情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

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死刑制度の是非について~死刑をするだけの冤罪防止制度がない国日本

2007-07-16 09:52:53 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 光市事件関連のエントリーのとき、死刑制度については別途エントリーを立ち上げる旨述べたままになっていましたので、私見を述べておきたいと思います。なお、前回は、弁護団への批判がどのような議論によるものかを示す意味でも、少々中傷的な言動があってもそのまま掲載しましたが、今回は、万一、普通に人と話すような言葉遣いをすることができない方のコメントが来た場合、反映するつもりはありませんので、悪しからず、御了承下さい。

 まず、私は、少なくとも、現在の日本の刑事司法システムにおいて、死刑制度を維持することには賛成できません。なぜなら、冤罪を防止するだけのシステムがないからです(理由1)。

 警察が調べた証拠のうち、被告人に有利な情報を開示する義務はありません。したがって、仮に決定的に無罪を立証する証拠を警察がつかんでいても、それが表に出ないまま、有罪となる可能性は棄て切れません。(理由1-①)

 また、警察・検察の取調の過程が録音・録画されていません。したがって、してもいないのに自白を強要される恐れがあります。(理由1ー②)

 この二つのシステムが導入されない限りは、死刑制度の是非を論じる条件すら整っていないと思います。したがって、以下は蛇足です。


 次に、死刑は再犯防止策としては、稚拙だということです(理由2)。

 国家の役割は、犯罪を防止することにあると思います。

 例えば、貧困が窃盗の原因だとすると、貧困をなくすよう努力することが必要だし、封建的思想がDVをなさしめるのだとしたらそのような思想が間違っていることを啓発しなければならないでしょう。

 これはあらゆる犯罪に共通していえることであり、なぜ、その人がそのような犯罪を行ったのかを研究し、そのような犯罪が起きないように研究することが必要になります。

 しかし、国家は、死刑を実施することで、国家が犯罪予防策について真剣に検討する義務を免かれようとしているように思えます。

 
 また、死刑制度があることによって、市民が他人を理解しようという努力をしなくなる恐れがあります(理由3)。

 つまり、単純に敵か味方かという見方しかできなくなり、判断パターンが単純化してしまいます。対北朝鮮についても、国家と国民を混同して、とんでもない国民、いつミサイルを発射するか分からない国民、人質を帰さない人でなしの国民、というような見方をしてしまう方もいますが、そのような見方をする背景の一つに、単純な敵・味方二元論が蔓延していることが考えられます。死刑制度は、この単純な敵・味方二元論を蔓延させる要因となります。


 さらに、死刑は刑罰のあり方を進歩させることを防ぎます(理由4)。

 人類の文化は進歩してきました。そうだとすると刑罰もより効果的なものに進歩させなければなりません。いまは、金銭的負担をかける罰、自由を奪う罰、生命を奪う罰がありますが、それ以外に効果的な方法はないのか、それぞれの罰のあり方として改善できるところはないのか、など真剣に研究しなければなりません。

 しかし、死刑制度があることで、死刑に優る罰はない、という考え方が蔓延し、そのような研究をする予算を組む必要性すら認められなくなりかねません。

 このことは、敵味方二元論からも生じることであり、きゃつらには人権なんてないんだ、どんな処遇をされてもかまわないんだ、という風潮を広め、犯罪を犯した者を社会復帰させようという意欲を社会全体から失わせ、結果的に、犯罪者の更生の妨げになります。


 死刑賛成派は、凶悪犯罪を抑制するには死刑制度維持が必要、犯罪被害者及びその家族の感情を考えると死刑やむなし、という理由なのでしょうが、それ以上に死刑を廃止する必要が、少なくとも現在の日本では大きいと思うのです。

 










★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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罪を憎んで人を憎まず (xylapone)
2007-07-16 21:11:22
 まさにその一言に尽きると思います。
 テロとの戦いにしても,テロリストへの制裁が世界の二極化を進め,また次のテロを生むという,本質的にはこれと似たような構図になっているのではないでしょうか。

 ところで事例は異なりますが,冤罪について実体験を綴った興味深いブログがあります。

http://ma-bank.com/catid/21

そういえば,植草一秀氏はどうなったのでしょうね。
結局、人権感覚が浸透してないから。 (田仁)
2007-07-17 14:34:17
いっそ、戦争でもしてバアッと世の中が引っ繰り返らないかなー!とか、ヤラセ棄民政策を若年層に浸透させようと頑張ってるヒト達も居るでしょ。
(本当は庶民にこそ戦争は痛いが、特権階級はソレこそ別荘地に隠遁なり、戦時物資の横領なり、そう悪くないんだけど。)
戦争で棄民さえOKなら、囚人を教育で何とかするより、サクサク殺ちて行っちゃえ!って事じゃないでしょうか。
教育こそが罪の意識への原点 (kaetzchen)
2007-07-17 20:14:36
近く書こうと思っている記事の中で,日本人の「特殊な人生観」について語ろうと思っている.ネタは高校生の時に読んだ,戸坂潤『日本イデオロギー論』(岩波文庫)だ.昨年復刊されたので,探せば出てくると思う.

戸坂はマルクス主義の立場からアプローチしているのだが,基本は西洋文化から日本思想を批判している.つまり,日本人というのは生まれて育って,年老いると「祖霊」という死者の世界へ旅立ち,そこからまた赤ん坊として生者の世界へ戻ってくるという円環状の世界観を持っているというのだ.よって全ての人は元々「性善説」つまり良い人で,悪人はいない.悪人が居れば,死刑にして存在を無視してしまえ,というのが日本人の根本的な考え方なのだ.

私も新約聖書を配ってキリスト教の宣伝をする時に,どうしてもこの世界観・価値観の部分で相手に反発をされることに気が付いていた.反面,宗教改革・近代科学以前のキリスト教世界は「性悪説」であった.つまり人間というものは元々罪を背負っていて,罪を償うために礼拝をするという思想である.イスラームはこれに近い考え方で「性弱説」である.つまり人間は元々弱いものだから,罪を犯しやすいものである,だから規制を強化せよという発想になるのだ.

ちなみに,永山則夫も光市殺人事件の犯人も,教誨師によって獄内でキリスト教の思想を教えられ,罪の意識を持つこととなった.永山則夫はその後マルクス主義へと走ってしまったが,光市の犯人は非常に幼稚であり,読み書きも中学レベルへ戻って勉強させているという.そうした教材の中にキリスト教のテキストを与え,既に自分が行ったことが「罪」であると理解し,これまでの粗暴な発言や文章は撤回するとまで言わせていることが広島でボランティアで面会している牧師を通じて聴かされている.
死刑賛成≧死刑廃止論者 (名無し)
2007-07-18 09:57:48
実際に大切な人を殺された事の無い人の意見ですね。確かに警察の捜査方法の問題により冤罪になるうる可能性もあるわけですが、だからといって日本に死刑に値する刑罰が無い以上廃止論に賛成できません

それならば、例えば懲役100年とかの刑罰を作るとかの法整備が整ってからの話だと思います。

死人にくちなし、と言いますが加害者を守る制度よりも被害者を守る法制度を重視しなければ単なる殺され損になります

殺された方が、どれだけ恐く苦しい思いをされ亡くなったか考えると加害者にも同等の苦しみを味わって頂きたい。

それが嫌なら犯罪を犯さなければ良いだけの事

現時点で死刑廃止論て単なる偽善の声にしか聞こえない感があります。
それは何故か? (東西南北)
2007-07-18 10:01:01
 1:「死刑賛成派は、凶悪犯罪を抑制するには死刑制度維持が必要」

 結局、凶悪犯罪を犯す人間は恐怖によってでしか抑止できないのである。家族・友人を殺す瞬間に抑止となるのは温もりや無償の福祉ではなく、恐怖と憎悪であるのが人間の真実だ。これが死刑抑止力派の虚偽である。人間が凶悪犯罪を犯さないで福祉を積極的に実現していく利他的な存在だというのが事実である。事実の争いである。説を争うのではない。人間が人間を恐怖と憎悪で支配することが人間なのかどうか?
 
