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261 コメント

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うん、国歌とか国旗に特別な感情は無いんですけどね… (izumi)
2006-09-21 21:22:42
根本的に間違ってませんか?

卒業式も、学校という施設も、教師とか教育委員会とかじゃなくて、生徒のためのものじゃないんですか?

確かに、懲戒処分は重すぎるとは思いますが、教師の思想よりも卒業式という一生に一度しかないセレモニーを生徒が余計なトラブル無く、気持ち良く行うことこそ最も重視すべきじゃないんですかね?
Unknown (Unknown)
2006-09-21 21:46:23
そう、根本的には間違っています。

問題は生徒のためのもの。

でも、余計なトラブルは教育委員会が原因。

国旗やら国歌やらなんて入学式や卒業式になくても誰も困らないはず。そこをわざわざ従わないとクビとか言ってるほうがおかしい。

生徒にも多様な価値観がある以上、国旗国歌を強制されない自由も利益もある。教師への強制は生徒への強制と密接不可分の関係なのだから(だから都教委は声量調査とかはじめるわけで)、国旗国歌を強制されたくない、多様な価値観ある社会に生きたい生徒の自由・利益に対する侵害としてとらえなおす必要があるでしょう。

だから、教師の個人としての自由にとどまらず、生徒に対する教育権の範囲と程度の問題としてどうなのかという点も重視されるべきと考えます。
人権を実現することが教育です。 (東西南北)
2006-09-21 21:53:15
 余計なトラブルを招いたのは石原慎太郎都知事であって、教員ではありません。根本的なことを言うのであれば、日の丸・君が代を教員に強制した都知事及び教育委員会へ抗議してください。



 卒業式に無用な混乱を招いているのは誰なのか、はっきりすべきです。そうでないと、izumiさん、またしても、中立と言いながら人権侵害する発言をすることになるんですよ。
それもどうかと (izumi)
2006-09-21 22:06:07
そもそも学校っていうのは、生徒への強制の塊なんですけどね。

勉強をするのも強制。

授業を聞くのも強制。

そもそも、『義務』教育なので、学校に入ること自体が強制でしょうに。

学校から強制要素全部除いたら、ただの無法地帯と化しますが。



「第二次大戦終了まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことは否定しがたい」からという理由も解せません。

それ、生徒と関係無いじゃないですか。

結局、先生方が国歌・国旗が嫌いだってだけにしか見えないんですけど。

どこが生徒の為になるんですか?

国旗・国歌を歌いたい子供の自由と利益は?



子供を思想のダシにしないでいただきたいのですが。
そんなに国歌や国旗が嫌いなら (izumi)
2006-09-21 22:14:50
教師になんてならなければいいのに。

教師は公務員であることは、皆知っているはず。

何故、わざわざ自分から国家権力の下に入るんですか?

国家権力は嫌いなのに、国家から賃金を得るのには違和感を感じないのでしょうか?

私だったら、嫌いな会社に勤めたくなんてないですが。
Unknown (Unknown)
2006-09-21 22:35:27
感情論に感情論で返すのは自分でもどうかと思いますが、

「そんなに憲法の人権規定が嫌いなら、教育長やら知事やらの公務員にならなければいいのに。公務員は憲法尊重擁護義務があるんですよ」

という話になりますよ。
中立であることは根本認識をしっかりして。 (東西南北)
2006-09-21 22:52:50
 児童・生徒に受験制度、校則、検定教科書等を強制しているのは誰ですか。自公政権でしょう。教員ではありませんね。



 事実に基づいて人権を実現していくことがことが教育です。「日の丸・君が代」の歴史上の事実を子供たちにしっかりと教えた上で、子供たちが自主的に判断せねばなりません。「日の丸・君が代」の歴史上の事実を子供に十分に説明せずに、刷り込みのように「日の丸・君が代」を学校に持ち込んでくる教育行政のやり方が、子供たちを欺く事実上の強制にあたると言っているのです。



