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2016年09月18日 | Weblog

「健常者」という妄想

 「人は誰でも年老いれば障害者になる。命を差別しないでいただきたい」。リオデジャネイロ・パラリンピックの開幕にあたり、競泳の成田真由美選手は相模原市での障害者殺傷事件に触れ、訴えた。ひとり容疑者の優生思想や凶行を責めたのではなく、健常者一人ひとりの心の奥底に潜んでいるかもしれない「容疑者性」に向けて警告したのだろう。

 例えば、高度成長期の一九六六年から七四年にかけて、兵庫県で展開された「不幸な子どもの生まれない県民運動」。遺伝性疾患や心身障害の子らを「不幸」と決めつけ、旧優生保護法を背景に異常のある胎児の中絶を促した。「本人や家族の苦悩はもちろん、社会の負担は計り知れない」との考えだった。

 障害者団体が反発して運動は表面上はついえたが、成長主義の社会は水面下でその「容疑者性」を強めている。生命科学や医療技術の進歩は、出生前の命を高精度で選別し、終末期の命を巧妙に管理しうる時代をもたらした。障害者の生命、自由、幸福追求の権利は置き去りにされ、尊厳は脅かされている。

 成田選手が言うように、人は誰しも「老化障害」を抱えている。程度の軽重が違うだけで、健常者という存在は妄想にすぎない。そう認識して支え合う社会をめざせないか。抗(あらが)うべきは、他者の生を値踏みし、幸か不幸かとレッテルを貼る動きだ。それが悲劇の根源となることは歴史が教えている。 (大西隆)

 
 
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