 2:「犯罪被害者及びその家族の感情を考えると死刑やむなし、という理由なのでしょう」

 正当防衛ではないので必要性はありません。要は、死刑執行は理論的にも感情的にも人を殺すやむをえない状況でないということです。無期懲役で釈放基準の運用を公開し、規定すれば足りるということです。人間は殺しあう存在ではないからこそ、殺人罪が犯罪として成立するのである。人間が殺しあう存在であれば、殺人罪は人間抑圧の法律であるから自由にすべきであり、殺人は合法である。つまり、人間がご飯を食べて、子供を増やし、睡眠をとることが合法であるごとく、殺し合いが人間の本能であり、真実であれば殺人も合法である。殺し合いは人間の真実ではないからこそ、殺人が犯罪でなのである。人間社会を正当防衛・緊急避難による人殺しすら存在しない状態にすることが人間の真実である、殺し合いのない人間社会こと平等で自由な社会であるから、この社会の実現を目指す運動が幸福追求となる。ゆえに、人殺しである死刑は廃止することが絶対に正しいただひとつの人間の真実であり、法となる。
 

 
激情型犯罪には罪刑法定主義に限界 (田仁)
2007-07-18 17:18:09
死刑だろうが終身刑だろうが、激情に駆られての犯罪、或いは、一切の論理思考を持ち得ないタイプの犯人に対して、「罪刑法定主義に基づく犯罪抑止力は働かない」とは常識の範囲でしょう。
死刑による安易な「断罪」が、プロファイリングなど諸外国での常識的な操作手法や更生教育を放棄する言い訳となっている、のがヤメ蚊先生のご主旨と思いましたが?
死刑にすれば、動機や生い立ち等、どんなに社会的に目を背けたくなるような場合も正視せずに済むなら、当然第二第三の類似犯も未然に防ぐ術など無い訳ですからね!
大袈裟に言えば、被害者や世間好みの「奇麗な」「整然とした」加害者の「改悛」を、検察や警察がこれまでシナリオ・ライトされてきた面が確かに有るのですよ。
それには本来的な事実など邪魔なだけで、当たり前でしょうがプロファイリングなんて、日本じゃテレビ好みの猟奇物か推理小説の中だけの話です。
という事は、必然的に被害者も増えるでしょう。
Unknown (´・ω・)
2007-07-18 20:00:36
人を殺すか殺さないかと言うものは、本能ではなく人格です。
死刑肯定意見を持つ者は、基本的に殺人を反対しているのであって、殺人などの凶悪犯罪が無ければ死刑があろうと無かろうとどっちでも良いのではないでしょうか?

基本的な社会のルールを守らないで、自分の権利のみを主張してもそれは通りません。
他人の権利を守ってこそ、自分の権利も守られる世の中になるのではないでしょうか?
自分の権利と他人の権利 (東西南北)
2007-07-19 01:06:13
 「他人の権利を守ってこそ、自分の権利も守られる世の中になるのではないでしょうか?」

 そのとおりです。ゆえに、殺人も死刑も人殺しであるから否定すべきなのです。殺人を否定しておいて死刑執行を肯定することは身勝手でしょう。それは泥棒を否定しておいて泥棒するのと同じです。ま、殺し合い、奪い合いの報復ということです。正当防衛・緊急避難のよる人殺しでないわけですから、殺人も死刑執行も違法だということです。
Unknown (YO!!)
2007-07-19 12:01:28
>殺人を否定しておいて死刑執行を肯定することは身勝手でしょう。

監禁・強制労働を否定しておいて禁固・懲役刑を肯定することも身勝手でしょうか?
強盗を否定しておいて罰金を肯定することは身勝手でしょうか?
先ず教育ありきやっちゅうとんのに。 (田仁)
2007-07-19 13:47:49
要は、死刑にしさえすりゃ、教育更生は不要だから、再犯防止の手立てもお座なりじゃ、余計類似犯が増えるだろうっちゅうてるのに。
死刑が刑務所内更生教育不在の免罪符じゃっ!ちゅう主旨でしょうが!
日本語読解力をもっと学習した方が建設的と思います。
(タルイので、一寸キレてしまいました…。)
提案 (福田孝一)
2007-07-19 14:40:47
現在いる死刑因および、求刑死刑裁判中の者は、死刑廃止になっても適用外であるなら私はかまいませんよ。実際に死刑廃止の法律がきまったらおのずとそうなると思いますが、勿論、凶悪犯罪防止の為、必要と
思っている人たちにはかなり妥協してもうら事になりますが、
ま、死刑は不必要ということです。 (東西南北)
2007-07-19 18:56:55
 「監禁・強制労働を否定しておいて禁固・懲役刑を肯定することも身勝手でしょうか?強盗を否定しておいて罰金を肯定することは身勝手でしょうか?」

 しかし、犯罪を犯した人間を再犯防止のために隔離して更正教育するには刑務所は必要です。死刑執行にすれば教育できなくなりますし、死刑執行は正当防衛ではないので違法です。
Unknown (きのこ)
2007-07-19 20:16:33
殺人犯の人権を守ってたら、被害者の人権は
どうなるんだ!!!!!



という意見がありますが、僕は基本的に犯人の
人権と被害者の人権は分けて考えるべきだと思い
ます。被害者の人権を守るのは、被害者の保護や
カウンセリング制度などによって守られるべきで、
犯人が生きるか死ぬかは、単に復讐心の問題である
からです。
もちろん被害者の人権は守らなければいけませんが、
同様に加害者の人権も守るべきものです。
両者を混同することは、被害者の保護やサポート体制の不備から目を背ける事にもなると思うのです。

何でも、コロンビアでは (田仁)
2007-07-19 23:24:12
メデジン・カルテルで知られた有名な犯罪・麻薬都市、メデジン市が、ファハルド市長になってから凄いらしいよ?!
どうも、ワザと最貧困地区に、図書館から学校から最新式のデラックスなのを建てて行って(ま、それだけ見ると何処かの島国のおリコウさんな「教育改革」を首謀するオッサンオバハンの考えと真逆な遣り方に思うけど)、結局それで実際に殺人犯が20年弱前と10分の1以下に減ってるんだから凄い。
所詮、現状じゃ遠い夢のようなお話だけどね!
中川幹事長はきっと「南米か!」って言うよ。
Unknown (YO!!)
2007-07-20 12:14:09
>犯罪を犯した人間を再犯防止のために隔離して更正教育するには刑務所は必要です。死刑執行にすれば教育できなくなりますし

だから、死刑廃止は更生教育の観点から語られるべきであり、違法かどうかといった次元の問題ではない。

更生教育が目的であれば、他人を監禁しても監禁罪に当たらないと主張しても容認され難いだろう。

いずれにしても犯罪者すべてが死刑にされるわけではないのだから、更生が如何にしてうまくいき社会に益しているのか、実例を挙げれ説明するのが必要だろう。
社会は犯罪者をつまはじきにする傾向にあるのは現実だ。その現実がある以上、更生教育をいくら謳っても絵に描いた餅。死刑廃止に社会を持っていくのは著しく困難と思える。
疑問 (G)
2007-07-20 12:59:38
はじめまして、いろいろと参考になるな・・・と思い、興味深く読まさせていただいています。

懲役刑を更生教育と位置づけているようですが、「懲役刑」と「更生教育」は同値なのでしょうか?
同値であるなら、犯した罪に対し、懲役の期間に差が出てくるのは、ちょっと疑問です。もし、同値であるなら、懲役については、期間を設けず、受刑者が本当に更生したかどうかを判断させるテストみたいなのがあるのが論理的ではないでしょうか。でも、現実そうじゃなく、罪の重度により期間の設定があるのは、更生教育が目的というよりも、犯した罪もしくは過失に対する報いもしくは罰的な要素が強いのではないでしょうか?
再犯率は低いです。 (東西南北)
2007-07-20 13:12:13
「いずれにしても犯罪者すべてが死刑にされるわけではないのだから、更生が如何にしてうまくいき社会に益しているのか、実例を挙げれ説明するのが必要だろう。
社会は犯罪者をつまはじきにする傾向にあるのは現実だ。その現実がある以上、更生教育をいくら謳っても絵に描いた餅。死刑廃止に社会を持っていくのは著しく困難と思える。」

社会は犯罪者をつまはじきにする傾向にあるのは現実であるにもかかわらず、再犯率が低いのは日本の刑務所教育の実効性が高いということです。しかし、再犯率が低くても再犯が実現していることは問題ですので、刑務所教育や犯罪者をつまはじきにする社会的、経済的、政治的態度をあらゆる次元で改善していく必要があります。

 「死刑廃止は更生教育の観点から語られるべきであり、違法かどうかといった次元の問題ではない」

 違法かどうかの次元でもあります。たとえば、法務大臣が死刑執行を拒否すれば執行は停止されますし、裁判所が死刑判決を出さなければ死刑は形骸化しますし、死刑廃止を掲げる議員が増大し、死刑廃止の法律改正が実現すれば死刑はなくなります。つまり、合法か、違法かの国家権力のあり方の次元でもあるわけです。
Unknown (´・ω・)
2007-07-21 14:14:09
ほんとだ、再犯率って低いや。
http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/penal/secoff.html
刑罰は隔離施設で犯罪者を更正させること (東西南北)
2007-07-21 14:23:30
「懲役については、期間を設けず、受刑者が本当に更生したかどうかを判断させるテストみたいなのがあるのが論理的ではないでしょうか。」