 公務員は国家から賃金を貰っているのではありません。国民全体から賃金を貰い、国民全体に奉仕するのが公務員です。さらに、国民には職業選択の自由と勤労権がありますから、「国家権力が嫌なら公務員になるな」だとか「会社がいやなら辞めろ」などという発言は人権侵害に当たる発言となります。究極は「日本国が嫌なら、日本を出て行け」となります。どこの国の人の発言でしょうか。
教育者としては (self0507)
2006-09-21 22:54:36
早くも記事になされているようで、自分もブログで二段構えでこのお話をさせてもらいます(宣伝になりますが、よろしかったらみてください)

さて、学校は生徒が主体の空間であります。だから、生徒が優先され、教師の自由は二の次であっていいのでしょうか?これについてはみなさんの中で回答があるとは思います。

主体の影に客体が埋まることは、実社会ではしばしばあることです。それでも生徒のためには、教師は傷ついてもいいのでしょうか?

あえて指摘しておきますが、生徒も教師も”思う自由”は束縛されないはずです。思うだけならば違法性は存在しないはずです。

では、起立しない自由が存在しないか?という質問に存在しないと言い切れるほどの論理があるのでしょうか?これも問題になるでしょう。自由とは相対的に存在するものです。その相克がしばしば係争になるものだと思います。

izumi氏へ

義務教育は「学校に行くこと」ではありません。保護者が教育を受けさせることであって、保護者自身が教育を施すことが可能ならば学校に行く必要はありません。学校だけが義務教育の空間ではありません。(世俗的な誤解がありますけどね。ここは)

言葉として精査してほしいのですが、学校は「強制」される場所ではありません。行動そのものには生徒自身の拒否の権利があります。事実、授業をボイコットすることは否定されません。それでも強制というならば、使役行動は全て強制であり、人間行動は全て本能だけになるでしょう。

ちなみに、生徒に関係なく教師は私人でもあります。それが就業中であろうと私人としての権利は発動しえることは、労働法でも明確に法理が指摘しております。だからこそ、就業時であろうと当事者が違法性を見出せばそれを忌諱する権利があると思います。

学校は生徒と主人公であるにしても、脇役が自己主張してはいけないわけではないでしょう。第一に、教師が個人として自由意志を表面化することは社会的に意味があることです。それがTPOを選ぶというならば、それだけの明確な法理を指摘しないと説得力にはなりえないでしょう。

そもそも、教師が国旗国歌を嫌うことに違法性はありません。その意志を持つことも違法性はありません。その意志表示さえも違法性はありません。それがどう違法であるのか?道義的に問題あるのか?その回答ができていないのが現状ではないでしょうか・・

もっと言えば、生徒を指導要領を拘束(強制)することがそもそも違法とも言えます。そこまで考えるとどこまでの違法性まで容認できるか?という問題になるでしょう。

今回の判決の結論は支持しますが、国旗国歌観に関しては支持できない立場です。氏のケースは、国旗国歌という概念は不要であり、それに拘束される所以がないする自由思想を脅かす、という自覚があるのでしょうか?

国旗国歌が自然に尊重されうる存在であればいいのですが、そのような価値観に至れない人の価値観は全否定されるのでしょうか?自分には思想の自由は明確な違法性がない限りは、許容する”しか”ない立場ですし、それが司法であり、近代国家だと思います。



東西南北氏へ

都知事だけの責任というのは責任集積するべきではないと思います。自分は”国旗国歌が国民レベルで尊重されている現状”と国旗国歌が自分にとっては”まったく敵愾心も感心もない存在”だからこそ、他者の価値観の尊重という意味で、まったく問題にできなかった(自分の意志はもたなかった)わけですが、国旗国歌が慣習的に尊重されている現状は否定できないと思いますがそれが常識とは思いません。その上で、典礼で価値観に合わない行動をした一部の教員が排斥されたわけですが、それらの思想信条の自由は当然保障されるべきだと思います。(その点において今回の判決は支持しております)しかし、沖縄や広島の一部の教員が行った国旗という器物の損壊は国旗ではなく器物として許されるものではありません。(今回と事例が異なりますが)そのような問題ある否定的教師と同一視されたという部分があるのではないでしょうか?





