goo

第508話 神代警視・愛と希望の十字架(前編)

脚本 長坂秀敬、監督 宮越澄
1987年3月26日放送

【あらすじ】
特命課の奮闘と桜井弁護士の尽力により、新宿東署の悪行は白日の下に晒され、多数の不正警官が摘発された。だが、警察組織に根を張る腐敗の闇はなお深い。捜査の強引さと越権行為を問われ、査問を受ける神代。「警察内部の腐敗を見逃すようでは、市民の信頼を失います」毅然として持論を述べる神代だが、上層部にエリート署長の責任を問うつもりはなかった。
同じ頃、警視庁内にある噂が流れていた。神代がクビを切られ、特命課が廃止されるというのだ。さらに、捜査4課に特別室が新設され、その室長には特命課と因縁浅からぬ西岡刑事が就任するとも囁かれていた。「納得できません!私たち、正しいことをやっちゃいけないんですか!」江崎の涙を、沈痛な思いで見守る刑事たち。そこに神代が現れる。いつものスーツ姿でなく、珍しくジャンパー姿の神代は、心配げな部下たちに一瞥も与えることなく、自らの拳銃を取り出して何処かへ出かけていく。
「課長が東署に乗り込み、署長を殴っただと!」報せを聞いた橘たちは、慌てて新宿東署に駆けつける。そこには、頬を腫らせた署長とともに、なぜか西岡の姿があった。「なぜ、ここにいる?」橘の問いに「4課は暴力事件が担当だ。某課長のご乱心にも、むろん駆けつける」と嘯く西岡。「ここで何が起こった?」「逆上と、愚拳だ」神代は署長の責任を問い質し、「上の決定に従う」との返事を聞くや、いきなり殴りかかったのだという。「課長職を追われるというので、よっぽど血迷ったらしい」「もう一度言ってみろ!」署長の暴言に、温厚な紅林までもが逆上する。だが、神代の暴挙はそれだけではなかった。東署の資料室から暴力団関係の資料を強引に持ち出し、制止する署員らに銃を向けたという。一体、神代に何があったのか?あまりのことに呆然とする刑事たち。
神代が資料を持ち出したのは、5つの新興暴力団だった。神代の真意をつかむべく、暴力団と署長のつながりを調べ始める特命課だが、神代はさらなる行動にでる。暴力団事務所に次々と殴り込みをかけたのだ。むろん、神代とて無傷ではすまない。その夜、神代夏子の墓前には、手負いの獣のような神代の姿があった。
「桜井よ、いろんなことがあったな・・・」同じ頃、橘と桜井は、神代の身を案じ、特命課で夜を明かしていた。二人の脳裏を、さまざまな事件の記憶が通り過ぎる。「俺たちの特命課が、消える・・・」「どうせ課がなくなるなら、こいつを叩き返して、課長のように暴れまくりますか」警察手帳を机に置く桜井だが、橘が制する。「だが、こいつがなけりゃ、俺たちには何もできん。刑事でいる間は、刑事でいよう。課長もそうしている」橘は、神代の暴挙が、刑事としての、そして特命課の課長としての行動だと信じていた。そして、自分たちにもまだできることがあると。「最後の仕事だよ。桜井」
神代が殴り込みをかけたのは、5つの暴力団だけでなく、暴走族、新興宗教、過激派にまで及んだ。これらの組織を調べたところ、その背後には「日本の将来を考え守る連合国民会議」なる正体不明の組織があると判明する。そこに、神代のさらなる暴挙の報せが入る。あろうことか、政治家の事務所に殴り込んだというのだ。現場に駆けつけたものの、事務所員らの白眼に耐えかね、なす術なく引き上げる特命課。そこに江崎の姿もあるのを認めた西岡は、何故か「婦警まで連れて、何をしに来た!」と血相を変えて咎め立てるのだった。
その後、桜井は保釈中の父親を、橘は拘置所の巡査(=前々話の犯人)を訪ね、それぞれ決意を新たにする。そして紅林と叶は、特命課を去った仲間たちに想いを馳せる。「二人の刑事が死んで、三人が辞めた・・・」涙ながらに退職を報告する高杉婦警、市民を守るために自らの命を散らせる津上、新たな人生を選択する滝、非情の銃弾に倒れる吉野、そして、最後の坂道を神代とともに歩む船村・・・そんな刑事たちの側には、つねに神代の姿があった。その神代は今、どこにいるのか?数々の暴挙の裏には、どんな狙いがあるというのか?そして、もはや風前の灯と化した特命課の運命は?(後編に続く)