 実質的にはそうなります。しかし、刑罰を運用するのは国家権力ですので、釈放の期限を設定しておくのが客観的なのです。時の政府の運用で恣意的に運用させないというのとです。しかし、実質は犯罪者の更正であるので更正したと判断すれば仮釈放して当然でしょう。他方、懲役刑が満期しても未だ更正したと言い切れないとした場合にも、それは終身刑を否定するならば刑務所のあり方と社会、経済、政治のあり方を改善していけばよいことです。

 「現実そうじゃなく、罪の重度により期間の設定があるのは、更生教育が目的というよりも、犯した罪もしくは過失に対する報いもしくは罰的な要素が強いのではないでしょうか?」

 懲役刑に数値の規定があることは罰ではなくて、罪刑法定主義です。その理由は先に述べました。事実上の終身刑を否定するならば、数値の設定は必要です。しかし、犯罪者が更正したという基準を法務省は公開して社会的にその基準を決めなめればなりません。犯罪者を受け入れるのは社会の側だからです。こうして死刑や終身刑ではなく刑務所教育を社会化していく方向で刑罰を改善していくことが必要です。
もう一つ教えてください (G)
2007-07-21 17:22:08
東西南北さん、丁寧な説明、ありがとうございます。

「刑罰は隔離施設で犯罪者を更正させること」となると、刑罰は法を犯した人への制裁的な要素はないということですか?話がそれてしまうかもしれませんが、刑罰の中に罰金がありますが、これはどうしても教育的な要素とは思えません。小生には罰金は制裁的な要素を持っていると感じ取れます。

何が言いたいかというと、刑罰を課すのは、教育的な側面もあるのは間違いないでしょうが、刑罰を課す目的の一つに、法を犯した人に対する制裁を与えること更には、法を犯すと国家から制裁を受けるということで法を犯すことを抑制すること・・・というのは無いのでしょうか?
現状は応報刑と教育刑の矛盾です。 (東西南北)
2007-07-22 06:44:12
 「刑罰の中に罰金がありますが、これはどうしても教育的な要素とは思えません。小生には罰金は制裁的な要素を持っていると感じ取れます。何が言いたいかというと、刑罰を課すのは、教育的な側面もあるのは間違いないでしょうが、刑罰を課す目的の一つに、法を犯した人に対する制裁を与えること更には、法を犯すと国家から制裁を受けるということで法を犯すことを抑制すること・・・というのは無いのでしょうか?」

 が、あるべき刑罰は教育刑ですので懲罰・応報刑は教育刑へと改善していく必要があります。罰金刑は社会への謝罪を勤労で表すことで社会が犯罪者を許すという教育刑です。罰金を支払うお金がなければ確か勤労によって罰金を支払うことになりますから、社会へ貢献することによって犯罪を許してもらうということです。

 犯罪抑止力とは恐怖と憎悪で人間を抑圧することではなく、人間らしい温もりと福祉で犯罪を抑止していくということです。最大の刑事政策は福祉である、という格言がありますが真理です。やはり、温もりや無償の福祉を受けた実体験が犯罪を思いとどまらせるということです。犯罪をす実現するその瞬間、自分が刑務所へ入ることを恐れて犯罪を止めるのではなく、お世話になった人たちの顔が浮かんできて踏み留まるというのが人間らしいということです。
理想と現実 (G)
2007-07-23 16:42:54
「犯罪抑止力とは恐怖と憎悪で人間を抑圧することではなく、人間らしい温もりと福祉で犯罪を抑止していくということです。最大の刑事政策は福祉である、という格言がありますが真理です。やはり、温もりや無償の福祉を受けた実体験が犯罪を思いとどまらせるということです。犯罪をす実現するその瞬間、自分が刑務所へ入ることを恐れて犯罪を止めるのではなく、お世話になった人たちの顔が浮かんできて踏み留まるというのが人間らしいということです。」

確かにそれで犯罪が抑止できるならば、理想でしょう。しかしながら、現実的に可能なことなのかどうかは、小生はやはり疑問ですね。。。小生は法曹界の専門家ではないので、小生の個人的な判断基準でしか議論できませんが、崇高な理想を掲げたとしても、人は易きほうへ流れやすく、また、利己的な部分を拭い去れないから、福祉の充実だけでは犯罪は抑止できないと思います。人間の利己的な部分を押さえつける”恐怖的なるもの(憎悪は含みません)”が必要なのでは・・・と思います。
刑罰には制裁的な要素があったほうが良いと思うし、その延長線上に極刑があったほうが良いと思います。極刑が、死刑なのか、終身刑なのかは、小生にも判断しかねますが。
刑務所があること自体が制裁ですよ。 (東西南北)
2007-07-24 00:56:58
 「刑罰には制裁的な要素があったほうが良いと思うし、その延長線上に極刑があったほうが良いと思います。極刑が、死刑なのか、終身刑なのかは、小生にも判断しかねますが。」

 刑務所へ隔離されること自体が制裁ですね。それは犯罪を実現したから隔離されて教育を受けるわけです。つまり、犯罪が実現する限り刑務所は必要だということですね。しかし、人間はそもそも犯罪を犯す存在なのかどうかということです。人間は生まれながらにして犯罪者ではいのに犯罪を実現するのは何故か?一つは良心の低下。もう一つは本質ですが人間らしくない社会・経済・政治のあり方が人間らしい良心を押しつぶしているということです。ゆえに、良心を高める活動をしながらも、社会、経済、政治のあり方を人間らしくしていく活動をすることが犯罪を無くす道です。

 人間の本性は利己的ではなく、利他的福祉的だというのが事実関係です。問題は利他的福祉的な人間がなぜ、利己的になっているかという現状への問題意識です。利他的になる原因は一つは良心の低下、もう一つは社会、経済、政治のあり方が人間らしくないということです。前者は宗教の役割、後者は科学の役割です。
Unknown (Unknown)
2007-07-24 18:15:35
> 結局、死刑は、問題の解決にはならない。どうすれば、同じような目に遭う人がいなくなるようにできるかを考えること、これこそが、国家が行うべき義務だと思う。

同じような目に遭う人がいなくなるように、国民の多くが死刑をのぞんでいます。
応報論としての死刑 (ハズカシ)
2007-07-24 20:59:37
 ヤメ蚊さんは刑罰を「教育刑」の観点のみで捕らえてるんかな?「教育刑」の観点から見ると、死刑は確かに「教育が不可能だから殺して永遠に隔離する」という見方も出来るだろう。
 でも漏れはじいちゃんと同意見で、刑罰には教育以外の意味として、因果応報論(復讐論では無いよ)の体現ってのがあると思う。「悪い事をしたら悪い事が返ってくる」、「罪の後には罰が来る」という厳粛さを何かが実現しなきゃいけない。それは、親や先生に叱られるとか、或いは天罰だとか、そして日本が法治国家であるからには、法によっても体現するべきだと思う。
 この応報論は東西南北さんの言うように「恐怖」だとか「リスク」という風に捉える事も出来るが、同時にそれは「倫理」として位置付ける事も出来ると思う。
 勿論、「応報論としての刑罰」ってのは刑罰全体に言える話ね。そして死刑はその一環として必要だと思う。生物として恐怖の対象になる「死」を与える刑罰ってのは、最も重い刑罰の一つだと思うからね。

 ただし、ここで一つ問題が出てくる。それは罪と罰のバランスの問題。罰が重過ぎないか、軽すぎないかという問題は、どうしたっていつの世にも出てくるだろうね。この問題には完璧な解決策は無くて、主権者である国民全体で常にバランスを考えて議論を行うくらいしか対策は無いだろうな。

 だからね、実は今の状況ってのは良い状況だと思うよ。死刑があって、廃止論があって、意見の対立・議論がある。ヤメ蚊さんは「死刑は刑罰のあり方を進歩させることを防ぎます」って言ってるけど、漏れはそうは思わない。死刑の存在があっても、それに対する賛成・反対の意見の対立は起こって、そういう意見の対立の中から有効な案が生まれたりするんだと思う。だから、漏れは死刑廃止論者では無いが、廃止論というのもまた必要なものなんだとは思うよ。
>刑務所があること自体が制裁ですよ。 (ハズカシ)
2007-07-24 21:17:43
>人間の本性は利己的ではなく、利他的福祉的だというのが事実関係です。
 これは一面的過ぎるし、断定的過ぎるんじゃないかと思うがな。
 人間は利己的な側面も利他的な側面も持ってて、その割合だって人によって違ってくる。その違い方も後天的な要因(環境)もあるだろうし、本人の気質による所だってあるだろう。
 恐怖によって犯罪への衝動が抑えられる人も居れば、人情によって抑えられる人も、その両方によって抑えられる人も居るだろう。更にここでの「恐怖」というのは、「罪の後に罰が来る」という意味では「倫理」と見る事だって出来るだろう。
 「本性は利己的ではなく、利他的福祉的だ」というのはあくまで貴方の願望じゃないのか?「性善説」という考え方もあるが「性悪説」という考え方もある。「性善説」こそが事実であるというのは既に科学的に証明された事柄なのか?
追記 (ハズカシ)
2007-07-24 22:42:36
 ちなみに、漏れはエントリの理由1については同意できる。
 理由1-①については、「相手に有利な情報の開示義務が無い」のは弁護人も同じじゃないかと思うし、その方式で意見を戦わせるのは理に適ってるとは思うが、弁護側と検察側(というか警察)の捜査権限に大きな差がある上ではこれは問題だろうな。弁護側の立場に立った捜査組織があって、二つの立場から事件を見ていく(捜査を進める)のが望ましいんじゃないかと思う。
 理由1ー②はホントに問題だね。なんで録音しないのかな?