ちなみに、よく考えてほしいのですが、典礼儀式において粛々の礼事が進む過程において、強制があっていいものでしょうか?あくまでも任意であるべきではないでしょうか?本当の意味でTPOを考えるなら、強制があることそのものに問題があるわけです。

同時に指導要領の問題もこれでは論じるべきでしょうが、機会があればブログでお話したいと思います。

そもそも、教育権は国家にあるのか?あるとして、それを規定し制約できるのか?・・指導要領は大きな自由の壁に直面してると思いますので・・・

毎回ながら、長い文章ごめんなさい



Unknown (Unknown)
2006-09-21 23:19:38
つけくわえますが、授業を聞くのは生徒の権利、親の義務ですから混乱しないでほしいと思います。授業中にむやみに騒いではいけないというのはほかの生徒の学習権を妨げるから禁止されるわけで、常識的な範囲のものは不当な人権侵害とはいえません。

授業をまじめに聞くことは強制できて、国旗国歌を歌うことを強制できないのはなぜか、ということですが、学問を学ぶことは、基本的な言語能力、実生活上の基礎的知識、社会の成り立ちと仕組み、自然界の諸法則、芸術的感性の修得など、現代社会で人間らしく生きていくために不可欠です。端的にいって、義務教育程度の知識に著しく欠けるようであれば人格ある個人として実生活を送ることにかなり不安があります。けれど、国旗国歌は国の仕組みをなんら教えてくれません。「君が代」を何べん見ても日本の統治機構のことはわかりません。国家神道の立場から天皇支配の永久性を読み込むことはできるかもしれませんが、現代政治が天皇個人の意思で動いているはずはないでしょうからナンセンスです。

それから、国旗国歌を歌いたい生徒の自由・利益ですが、別に学校の入学式でなければ歌えないものではないでしょうし、目が覚めている間ずっと国旗を歌って国旗を仰がないと生きていけない人というのは見たことがありません。歌いたくないほうはとにかく24時間歌いたくないのですから、一時でも歌わされれば内心の自由への制約になります。

あと、国歌が歌えないとオリンピックはどうなるとかいう方もいますが、歌いたい人は自分で覚えるのでなんら問題ありません。阪神ファンは六甲颪を学校で教わらなくても覚えてますし、アンチ阪神の中には六甲颪を知っていても絶対に歌わない人はいるでしょう。

申し訳ない (izumi)
2006-09-21 23:46:57
感情を先行させすぎてしまいました、申し訳ないです。



地方公務員法第32条によれば、

『職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。』

となっているそうなのですが、今回の判決(および思想・信条の自由などの諸法規)と整合性がとれていないように思えます。

この辺りはどうなっているのでしょうかね?



>Unknownさん

確かに感情論でしたね、申し訳ありません。



>東西南北さん

>「日の丸・君が代」の歴史上の事実

元々の出典から現在に至るまでを、中立かつ正確に教えるのであれば同意します。

ですが、今回の原告の教師の皆さんは果たしてそれをやってくれるでしょうか・・・

「日の丸・君が代は皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱だった」とだけ教えるのはちょっとずるいですよね。

私は「君が代」の旋律はとても好きなんですけどね。

皇国思想や軍国主義思想というとちょっと遠慮したい気持ちになりますが、歌とそれとは別と認識しております。

あと、読売新聞によると

>一方で、判決は、国旗掲揚や国歌斉唱について、「生徒が日本人としての自覚を養い、将来、国際社会で信頼されるために、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要で、式典で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることは有意義」と認め、

>「教職員は国旗掲揚、国歌斉唱に関する指導を行う義務を負い、妨害行為や生徒に起立などの拒否をあおることは許されない」

つまり、教職員が思想信条の自由で拒否する事はありだが、生徒に対してはきちんと指導せよという判決のようなのですが。



>self0507さん

申し訳ないです。

義務教育~については知っていますが、すっぽり頭から抜けてました。

『強制』については、教師への強制は生徒への強制という部分への反発で出たものです。

・・・冷静に考えると、ろくな事言ってませんね、私。

いや、本当に申し訳ないです。