【感想など】
ついに、10年にわたる特命課の歴史に終止符が打たれるときが来ました。最終三部作の、そして全509話(スペシャル含む)の悼尾を飾るエピソードは、あの「凶弾・神代夏子死す!」での乱心ぶりを彷彿とさせる課長の暴挙で幕を開けます。特命課消滅という最大の危機を前に、緊迫感あふれるスリリングな展開は、さすがに最終回。詳細な感想は、例によって後編でまとめさせていただきますが、一つ指摘しておきたいのが、特命課を去った刑事たちの回想シーンです。
皆さんもお気づきの通り、幹子の退職シーンはどう考えても高杉刑事(西田敏行)の退職シーンの間違い。実際、長坂氏の著書「術」に掲載されている脚本を見ても、やはり「高杉刑事」と記されています。もちろん、「間違い」ではなく、たとえば肖像権など「大人の事情」の可能性もありますが・・・長く特捜を見続けている視聴者からすれば、まさに“感極まる”シーンだけに、「あれ?」と思わされ、せっかくの感動に水をさされた(ちょっと大げさですが)のが残念でなりません。もちろん、幹子の退職シーンがあること自体には異論はないので、できれば幹子と高杉、両者の退職シーンを揃えて欲しいところでした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

夏夕介さんのご冥福をお祈りします

大変悲しいことですが、叶旬一刑事こと、夏夕介さんが胃ガンのため59歳でお亡くなりになられました。ここ最近、ショッキングな訃報が続いていましたが、まさか夏さんが、この若さでとは予想だにせず、何というか、言葉もありません。
今はまだ気持ちの整理がつかず、何をどう書いたものやら分かりませんが、素晴らしいドラマを楽しませていただいたことへの感謝の気持ちとともに、謹んでご冥福をお祈りさせていただきます。

ありがとうございました。
あなたの優しい笑顔を、これからも忘れることはありません。
コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )

第507話 桜井警部補・哀愁の十字架(後編)