 ただ、これらの理由は死刑以外の刑罰全体について言えることなので、これを理由に死刑廃止を唱えるというよりはこれらの問題点を解消していく方向で考えていった方が建設的じゃないかと思う。
事実関係 (東西南北)
2007-07-27 12:26:08
「本性は利己的ではなく、利他的福祉的だ」というのはあくまで貴方の願望じゃないのか?「性善説」という考え方もあるが「性悪説」という考え方もある。「性善説」こそが事実であるというのは既に科学的に証明された事柄なのか?

 はい。人間の本性は利己ではなくて利他です。ゆえに、今現在の社会では利己的な態度が非人間的だとして問題となっています。利己的な人間をどのようにして利他的な人間にしていくかが科学であり、利他的な人間の態度を放任しておくことが科学ではないことは事実です。

 少なくとも、報復による人殺しは人間の倫理ではありません。なぜならば、人殺しが非人間であるのに報復は同じ行為を繰り返しているからです。なお、正当防衛・緊急避難は報復・復讐ではありません。

 利己と利他の問題は、本来は利他的な人類がなぜ、利己的な振る舞いを見せているのかという点にあります。これに対して、心の豊かさの欠落を説くのが宗教であり、経済と社会、政治と社会の矛盾を指摘するのが社会科学です。
人間の本性 (G)
2007-07-30 12:35:19
東西南北さんの「はい」がどこにかかっているのか小生は完全に捉えてはいませんが、文脈を見ると「願望」ではなく、「性善説は科学的に証明された事柄」と読み取れました。その前提の元でですが、「人間の本性は利己ではなくて利他です。」はどのような科学的アプローチで証明されたのでしょうか?
小生、学生のころ、理学部で地球物理を専攻しており、人間の行動学も社会学も勉強したことがありません。教養部時代に心理学を一般教養で学んだ程度ですので、そのような専門的な知識がないので、断定的には言えないのですが、人間の本性が利他的であるというのは、どうしても信じられません。自分は、人間は利己的であるが、宗教の戒律や社会規律が利己的な部分を抑制し、また、宗教的な教えの元に生まれる倫理観、社会の風習や習慣などが、人間の利他的な部分を芽生えさせるものだと思っていました。しかしながら、「人間の本性は利己ではなくて利他です。」が科学的に証明されているのであれば、人間の本性=利他がありきなので、この考え方は間違っているのでしょうね。

ここで繰り広げられている死刑の是非を含めた刑罰のあり方についての議論を読んで、いろいろと疑問に思ったのは、根本となる人間の本性の捉え方に大きな隔たりがあったからなのか・・・と思っています。だから、ちょっと、話を引っ張っているのですが…。
>事実関係 (ハズカシ)
2007-07-30 19:39:59
 いや、だから、一体それは誰によって証明されたって言うのさ?文献でもあるなら示して貰いたい。共産主義が失敗したのだって、人間が利己性を捨てきれなかったからじゃないのか?
 大体、もし貴方の言う通り人間の本性が利他であるとしてね、国民全員がその本性を発揮したとすると、そもそも犯罪は起こらないよね。そして、全員でなく一部に利己的な奴が出てきたとすると、そいつに対する抑止力は有効ってことじゃない。教育刑の考え方は同一人物の再犯防止には有効だけど、初犯に対する抑止力は想定してないんじゃないか?だとするとやっぱり教育刑だけでなく、抑止力としての「応報論」も必要で、その一環としての死刑も重要ってことになるんじゃないか?

>少なくとも、報復による人殺しは人間の倫理ではありません。
 漏れもじいちゃんも「報復」については肯定して無いっしょ。漏れはハッキリ書いてるよね、「復讐論では無い因果応報論」ってね。一体何の話がしたいの?漏れの言った因果応報論に対する反論になってないじゃない。
 漏れはね、因果応報論は要するに「公平性」の体現だと思ってる。端的に書くと、「犯罪ってのは割に合わんもんなんだなぁ」っていう考えが実現される事が重要なんだと思う。これは、報復とは全然違う話だよ。
Gさんへ (東西南北)
2007-08-06 20:42:44
 「ここで繰り広げられている死刑の是非を含めた刑罰のあり方についての議論を読んで、いろいろと疑問に思ったのは、根本となる人間の本性の捉え方に大きな隔たりがあったからなのか・・・と思っています。人間の本性は利己ではなくて利他です。」はどのような科学的アプローチで証明されたのでしょうか?」

 そのとおりです。人間の本性についての事実認定が食い違うから、刑罰のあり方から政治・経済への態度が食い違うわけです。要は、人間の本性についての事実認定を一致させることが社会科学の前提になります。

 さて、人間の本性についての科学的アプローチですが、これは歴史教科書で証明されていることです。すなわち、人間の本性は「労働と言語の使用」です。労働とは有償労働と無償労働がありますが、現在の社会に事実として存在するように相手・消費者に対して利他的に行われるのが労働・勤労です。他方、利己的に行われるのが遊戯です。

 例えば、家庭生活における料理は道具を使い食材を加工して食べている面から見れば労働といえますが、これは利己的に行われている面から見れば遊戯なのです。しかし、子供に対して料理を作ってあげる、あるいは、料理を作れるように教えてあげるという行為は食材を加工している面からも相手に対して利他的に行われている面からも労働・勤労です。このようなアプローチを有償労働の場合にも敷衍して思考してみてください。労働の本性を事実認定する場合のポイントは自然に対する側面のみならず、相手・消費者すなわち社会的な側面をもと統一的に認識する点です。こうして、人間の本性は利己ではなくて利他だというのが事実なのです。この前提で、では何故、利己的な態度を示す人間が存在するのであろうか、という問題を立てることが社会科学なのです。このような認識から社会科学を確立したものが社会と経済の矛盾、社会と政治の矛盾、その解決方向を指導した学理が剰余価値説と史的唯物論です。ゆえに、人間と社会について科学的にアプローチするならばその方法論は剰余価値説と史的唯物論になります。

 
ハズカシさんへ (東西南北)
2007-08-06 21:01:19
 「共産主義が失敗したのだって、人間が利己性を捨てきれなかったからじゃないのか?」

 日本共産党ではなくて、世界の共産主義が失敗しているのは政治・経済上の専制主義と官僚主義、経済上の貨幣廃止論にあります。なお、日本共産党については政治体制上の専制主義・官僚主義は退けていますが、大企業の国有化思想と政策、貨幣廃止論に基づく賃金・分配論と運動は保留している状況です。貨幣廃止論とは経済上の側面から規定した共産主義社会です。すなわち、各人が働きたい職種で働きたいだけ働き、必要に応じて受け取る社会です。要は、各人の労働能力の高低を反映して賃金を受け取る社会ではなくて、貨幣自体が存在しない、ゆえに交換経済自体が廃止される社会です。例えば、散髪屋さんが散髪をする。お昼になったら定食屋さんへ行く。貨幣が存在しないので代金は支払わなくてよい。単に「ありがとう」と感謝して散髪の仕事へ戻る。他方、定食屋さんは散髪したい時は散髪屋さんへ行く。その場合も「ありがとう」と感謝と尊敬を表明し、代金は不要である。このような関係が社会全体を支配する。これが共産主義社会の経済上の特質である。以上です。

 「漏れもじいちゃんも「報復」については肯定して無いっしょ。漏れはハッキリ書いてるよね、「復讐論では無い因果応報論」ってね。一体何の話がしたいの?漏れの言った因果応報論に対する反論になってないじゃない。漏れはね、因果応報論は要するに「公平性」の体現だと思ってる。端的に書くと、「犯罪ってのは割に合わんもんなんだなぁ」っていう考えが実現される事が重要なんだと思う。これは、報復とは全然違う話だよ。」

 しかし、以下のハズカシさんの態度は完全に復讐・報復になります。刑罰の根底にある「目には目を。歯に歯を」です。因果応報というのはこの規律ではないですか?端的に言えば、人を殺したものは殺されるという規律です。但し、正当防衛・緊急避難のレベルではなく、刑罰のレベルでのそれです。ゆえに、復讐・報復となるのではないでしょうか?

