金はまだ6 億円
ありました。なんとか稼いでこの難局を突破しなければなりません。自分には
何ができるか思慮したところ、私には大きな財産が2つあることに気がつきま
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した。それは、人脈と安い物件の仕入れルートだったのです。
大学在学当時から色々な活動をし、卒業後も商売以外に様々な活動をしてい
たものですから、人脈が大きなものになっていました。この「人脈が金脈」に
なっていたのです。意図していなかったもので、これには驚きました。
「中島さ~ん、なんか安いマンションありませんか~?」と、買い手が続々
とやってきました。皆、物件相場が暴落していると知っていたからです。私も
暴落物件の品を揃えておきました。驚いたことに、まとめ買いするお客様も現
れたのです。一部上場企業のオーナー社長です。
「水は高きより低きに流れるが、金は高きからより高きに流れる」とはよく
言い当てたもので、この時大量に仕入れたオーナー社長は元々、大資産家であ
ったのが、バブル崩壊をキッカケに、ますます資産を増やしてしまいました。
金持ちになる秘訣は物の安い時に大量に値切って仕入れることです。でも決し
て仕入れで焦ってはいけません。
なんと私はバブルが崩壊しても直ぐに立ち直って、仲介業務で大儲けしてい
たのです。今にして思うと、何がそうさせたのか思いを巡らすと、やはり「信
用」なのかと結論付けられます。
「中島さんが勧めるなら、それでいいヨ」と買ってくれるのも、信頼があれ
ばこそ、なのでしょう。この大儲けで、一家5 人と世話になった税理士夫妻、
合計7 人で海外旅行をしたのもこのころのことです。バブル崩壊後約3 年で危
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機は突破しましたが、6億円の借金はまだ時効とならず、残ったままでした。
バブル生成とその崩壊の事実を、歴史に残しておく必要があると感じた私が、
「平成の敗戦」とのタイトルで執筆していたのもこのころです。でも、出版社
は全く無名の私にこのビックタイトルを許してはくれませんでした。題名は
「逆転の借金経済学」(徳間書店1996/07/30 出版)になってしまいました。3
年程をかけた労作です。
バブル経済で大成功をおさめ、バブル崩壊で大借金を背負い、地獄の底を這
いずりながら、逆転勝利で復活できたのは、いったい何なのだろうと思うこと
があります。それは、「団結」と「信用」であると思い至るようになりました。
物心がつく頃から、母親には「人様に笑われるような人間になってはいけな
い」「人様には絶対迷惑かけてはいけない」くどいほど言われ続け、それが道
徳とか倫理なのかなと思いつつ、そのくどさには殆ど僻々としていました。し
かし母が亡くなって10 年以上経った今思うと、人様に笑われるなとか、迷惑
をかけるなというしつけは、単なる道徳でも倫理でもなく、地獄に落ちた時の
「復活のキーワード」だったのです。
私が大学卒業の際、卒業後も就職せずに独立自尊で生きていく旨を話したと
ころ、父親はたった一言「金を積むより信用を積め」とたった一言、言ったの
です。結局のところ、両親の2 言で私は地獄を脱出できました。家族の団結と
世間様の信用のおかげでピンチを生きながらえることがでたのです。
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