【あらすじ(後編)】
桜井の父親が会った面々を調べた結果、新宿東署の腐敗の実態が明らかになる。その背後には、エリート署長の経歴に傷をつけまいとする同署の体質があった。さらに、犬養や杉の調べに応じて、一人のベテラン警官が思いつめた表情で証言する。「東署にも、一生懸命働いている署員もいるんだということを、皆さんに分かって欲しいんです」東署内に蔓延する悪しき風潮を困ったことだと思いながらも、上に睨まれることを恐れて声が出せない署員たち。それでも戦おうとした一人が、あの巡査だったが、左遷の噂で黙らされた。「警察官は、警察官に対しても、警察官でなければならんのです・・・」悔しさを押し殺すような警官の言葉が、特命課刑事らの胸を刺す。
再び巡査を取り調べる橘と桜井。「着任早々、お前は東署の腐敗ぶりに呆れ、独自に不正を突き止め、副署長へ訴え出た・・・」「覚えのないことです」動揺しながらも、二人の言葉を否定する巡査。二人は構わず、調べた結果を語り続ける。巡査の訴えを握りつぶした副署長は、巡査の口を封じるために左遷の噂を流す。巡査は風俗業者の口車に乗って女社長から百万円を借り、署の上層部に賄賂を贈ることで左遷を回避した。しかし、借金には法外な利息がつき、進退窮まった結果、今回の事件につながったのだ。
「問題はここからだ。お前の性格からして、ごまかしたまま平気でいたとは思えない。お前、一度自首しているな?」橘の言葉に凍りつく巡査。確かに、罪の意識に耐えかねた巡査は、捜査課長にすべてを告白していた。だが、捜査課長は直後に逮捕された男に罪をかぶせた。現職警官が殺人を犯したとなれば、署長の経歴に傷がつく。署長に引っ張られて出世を目論む捜査課長からすれば、署長を守ることが最優先だったのだ。事態を知った巡査は強く抗議したが、捜査課長の「家族のことを考えろ」との言葉に、沈黙するしかなかった。
「お前は子供たちに、正義を貫く子になれ、弱い者を思いやる子になれ、と教えた。おまえもそう生きてきた。何故その生き方を変える?」「一度は戦おうとしたはずだ。警察の不正摘発に手を貸してくれ!」巡査の正義感に訴えかける橘と桜井。だが、巡査は事実を認めない。「それは警察官がやるべきだ。桜井弁護士にそう言われました」もはや警察官ではない巡査にとっては、正義以上に大切なものがあったのだ。
怒りの形相で父親の事務所に乗り込む桜井。「貴方は一人の男の心から、優しさと純粋さを奪った。大事なものを捨て、打算に生きろと教えた。それでいいんですか?」そんな桜井を冷ややかに見つめ、父親は答える。「人間のクセ一つ分からん奴が何を言う。そんな話なら帰ってもらおう」そんな父親に対し、桜井は一転して懐かしげな表情で語りかける。「父さん。僕は今、刑事としてじゃなく、貴方の息子としてお尋ねする」無言のままの父親の目を覗き込むように、語り続ける桜井。「父さんは昔から厳しかった。僕は父さんを憎むことで、成長した。同時に、父さんは僕の目標だった。誇りだった。その息子が、父である貴方にもう一度お尋ねします。貴方のしていることは、正義ですか?」我が子と視線を合わせぬまま、父親はインターホンを押した。「桜井刑事がお帰りだ」
特命課に戻り、神代に報告する桜井。「私は親父を許すことができません・・・」「まだ分からんのか。この間のお父さんの動き、一流の弁護士としては派手すぎるとは思わんのか?」神代の言葉を受け継ぎ、橘が諭すように言う。「お父さんが目立たぬように動くことは容易かった。だが、俺たちはお父さんの動きを追うことで、複雑な事件背景を知ることができた」「父がわざと手掛かりを残してくれたと言うんですか?」衝撃を受ける桜井の脳裏に、父親の言葉が一つひとつ甦る。今にして思えば、それらの言葉は、桜井らが真相に迫るヒントとなっていた。「この種の腐敗は確証が掴みにくい。お父さんは依頼人を裏切ることなく、弁護士としての行動範囲内で、ウミを出そうとした。お前に何かを気づかせおうとした。私にはそう思えるんだがね・・・」「お父さんは泥を被る気だ。自分が法を犯し、たとえ逮捕されてでも、俺たちに大掃除をさせようとしている」社会正義を貫くために、自らを犠牲にする覚悟を決めた父親。ようやくその真意に気づいた桜井は、先ほどの会話にもヒントが隠されていたことに気づく。「クセ・・・」捜査課長にはメモ魔というクセがあった。巡査の証言を記したメモが残っていれば、証拠になる。
東署を捜索する特命課。慌てて副署長が止めに入る。桜井は怒りを込めて副署長を叱責する。「貴方は今、何が大切ですが?人の評判ですか?署長の査定ですか?退職金ですか?警察官になりたての頃は、違うものが大切だったはずだ!」沈黙する副署長に、まくし立てる桜井。「警察官は、警察官に対しても、警察官でなければならん。貴方と同じ年配の、ヒラの警官の言葉だ。貴方のように偉くはないその人が、汗を拭き拭き言った言葉だ!分かるか!」うつむく副署長。そこに捜査課長が戻ってくる。しかし、桜井が捜査課長に詰め寄る直前、メモを受け取った父親が桜井らの目前で焼き捨てる。証拠は消された。ほくそ笑む捜査課長。だが、父親の覚悟を知った桜井は、悲壮な表情で手錠を握る。「証拠隠滅の現行犯で、逮捕します」それでいい、とばかりに満足げな笑みを浮かる父親に、桜井は万感の思いで手錠を掛けた。
連行される父親を見送る桜井。そっと神代が囁きかける。「途中に、景色の良いところがある」神代の心遣いに一礼し、後を追う桜井。遠巻きに刑事らが見守るなか、ひとときの別れを交わす桜井親子。「裁判、傍聴にいくよ。被告人としての父さんの供述ぶりを、聞きにいく」「ありがとう、哲夫」心ならずも敵対関係にあった二人が、ようやく親子に戻った瞬間だった。そんな二人を見つめる神代の胸に、一つの決意が宿っていた。「それにしても、桜井弁護士には教わるところが随分あった・・・」その言葉は、果たして何を意味するのだろうか?