「でも漏れはじいちゃんと同意見で、刑罰には教育以外の意味として、因果応報論(復讐論では無いよ)の体現ってのがあると思う。「悪い事をしたら悪い事が返ってくる」、「罪の後には罰が来る」という厳粛さを何かが実現しなきゃいけない。それは、親や先生に叱られるとか、或いは天罰だとか、そして日本が法治国家であるからには、法によっても体現するべきだと思う。」「応報論としての刑罰」ってのは刑罰全体に言える話ね。そして死刑はその一環として必要だと思う。生物として恐怖の対象になる「死」を与える刑罰ってのは、最も重い刑罰の一つだと思うからね。」



 
>ハズカシさんへ (ハズカシ)
2007-08-07 07:27:52
 いやいや、まず目的が全然違う。復讐ってのはやられた側の個人的な感情の問題でしょ。復讐論で裁きを行うなら、被害者の感情を考慮しての裁きが必要だけど、漏れはそれは不要だと思う。あくまでまず社会規範のための裁きであるべき。
 例えば、息子のように可愛がってた猫が一人の男に殺された。その男の事は殺したいほどハラワタが煮え繰り返ってる。こういう状況でも、その男は死刑にはされないしされるべきじゃない。逆に、被害者が「もう許します」と言ったからといって、罪は罪としてやっぱり裁きは受けるべき。被害者の個人的な感情(復讐)に基づいた裁きでは無いからね。

 ちなみに、因果応報論には「悪い事をしたら悪い事が帰ってくる」以外にも「良い事をしたら良い事が帰ってくる」というのも含まれる。刑罰はそのうちの「悪い事~」の方の体現になる。これと復讐論の決定的な違いは、社会規範のためなのか遺族(被害者)の感情のためなのかという目的の違いだね。被害者の感情は考慮に入れる必要は無い。
>Gさんへ (G)
2007-08-07 18:34:30
丁寧に説明して戴いた上で、こういう発言は失礼かも知れませんが、東西南北さんの説明は、何の証明にもなっていません。「歴史教科書で証明されている・・・」とありますが、全く証明の根拠になっていません。後の件で説明されている内容は客観性に乏しく、人間の本性というよりも、人間が社会を形成した後、役割関係の説明をしているにすぎず、人間の本性=利他の説明にもなっていません。
利他が人間の本性であるということを科学的なアプローチで証明するのであるならば、実験による検証や統計学的な検証等、客観的なデータに基づく検証が必要です。東西南北さんが人間の本性=利他を言い切るならば、そのような根拠を示していただきたかったです。

う~む、かなり、趣旨と離れてしまっていますね・・・。
Gさんへ (東西南北)
2007-08-07 22:28:01
 「歴史教科書で証明されている・・・」とありますが、全く証明の根拠になっていません。後の件で説明されている内容は客観性に乏しく、人間の本性というよりも、人間が社会を形成した後、役割関係の説明をしているにすぎず、人間の本性=利他の説明にもなっていません」

 人間の本性が「労働と言語の使用」にあることは事実であり、客観的ですよ。これを否定することは事実関係と歴史科学を否定することです。そして、人間の労働が利他的であることは社会的な面、すなわち生産と消費の関係で事実です。個別的な無償労働・有償労働の場合で相手や消費者との関係で見てください。科学というものは客観的な個別事実を抽象した法則を言うわけですから、個別の有償労働と無償労働に貫く法則として人間の労働が利他であると断言することは科学ですよ。
ハズカシさんへ (東西南北)
2007-08-07 22:40:27
「因果応報論には「悪い事をしたら悪い事が帰ってくる」以外にも「良い事をしたら良い事が帰ってくる」というのも含まれる。刑罰はそのうちの「悪い事~」の方の体現になる。これと復讐論の決定的な違いは、社会規範のためなのか遺族(被害者)の感情のためなのかという目的の違いだね。被害者の感情は考慮に入れる必要は無い。」

 ハズカシさんの因果応報論で行けば、死刑執行は「人殺しは殺される」という因果応報の実現であり、これが社会規範だということですね。そうすると例えば、裁判官は死刑判決を下すわけですが、死刑執行は人殺しになります。それが被害者・遺族の感情を無視していた場合においても、「人殺しは殺されて当然である」という裁判官の感情が作動していることは事実です。こうして、死刑は裁判官が「目には目を。歯には歯を」という復讐・報復・応報を実現することになります。死刑でなくとも人を殺さなくてもよい選択として無期懲役刑があるのであり、しかも正当防衛・緊急避難でもないわけです。にもかかわらずに、死刑執行で人を殺すわけですから、やはり死刑は「人殺しは殺されて当然」という感情を実現しているに過ぎません。ゆえに、人殺しを裁くのに死刑による人殺しを対置すれば人殺しが連鎖していくだけであるから、死刑による人殺しは廃止し、教育刑を実現していくことが人間らしいのではないでしょうか?
死刑廃止論者は見過ごせぬエントリーだ。 (ゴンベイ@AbEndフォーラム)
2007-08-08 09:19:34
きっこのブログ: 少年法は廃止せよ! 2007.08.07
kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/08/post_5ff2.html

リベラリストとして知られるきっこさんだが、少年による非道な犯罪に対して少年法の廃止と復讐心丸出しの死刑を是認した!
きっこさんは様々な事象を切り取って見せるが、独特のきっこ軽薄体とでもいうべき文体の裏では彼女のなりの情報の精査や裏取りを行った上で書かれている。今回のエントリーには、そういう点があまり感じられないのが気がかり。
東西南北さんへ (G)
2007-08-09 17:55:55
>>人間の本性が「労働と言語の使用」にあることは事実であり、客観的ですよ。これを否定することは事実関係と歴史科学を否定することです。

とありますが、客観的な事実ではありません。ただ単に自説をごり押ししているように聞こえます。もし、この命題に「成熟した」とか「社会に適応した」とかが人間の前につけば、そこそこの客観性を見出せるかもしれません。しかしながら、そのような限定をしてしまうと全ての人間の本性ではなくなります。

また、東西南北さんの証明のアプローチの仕方も変です。まず、最初の命題は人間の本性=利他であったはずが、突然、命題がすりかえられている・・・。
すり替えでも、「利他」が「労働と言語の使用」と同値であるなら、まだしも、はっきり申し上げて、同値ではありません。「言語の使用」については、おいておきますが、「労働」は東西南北さんの言うように、利他的な面もありますが、労働することにより、自分に見返りが来るという面があり、利己的な面も多大にあります。そのため、包含関係で言うと「労働」⊃「利他」となり、「労働」と「利他」は同値ではありません。

「そして、人間の労働が利他的であることは社会的な面、すなわち生産と消費の関係で事実です。個別的な無償労働・有償労働の場合で相手や消費者との関係で見てください。」

と書いていますが、先に書いたように「労働」と「利他」が同値ではないため、論理は破綻しています。また、「すなわち生産と消費の関係で事実です」が何を言わんとしているか小生には理解しがたいですが、この一節で「人間の本性」=「利他」の証明のつもりでいるのかもしれませんが、ただ、命題を積み上げて行っただけで、証明になっていません。

「科学というものは客観的な個別事実を抽象した法則を言うわけですから、個別の有償労働と無償労働に貫く法則として人間の労働が利他であると断言することは科学ですよ。」

の「科学というものは客観的な個別事実を抽象した法則を言うわけですから、」は正しいと思いますが、「個別の有償労働と無償労働に貫く法則として人間の労働が利他であると断言することは科学ですよ」が何を仰りたいのかが、意味不明です。

小生が求めていたのは、このような証明の無い仮説の積み重ねの説明でなく、「人間の本性」と「利他」が同値であることを科学的に証明して欲しかっただけです。
誤解と飛躍 (G)
2007-08-10 15:39:58
口をだそうか否か、悩みましたが、書いてしまいます。ハズカシさんへの反論で、