【感想など】
最終三部作の中軸を担うは、エリート刑事・桜井と大物弁護士である父親との“父と子のドラマ”を軸に、警察の腐敗に立ち向かう特命課の闘いを描いた一本。同じく“父と子のドラマ”であった前話は、父親である橘が主役であるのに対し、今回は反発しつつも尊敬してやまない父親との対決を迫られる息子・桜井が主役。それだけに、長坂氏自身の「父親に反発する息子」としての立場が色濃く反映されているように思われます。

一見、悪に取り込まれるかに見えて、悪に雇われた弁護士としての職務を全うしながらも、自らの社会的生命を懸けて悪を糾弾しようとする父親の雄雄しき姿は、安部徹氏の熱演もあって、見る者を圧倒します。そんな父親の姿に翻弄され、一時は信頼を裏切られた怒りと悲しみに包まれた桜井が、神代や橘の言葉から隠された真意に気づく。しかし、父親の壮烈な覚悟を知り、尊敬と愛情を再確認した瞬間、その覚悟をまっとうさせるために自らの手で手錠を掛けねばならないという悲哀に満ちたラスト――いつになく大きな感情の揺れを見せる桜井の姿からは、演じる藤岡弘氏の足掛け10年という歴史(途中、1年間の不在もありましたが)の集大成的な意気込みが感じられます。

3部作の流れからすると、前話で描かれた女社長殺しを端緒として、警察腐敗の実態が暴かれる本編は、最終話において特命課が対峙する最後にして最大の敵が何なのかを示唆する布石となっています。こうしたストーリー展開の背後には、エリート警察官僚の特権意識や、キャリア優先の体質がもたらす腐食の構造に対する長坂氏の激しい怒りと憎悪が込められているように思われます。ドラマ中盤で桜井が口にした「人格で署長を選ぶ時代が来んものでしょうかね」という痛烈な台詞の裏には、「人格でトップを選んでいない」現状を糾弾するとともに、「人格が優先される時代など来ない」という長坂氏の(あるいは庶民の)諦念までもが隠されているように思われてなりません。

その一方で、単なる警察腐敗の糾弾のみにとどまってはいないのが、長坂脚本の凄いところ。「警察官は、警察官に対しても警察官でなければならない・・・」印象的に使われたこの台詞の主が、ヒラのベテラン警官であったことが、今回の脚本の真骨頂の一つでしょう。警察組織の腐敗によって最も深く傷ついているのは、組織の大半を占める(であろうと思いたい)善良な警察官たちである、という視点は意外と忘れがちなもの。もちろん、所属する組織の腐敗を正せない彼らにも責任の一端があるのは事実ですが、組織内部、それも組織の底辺から、組織全体の体質を変えることがどれだけ困難であるかは、哀れな巡査の末路を見るまでもなく、組織に属した者であれば容易に想像がつくでしょう。特命課が立ち向かうことができたのは、特命課という特殊な組織だからであり、仮に特命課刑事たちが巡査の立場にいたとすれば、巡査同様の末路をたどらなかったとは言えません。

とはいえ、私自身がそうであるように、組織外の視点からすれば、巡査のような心ある弱き立場の者たちも、腐敗組織の一員として憎まれ、責任を追及されるもの。しかし、彼らもまたある意味では被害者であり、(繰り返しますが、確かに責任の一端はあるものの)一方的に断罪すべきではないとする長坂氏の“情”が、本編の深い味わいとなっているように思われます。彼らを責める資格があるとすれば、桜井弁護士のように、自らの社会的生命を懸けても悪を糾弾する覚悟を持った者だけでしょうが、そうした覚悟を持つものは、決して弱き立場の者を一方的に責めることはありません。ラストの神代課長の台詞ではありませんが、桜井弁護士の態度には、大いに教わるところがあります。

本当の正義とは、決して誰かを安易に悪と決めつけ、糾弾することではない。自分の守りたい何かのために、己のすべてを懸けて戦い抜くことだと、桜井弁護士は教えてくれました。その教えを受けた特命課は、何のために、何と戦うのか。神代課長以下、特命捜査課の刑事たちの最後の闘いを、剋目して見守りたいと思います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

第507話 桜井警部補・哀愁の十字架(前編)

脚本 長坂秀敬、監督 田中秀夫
1987年3月19日放送

【あらすじ(前編)】
女社長殺しの犯人として巡査を取り調べる特命課。巡査は女社長に借金があり、その話し合いのために訪ねたところ、女社長は不在で、思わず金庫内の借用書手を出しかけた。そこを戻ってきた女社長に咎められ、思わず殴り倒し、死に至らしめたのだという。
解決したかに見えたこの事件だが、2つの疑問点が残されていた。1つは巡査が借りた金の使途。もう1つは、犯人である巡査以外知りえない事実を、男が供述できた理由。だが、巡査は殺人を認めた以外は、何も語ろうとしない。
巡査の弁護にあたったのは、大物弁護士である桜井の父親だった。「たかが一警察官のために、父さんほどの弁護士が乗り出すわけがない」と、事情を探ろうとする桜井だが、父親は「たかがとはなんだ。公僕の犯罪は、下にいくほど哀しみが深く、上にいくほど邪なものが多い」と応じ、巡査の犯行の背後に警察組織の腐敗が隠されていることを示唆するとともに、自身が弱き者の味方であることを宣言する。だが、その言葉を額面どおり受け取ってよいものだろうか?父親は巡査が雇えるような弁護士ではない。誰が、何の目的で父親に巡査の弁護を依頼したのか。「このヤマは単純ではないな・・・」と呟く神代。
巡査と接見した父親は、家族の生活を保障することを条件に、借金の理由、そして犯行後に一旦自首したことを口止めする。その言葉に従い、巡査は黙秘を貫く。やむなく、拘置所に男を訪ねる桜井と橘だが、すでに父親が取り調べと称して男の記憶を混乱させていた。
その夜、父親の事務所を訪ねて糾弾する桜井。「貴方は誰に雇われ、何を隠そうとしているんです?」だが、父親は弁護士の守秘義務を盾に、桜井を一蹴する。「心のどこかに、自分の父親を立派だと思う甘えがあった」と自分を責め、父親と正面から戦うことを誓う桜井。特命課刑事たちに、父親の行動を探り、そこから依頼人をたどるよう指示を出す。「大物弁護士だからといって遠慮するな。俺の親父だと言うことも忘れろ。もし証拠を押さえたら、逮捕しても構わん。すべての責任は、俺が持つ!」
刑事たちの調べにより、父親が新宿東署の防犯課刑事や白バイ警官、風俗関係者たちに口止めして回っていたことが判明する。一方、男の調書を調べ上げた桜井は、男に女社長殺しを認めされたのが新宿東署の捜査課長だと確信し、課長を追及する。「あんたは何らかの理由で巡査の犯行を知った。殺しの様子を巡査から聞き、男に誘導尋問の形でそっくり認めされた。誰がそうさせた?桜井弁護士に何をさせようとしている?」はぐらかすような課長の態度に激昂する桜井を副署長が制止し、署長の呼び出しを告げる。若くして出世が約束された“キャリア組”の署長は、権威を傘に桜井を威圧する。
高級官僚候補の若い署長の経歴に傷をつけまいと、定年間近のベテラン副署長が保身に走る――新宿東署の体質が、署員に悪い影響を与えないはずがなかった。「人格で署長を選ぶ時代が来んものでしょうかね・・・」橘と警察組織の欠陥を嘆き合う桜井のもとに、犬養が駆けつける。報せを聞いて、料亭に急ぐ桜井。そこでは、署長との密会を終えた父親の姿があった。血相を変え、父親の車を止める桜井。「貴方は誰の味方なんです。金でヒラを黙らせ、権力のトップに尻尾を振るのが貴方の正義ですか?」父親は桜井の怒りにも顔色を変えず、「では聞こう。正義感で何が買える!」と応じる。ショックを受ける桜井に、父親はなおも続ける。「あの巡査の12年間の正義では、何も買えなかった。だが、今では沈黙で家族の生活が買える」「それが、法曹界の良識といわれた弁護士の言うことですか・・・」怒りに桜井の声が震える。「誰が言おうと、真実は1つだ。君も、泣き言で自分の無能をカバーするようなことはよしたまえ」思わず父親に殴りかからんとする桜井を、橘の声が制した。尊敬する父親に裏切られたショックが、桜井を打ちのめす。
果たして、桜井たち特命課は、警察組織の腐敗を糾すことができるのか?署長や捜査課長が隠そうとする女社長殺しの背景とは?そして、父親の行動の真意は?(後編につづく)