「ハズカシさんの因果応報論で行けば、死刑執行は「人殺しは殺される」という因果応報の実現であり、これが社会規範だということですね。」

と返していますが、そういうことは言っていないと思います。社会規範を守るためには、犯した罪に対して、被害者の個人的な復讐とは切り離した罰が必要ですと言っているだけだと思います。(違っていたらごめんなさい>ハズカシさん)
また、「人殺しは殺される」、つまり、人殺しは一義的に死刑・・・なんてことも、言っていないと思います。(ハズカシさん、そうですよね?)そんなmisreadingしている仮定のもとで、飛躍的な論理を展開されても、目を白黒してしまうだけで、説得力に欠けます。

あと、蛇足になるかもしれませんが、「目には目を。歯には歯を。」を復讐・報復の実現かの如く引用していますが、本来の意味は違うのではないでしょうか?小生が高校生だったか、中学生だったか、世界史でハムラビ法典について勉強したとき、「目には目を。歯には歯を。」は、復讐が横行していた倍返しみたいなものは止めさせるために、それ以上のことはやってはいけない・・・という戒めだったと記憶しています。

小生はハズカシさんと同じスタンスで、「犯した罪に対して、復讐と切り離した罰が必要」と思っています。もちろん、刑罰は、再犯を起こさないように、教育に重きをなすべきと思っていますが、犯した罪に対する罰が無いと、言葉が相応しいかどうか判りませんが「やったもん勝ち」的な人が少なからず現れて、社会がすさむと思います。
Gさんへ (東西南北)
2007-08-10 19:12:16
 二点です。一点目。

 「労働」は東西南北さんの言うように、利他的な面もありますが、労働することにより、自分に見返りが来るという面があり、利己的な面も多大にあります。そのため、包含関係で言うと「労働」⊃「利他」となり、「労働」と「利他」は同値ではありません。」

 ここが利己と利他の問題なのです。すなわち、生産と消費の関係で労働の事実関係は利他となっているが、労使関係の面では利己となっているという矛盾です。すなわち、例えば、会社で労働する人間はすべて消費者への献身・利己だと断言できますが、労使関係の面でみれば、会社経営は利己という現状です。なお、賃金は利己ではなくて、利他的な労働・勤労をどの程度したかという印を貨幣で表示したにすぎませんし、消費者への利他でなければ商品は売れません。問題は、すべての会社の勤労者・労働者がこのように協力して利他的に労働しているにもかかわらず、会社が勤労者のものではなく、一部の株主と経営者の利己的な所有・管理になっていることです。ゆえに、人間の本性である労働は利他であるが、会社の所有・管理関係が利己になっているということですから、会社についても勤労者みんなの所有・管理にすれば利己と利他の矛盾はなくなります。

 二点目。報復と復讐の問題です。ハズカシさんは確かに遺族・被害者の復讐感情に基づく復讐的な応報を述べており、その意味から言えば、死刑は復讐ではなくて因果応報だと主張しています。しかし、因果応報とはハズカシさんのいう意味もありますが、「人殺しは殺される」という意味もいあるわけです。まず、殺人を実現したものが必ずしも死刑にはなりませんが、殺人をしなければ死刑にはならないということです。すなわち、死刑に必要な条件には殺人なのです。ゆえに、人殺しをして初めて死刑が問題になるということは「人殺しは殺される」という因果律が機能しているということです。そして、この因果律を同害反復、復讐、報復、応報といっても根拠はあるわけです。ハムラビ法典の話も同じことです。本質は「目をくり貫かれれば目を刳り貫き、歯を抜かれたら歯を抜き返せ」という同害反復、すなわち、報復・復讐・応報刑なのです。もちろん、傷害をした人を死刑にすることは同害反復ではないから傷害には障害を人殺しには死刑をとした点では同質なものを比較しているのであり、論理的には整合性を持ちます。しかし、問題は論理的であってもそのような刑罰が人間の事実関係かという所にあるわけです。そして、同害反復、復讐、報復、応報がなぜ、人間の本性を踏まえた刑罰ではなくて、教育刑こそが人間の本性を踏まえた刑罰であるかの証明は人間労働の利他性にあるということは述べました。人間は他の動物と異なり利他的な労働を実現する点に人間らしさの根拠があるのであり、本来は利己的な人間の振る舞いは社会に起こらないのですが、現実には生起しており犯罪はその頂点です。では、なぜ、利己的な振る舞いろする人間の態度が存在するかといえば人間の本性が利己なのではなく、会社の所有・管理関係が利己なのであり、その利己的な関係が人間の意識を規定しているからです。ゆえに、利己的な会社の所有・管理関係が利己的でなくなれば、人間の利他的な本性は完全に社会に実現し、利己的な振る舞いの根拠は消滅します。なお、以上は個別会社の所有・管理関係と労働の利他性・社会性の矛盾を述べましたが、自治体・国家の政治関係についても同様です。こうして社会と経済の矛盾、社会と政治の矛盾を人間が解消していく中で人間の本性である労働の利他性は完全なものとなっていきます。人間が生まれながらにして利己的・犯罪的なのではなく、経済のシステム、政治のシステムが利己的なのです。以上が史的唯物論から利他的な人間の本性と利己的な所有・管理関係の矛盾を認識したものです。なお、剰余価値説は価値の源泉・本質は労働力なのか、それとも金・貨幣かという問題に解答しています。労働力と金・貨幣は同列に扱われていますが、同列ではないということです。
色々と※返し (ハズカシ)
2007-08-10 19:37:42
 いつの間にかえらく議論が進んだな。漏れの言いたい事は大体じいちゃんが言ってくれてるけど、とりあえずまとめて反論してみようか。
 まず、共産主義についてだけど、漏れが言ったのはまさにその「貨幣廃止論」のことよ。「貨幣廃止論」が上手く回らなかったのは、結局働いても働かなくても喰える量が変わらないなら多くの人が働かなくなっちゃうってのが原因だろう?結局の所、「貨幣廃止論」は人間が完全に利他的に動かない限り上手く行かない制度だったわけだろう。
 次に人間の本性のコメントについてだけど、
『人間の本性は「労働と言語の使用」』
ってのが唐突過ぎてなんのことやら。利己的に行われるのが遊戯だと定義付けてるけど、じゃあ遊戯は人間の本性じゃないのか?って疑問が生まれるっしょ。まぁそれはいいとして、その後が酷い。労働には「有償労働と無償労働がある」って言っておきながら、「有償労働」の「報酬を貰う」って部分を無視して労働=利他と結論付けてる。違うでしょ?「有償労働」は、社会のためになるという点では利他的で、それに対する報酬を貰うという点では利己的だ、でしょ?労働っつか商売の基本として
「先も立ち、我も立つ」
って言葉がある。(漏れ、この言葉が大好きなんだが)このうちの「先も立ち」は利他で、「我も立つ」は利己なのよ。利他と利己は別に排他的でなくて、一つの事柄に共存できるんよ。
 東西南北さんの言ってる労働が、「共産主義社会での労働」ならまだ納得が行くけどね。「貨幣廃止論」の下での労働は、やってもやらなくても基本的に自分の利益には関係して来ないから、その上で労働をするなら確かに利他的と言える。でも実際は破綻してるよね?

 で、最後に因果応報論について。
まずね、
>ハズカシさんの因果応報論で行けば、死刑執行は「人殺しは殺される」という因果応報の実現であり、これが社会規範だということですね。
 そんな単純じゃないよ。漏れは「罪の後に罰が来る厳粛さ」と書いたが、その罪ってのは「何をしたか」だけでは決まらない。その時の「状況」だとか「必要性」だとかで全く変わってくる事もある。一番端的なのは「正当防衛・緊急避難」ね。だから、
>死刑執行は人殺しになります。
と書いてるが、その「罪」とやらは死刑執行の「必要性」によって全然違うわけよ。貴方は前提として「死刑の必要なし」ってのがあって、そこから「死刑の必要性について」を議論してるからねじれ現象が起こってるのよ。

>それが被害者・遺族の感情を無視していた場合においても、「人殺しは殺されて当然である」という裁判官の感情が作動していることは事実です。
 そんな事書いたら裁判官に失礼だぞ。裁判官はあくまで法に従って裁きを行ってるわけなんだから。そりゃね、明らかに法律上・判例上死刑になりえない事例で個人的な感情・思想を前面に押し出して死刑判決を出したなら、そりゃ責任は負ってもらわなきゃ。でもそれって、逆の場合でも言えるよね。裁判官が死刑廃止論者で、その思想を法を捻じ曲げてでも押し通そうとした場合も、同様に責任は取って貰わなきゃいけない。