【感想など】
最終三部作の二話目となる本編では、前話で解明された女社長殺しをきっかけに、新宿東署の腐敗の構造が明らかにされていくという展開をみせつつ、大物弁護士である父親と桜井との対決が描かれています。尊敬する父親との対決を余儀なくされる桜井の葛藤。そして、その父親が悪に与していることを知った桜井の衝撃。ここでも前話とは形を変えた“父と子のドラマ”が展開されていますが、圧巻なのが桜井の父親を演じる安部徹氏の存在感。時代劇をはじめ、悪役としての印象が強い安部氏ですが、重厚かつ凄みのある演技の前に、さすがの桜井も圧倒されている感があります。
結局、最終三部作はすべて前後編で紹介することとなりました。詳細な感想は、週内にも投稿する後編でまとめさせていただきます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

皆様、よいお年を

最終3部作の1話目の感想を書き終えたところで、明日(というより今日)から帰省させていただきます。
年内には最終3部作を投稿したい、と言っておきながら、約束を護れないまま越年してしまうことになり、誠に恐縮です(特にコロンボさん、延び延びになってしまって本当にすみません)。年明け早々は、仕事もあまり混んでない予定ですので、できるだけ早く、残り2話を投稿したいと思っておりますので、(こればっかりで恐縮ですが)いま少しお時間をいただけますようお願いします。

今年は何度かブランクを空けてしまったり、コメントの返信が滞ったりで、いつもコメントいただいている方、ご覧いただいている方には、本当に申し訳ありませんでした。来年、といっても残り2話しかありませんが、ファミリー劇場での再放送も始まりますし、ひょっとして2月で終了する「Gメン82」の後釜などで、念願の第1話からの放送もあり得るかもしれませんので、どうか引き続きお付き合いいただけますよう、お願いいたします。

それでは、一年間お付き合いいただきました皆様、ありがとうございました。
来年も皆様にとってより良い一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

第506話 橘警部・父と子の十字架(後編)