>こうして、死刑は裁判官が「目には目を。歯には歯を」という復讐・報復・応報を実現することになります。
 だからさ、応報と「復讐・報復」を同一視してるのが変なんだって。辞書引いてみりゃ分かるけどさ、「復讐・報復」ってのは「仕返し」とハッキリ書いてあるのよ。やられた側がやり返す事を言うのよ。それに対して、「応報」ってのはね、「行為の善悪に応じて受ける苦または楽の報い。」って書いてるのよ。そしてそれを、社会規範を守る為に実現する必要があるって言ってるの、漏れは。やられた側による「仕返し」とは全く違うのよ。
 例えばね、駐車違反に対する罰金を考えてみて。これは応報論としてはある程度の効果はある。でもじゃあこれは一体誰が誰に「仕返し」をしてるのか?って話よ。これは全く「復讐論」ではない。だけど「応報論」としては機能してるって例ね。

>死刑でなくとも人を殺さなくてもよい選択として無期懲役刑があるのであり、しかも正当防衛・緊急避難でもないわけです。
 だから、抑止力としての重さに違いがあるんだって。

 とりあえずね、反論のヒントをあげよう。因果応報論による刑罰ってのは、「復讐論」よりもむしろ「見せしめ論」に近いわけ。漏れはこっちの方が問題だと思ってる。ただ、漏れは「何のために」「どういう方法で」やるかによっては、見せしめってのもあって良いとは思ってる。(つか、言葉のイメージの悪さってのもあるよなぁ。)例えば独裁者が自分に逆らう奴はどうなるのかってのを見せしめるのはダメだと思うが、社会規範のために、度を越さない程度の見せしめは必要だと思う。

 最後にね、応報論が何故必要なのかについて。
応報論ってのは、「良い事をしたら良い事が自分に返って来る」、「悪い事をしたら悪い事が自分に返って来る」って考え方。これは、「利他的な行動を取れば、その結果は利己にも繋がる」、「利己のために他人に損害を与えたら、結局自分が損をする」って事。
 例えば10円盗んだら20円罰金が取られるとしよう。罰金が100%取られる場合、「金が欲しくて10円盗む」って発想は出て来なくなる。10円損する結果になるからね。
 この考え方の重要な点は、「自分の利益を求める人間(利己的な人間)が、利他的な行動をとることになる。(他人への損害は自分の損害になるから、他人への損害を与えないようになる)」って点ね。そして元々利他的な人間は、当然利他的な行動を取る。利己・利他どちらの目的も結果的に利他的な(社会的な)方向のベクトルになるわけ。
ハズカシさんへ (東西南北)
2007-08-11 14:51:54
 要は、今現在の日本国の刑罰には死刑執行は必要という態度ですよね?その理由は死刑は社会を人殺しをなくす方向へもっていく手段・見せしめとして必要であり、応報を基礎に抑止力の必要を取り入れるという応報刑論ですよね?

 死刑を廃止しても刑務所は存在するわけですから、死刑は必要なのでしょうか?もっとも、人殺しを実現した人間の死刑を検討しない時点で応報刑ではないですが。人殺しを刑務所に隔離して教育すれば社会の安全は保障されるのではないですか?脱獄しない限りは。犯罪抑止力の点で言えば、人間は刑務所へ隔離されるから犯罪を実現しないのがという現実があります。ここが論点ですよね?自分が不自由にあるから犯罪を実現しないのが人間なのか?そうではなくて、相手を犯罪によって傷つけることに対して悪いと思い犯罪を実現しないのが人間なのか?人間の本性は後者ではないでしょうか?そうであれば、更正可能性を奪う死刑は人間らしい刑罰ではないでしょう。
言葉の定義 (ハズカシ)
2007-08-11 19:16:02
 読み返してみると、「利他」と「利己」の言葉の定義に語弊があったね。「利他」ってのは『自分を犠牲にしても他人の利益を図ること。』とあって、利己ってのは『自分の利益だけを大事にし、他人のことは考えないこと。』ってある。漏れは単純に『他者の利益(となるような行動)』と『自分の利益(となるような行動)』って意味で使ってたけど、『利己』よりも『自利(もしくは私利)』と言った方が正確かな。

んで、一つ反論。
>なお、賃金は利己ではなくて、利他的な労働・勤労をどの程度したかという印を貨幣で表示したにすぎません
 これはないっしょw アンタの言い分だと、賃金は勲章みたいなもんか。だったら使わず家にかざっときゃいいじゃん。そうじゃないっしょ?賃金として貰った金で、欲しいものを買うことができる。これは立派な利益だよ。そう考えるとやっぱり有償労働は基本的に利他ではないよ、明らかに。
 勿論、金なんてどうでも良くてこの仕事で社会の役に立ちたいという立派な志を持った人も居るだろうけど、多くの人はやっぱ、基本的に食ってくために、そして欲しいものを買う金のために働くわけっしょ。これは、上の定義で言うと利他でも利己でもない、あくまで「先も立ち、我も立つ」に合致するような「契約」っしょ。
 なんかね、アンタは持論につなげるために、無理矢理賃金を利益と切り離してるようにしか見えないよ。
ハズカシさんへ (東西南北)
2007-08-11 22:38:19
 いや、ハズカシさんの賃金についての観念・解釈・感覚は理解してます。僕も以前はそうでしたので。しかし、よくよく科学してみるとそれは現象で本質ではないのです。ま、錯覚です。要は、賃金とは諸個人の労働能力を数値化しただけなのです。これが事実です。事実をどう解釈するかの問題ではないです。ゆえに、労働は利他ですから賃金は利他的な諸個人の労働能力を数値化しただけでして賃金が目的ではないわけです。それは利他的な労働の結果にすぎないというのが事実関係です。しかし、観念では賃金のために利益のために労働するという利己心がでるのは何故か、ということです。諸個人の労働能力を貨幣で数値化することは利他的な労働が前提ですし、利他的な労働能力の程度を数値化しただけですから、賃金を受け取る有償労働は利己ではないですよ。むしろ、利他的な労働をすればするだけ客観的に数値が上がるというわけです。
>ハズカシさんへ (ハズカシ)
2007-08-12 09:41:50
 なんかね・・・、アンタ根拠も示さずに
「賃金とは諸個人の労働能力を数値化しただけなのです。」
って繰り返してるだけで、反論に全くなって無いじゃん。「賃金=只の数値化」を根拠も示さずに出してきて、それを前提として話を進めて るだけ。「人間の本性=労働・言語」をイキナリ出してきた時と同じ。
 そんなもん科学でもなんでもないよ。じいちゃんの言う通り只の仮説の積み重ねでしかない。

>ゆえに、労働は利他ですから賃金は利他的な諸個人の労働能力を数値化しただけでして賃金が目的ではないわけです。それは利他的な労働の結果にすぎないというのが事実関係です。
だから、その「結果(賃金)」を目的の一つとして人は働くんだって。違うって言うのなら、アンタいっぺん賃金を全部どっかに寄付してみなよ。勿論ね、「利己」は「他人を犠牲にしてでも~」ってニュアンスが含まれてるから、「労働=利己」とはもう書かないけど、自利(賃金)を目的の一つとしてるのは間違い無いっしょ(それは悪い事でも何でもないよ)。それは利他(『自分を犠牲にしても他人の利益を図ること。』)とは言わん。自分も報酬を貰ってるわけで、それを目的の一つとしてる以上はね。あくまでまず自分の生活のために働くわけだから。全額寄付する為に働くなら菩薩のような利他的行為と言えるけどw
 だから、利他的な労働ってのは無償労働とか、共産主義社会での労働とかしか基本的にはありえないと思うよ。基本はみんな、「喰ってくため」なんだから。
ハズカシさんへ (東西南北)
2007-08-12 14:00:10
 労働は自己の願望を消費者に売り込むのではなくて、消費者の願望を実現するわけで利他です。(『自分の願望を犠牲にしても他人の利益を図ること。』)消費者の願望を実現しない労働は売れませんよ。自己の願望を実現するような行為は遊戯です。これが大前提です。有償労働であれ、無償労働であれ労働ですから本質は利他です。これ個別労働を抽象した法則ですから科学です。

 次に、賃金は生活のためだといいますが、賃金を得るには利他労働をせねばならないわけです。利他労働を行うから賃金があるわけで、逆ではないですよ。ハズカシさんは利他労働を行わないでも生活できればよいということでしょうか?それが利己なのです。この場合の利己の別名は拝金主義です。要は、自分が生活できればよいという態度です。強盗だろうが窃盗だろうが遺産相続だろうが、ギャンブルだろうが。利他労働なしで生活をすることは利己的な拝金主義ではないでしょうか?賃金を得るということは利己ではなくて、自己の願望を消費者に売り込むのではなくて、消費者の願望を実現するわけで利他です。(『自分の願望を犠牲にしても他人の利益を図ること。』)賃金を廃止すれば諸個人がどの程度、利他労働をしたかの印がなくなるわけでして、貨幣廃止論に帰結します。

 

 
ハズカシさんへ (東西南北)
2007-08-12 14:30:20
追加です。。

「人間の本性=労働・言語」をイキナリ出してきた時と同じ。そんなもん科学でもなんでもないよ。じいちゃんの言う通り只の仮説の積み重ねでしかない。」

 「人間の本性=労働・言語」は仮説ではなくて、確定している科学ですよ。「人間の本性=労働・言語」を仮説だというのは進化論を根拠なく懐疑する、あるいは否定する宗教です。だいたい、歴史の教科書に訂正されないで「人間の本性=労働・言語の使用」と記載されてますよ。教科書は科学であり、仮説ではありません。仮説であれば仮説を断っています。「人間の本性=労働・言語」を言い換えれば「人間の本性=社会的な科学技術」です。
科学とは (G)
2007-08-16 18:49:04
『「人間の本性=労働・言語」は仮説ではなくて、確定している科学ですよ。』

労働と利他の関係を「労働」⊃「利他」と表現した意味を解っていただけていないようですね。労働に対する東西南北さんの説明、また、ハズカシさんとの遣り取りの中で、東西南北さんは主観的な論理で否定されていますが、労働には利己的(ハズカシさんは「自利」という言葉をあてていますが)要素が切り離せません。つまり、小生の「労働」⊃「利他」の表現で、「利他」は「労働」の構成要素の一つだと言っているんです。つまり、利他は労働の必要条件となりますが、必要十分条件を満たしていません。
だから、たとえ「人間の本性=労働・言語」の命題が真だとしても、「人間の本性」=「利他」の命題が真であるかの証明にはなっていないということです。

『「人間の本性=労働・言語」を仮説だというのは進化論を根拠なく懐疑する、あるいは否定する宗教です。』

また、荒唐無稽な言い振りをされてますね・・・。この仮説を説明するのに、進化論を持ってくるとは・・・。あまり、小生は進化論について詳しくいないので、もっともらしい反論は出来ないのですが、『利己的行動』と『利他的行動』を説明するなら、まだしも、「人間の本性=労働・言語」の説明に引用するのは、かなりの荒唐無稽というべき飛躍に見えますが。でも、このように書くと、突拍子もない同値関係を持ち出して、主観的な論理を繰り広げるのでしょうけどね・・・。


『だいたい、歴史の教科書に訂正されないで「人間の本性=労働・言語の使用」と記載されてますよ。』

日本史、世界史、双方とも、高校生の時に履修しましたが、「人間の本性=労働・言語の使用」と書かれているのは見た憶えがありません。特に、日本史の教科書ではそのフレーズをみた憶えは全くありません。世界史については、単位をとるための勉強しかしませんでしたから、強い記憶ではありませんが・・・。

『教科書は科学であり、仮説ではありません。仮説であれば仮説を断っています。』

「教科書が科学である」というのは、賛同できませんといか、意味不明です。科学というのはいろいろな現象に対し、法則性を見出し、それに仮説を立て、その仮説が正しいかどうかを客観的に証明し、その法則を理論付けていくことです。一方、教科書は万人受けしている仮説が書かれている書物に過ぎません。更には、教科書(特に歴史等の教科書)は編纂者の主観が反映されてしまうので、教科書に書かれていることが、真実と受け取ってしまうのは、かなり危険なことですし、乱暴な言い方ですが、教科書に書かれている内容を鵜呑みにし、真実だ・・・と思い込んでしまうことは、科学を放棄していることと一緒です。

『「人間の本性=労働・言語」を言い換えれば「人間の本性=社会的な科学技術」です。』

また、すごい命題を打ち立てましたね…。これって、言い換えになっているのでしょうか?
Gさんへ (東西南北)
2007-08-17 09:33:58
 人間の本性は直立二足歩行と手の使用を肉体的な基礎とし、言語の使用と労働にあるということは日本史の教科書で再確認してください。事実です。言語の使用と労働というのは、言語の使用=科学であり、労働=社会的な技術ということです。ここで言う社会的ということが利他と利己を含むものと主張されているようですが、上のコメント欄の賃金と有償労働の記述を読み直してください。事実関係を何故、錯覚しているかを指摘しています。

 そして、人間の本性が上で述べた点にあるということは進化論上の科学であり動物と人類を分かつ本質的な法則なのです。

 簡単に説明しておきますが、人類と動物の本質的な相違点がどの点にあるかを認識する科学が進化論ですから、進化論を持ち出すことは当然であるばかりか人類の本性を規定する教科書の記載も進化論上の科学となります。仮説ではなく、確定している科学上の事実です。科学とは個別事実を抽象した法則です。個別の動植物と人類を分析・比較・総合すなわち思考抽象し、法則を規定したものが人類の本性です。人類であれば誰でもが備えた法則としての本性だということです。

「『「人間の本性=労働・言語」を言い換えれば「人間の本性=社会的な科学技術」です。』また、すごい命題を打ち立てましたね…。これって、言い換えになっているのでしょうか?」

 他の生物が進化したように、人類も進化してきたわけです。つまり、種族として絶滅しないように人類は他の生物とは異なる進化を遂げました。その人類独特の進化とは自然環境に適応するような身体器官の形態変化をともないながらの進化でした。しかし、これだけではまだ類人猿であり、人類とは呼べないわけです。類人猿と人類を進化史で分かつ点は、他の生物のように単に自然環境に適応して身体器官を進化させるだけではなく、自然環境に対して道具と言語操作を手段として能動的かつ利他的に労働する点にあります。ゆえに、他生物が自然選択で絶滅したり、多産繁殖で殺しあって個体数調節をするという規則を人類に適用することはできません。人類は絶滅の危機に陥るような自然環境に対しては、お互いに共同して自然環境をを能動的に造り替えて絶滅を回避する方法を獲得しておりますし、個体数調整についても食糧生産・人口計画等で対応することが人類の特質であり、他の生物には不可能な特質なのです。ここに人間の人間たる所以があるのであり、人口調節の殺し合いを人間に適用するのは人類の特質・進化論を無視した非科学的な認識なのです。

 意思疎通のための合図としての音声言語は他の生物にも認められますが、文字言語については人類の特質と規定できます。文字言語は記憶・本能の枠を超える存在なのです。つまり、文字言語によって科学技術が蓄積されて人類はより自然界に対しての生存能力をあげていくわけです。他の生物は遺伝によって形質を伝達することはできますが、科学技術の蓄積はできません。言語面からみるとここに人類の特質があるといえます。

 さらに、上記の事実と関連しているのですが、生物の巣作りは本能に規定されていますので、同じ自然条件では同じ形・素材等の巣を作るのです。これは各個体が思考せずに、遺伝情報のみに依存して道具を使用するような「労働」をしていることを示します。人間は遺伝情報のみに縛られて道具を使用するような利他的な労働をする存在ではありません。ここに人類の特質があることは指摘しました。

 きさんはすでにお気づきになったと考えますが、さる社会と人間社会の比較が成り立たないのは類人猿と人類が質的に異なる発展段階にあるという事実です。先に述べました。再度確認してください。自然環境に対して道具と言語を手段に能動的かつ利他的に自然を創りかえる労働をするのは自然界で人類だけなのです。

 この点で、人類は戦車さんの言うように生態系の頂点に君臨でしているというのが生物学的社会論の事実です。つまり、人類は生態系をいう自然環境に対して道具と言語操作を手段に能動的かつ利他的に労働して生態系を人類の存続のために科学しているということです。

 さて、すでにお気づきになったと考えますが、猿社会と人間社会の比較が成り立たないのは類人猿と人類が質的に異なる発展段階にあるという事実です。先に述べました。再度確認してください。自然環境に対して道具と言語を手段に能動的かつ利他的に自然を創りかえる労働をするのは自然界で人類だけなのです。

 この点で、人類は生態系の頂点に君臨でしているというのが進化論の事実です。つまり、人類は生態系という自然環境に対して道具と言語操作を手段に能動的かつ利他的に労働して生態系を人類の存続のために科学しているということです。

 ゆえに、人類社会に発生する問題を他生物の種族の問題解決の方法と同列に論じるということは事実無根であり、還元主義的な誤りを犯しているのです。なお、還元主義とは水とは水素と酸素であるという誤りです。あるいは、人間とは脳と心臓などの器官である。または、物体は生命である。という種類の誤謬です。要素還元主義ともいいます。発展という質的な相違、あるいは、有機的な全体性を認識しない思考の罠、あるいは事実無視ということです。

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