【あらすじ(後編)】
橘の息子たちは、紅林の部屋に身を寄せていた。「見せたいものがある」と叶が健二を呼び出す。叶の高圧的な口調に反発する健二に、紅林は諭すように言う。「叶は羨ましいんだ。叶も俺も、父親の味を知らない。憎んだり、嫌ったりできる親父がいるだけで、俺たちからしたら贅沢なことなんだよ・・・」
叶が健二に見せたのは、事件前後の状況を確かめようとして、目撃者に迷惑がられる橘の姿だった。卑屈なまでに頭を下げ続ける橘から目をそむけ「ペコペコして格好悪か!」と悪態をつく健二を、叶は叱責する。「見なきゃいかん!君はあのお父さんの格好悪さを見なきゃダメだ!」一転して、哀しげな声を上げる健二。「あんな父さん、見とうなか!」その悲痛な声に、叶は健二の本心を知る。反発するようでいて、やはり健二は、橘が“尊敬する父”でいて欲しいのだ。
本心を垣間見せたことで、打ち解けあう叶と健二。「子供の頃の思い出なんか、ほとんどなか。父さんが頬擦りすると髭がチクチクして痛かったことと、タバコの匂いが臭かったこと。それしかなか」「ハハ・・・そんなもんかな。親父ってのは」と笑う叶に、健二は続ける。「親父の言ったことなんて何も覚えとらんけど、一つだけ、変な言葉を覚えてる。牛のように生きたい・・・」牛のように生きる――それは、鈍重に見えようとも、一歩ずつ着実に歩み続ける、今の橘の姿に他ならなかった。
その後も拘置所に通い詰める橘だが、男の態度は変わらない。肩を落として立ち去る橘に、「今まで立場上黙っていましたが・・・」と看守長が話しかける。苦言を呈されるのかと身構える橘に、看守長は言った。「私の見たところ、奴は少しずつ、貴方の誠意に押されています。もう一押しです」その言葉どおり、次第に男は橘に心を開き始める。息子との対立を語る橘に、男は「俺もそんなことがあったな・・・」と、自らの過去を語り出す。
子供の頃、万引きの濡れ衣を着せられた男を、父親は事情も聞かずに殴りつけた。悔しさの余り、本当に万引きを働いたのが、男の転落の始まりだった。「俺がパクられた晩。あの赤ん坊には参ったよ。この子の親父を俺は殺っちまったんだなって。初めてそう感じて、他のことはどうでもよくなって・・・」ついに女社長殺しが自分の犯行ではないと認める男。だが、それを証明する術はない。「昔からそうだ。どうせ、俺の言うことなんか信用されねぇ・・・」
男の言葉を証明するため、現場付近の聞き込みに戻る橘。そこには特命課とともに聞き込に回る息子たちの姿があった。驚く橘に、紅林が言う。「あの子たち、父親と同じ苦しみを味わおうしてるんですよ」嬉しそうに、健二の頬に拳を押し付ける橘。その拍子に、あることに気づく。女社長の頬に残った殴打の痕は、犯人が女社長より長身であることを物語っていた。だが、男は女社長よりも背が低い。やはり、真犯人は他にいるのだ。
その後、息子たちの聞き込みによって目撃証言が覆る。事件前後の目撃証言は2件のみで、いずれも死体発見時の巡査の姿だけだった。しかし、うち1件は目撃者が時間を勘違いしていた。巡査は死体発見の1時間前、女社長の死亡推定時刻にも現場を訪れていたのだ。
さらに、橘は男が語った現場での出来事を、男の身長に合わせたビデオカメラを見ながら検証する。犯人は受付近くで金庫を発見したはずだが、男の身長では、受付からは金庫が見えない。犯人は身長190センチの長身の男、すなわち、巡査に他ならなかった。
犯行を認めた巡査は、家族に別れを告げる。巡査に両手で抱きかかえられながら、励ますように母親が言う。「母さんはね、お前が名乗って出ると信じていましたよ」幼い二人の息子に「正義を貫く子になれ。弱い者を思いやる子になれ」との言葉を残し、巡査は連行される。「お父さん、いってらっしゃい」事情を知らぬ息子らの無邪気な声が、刑事らの心に響いた。
事件は解決した。しかし、あれほど誠実な巡査が、なぜ殺人を犯したのだろうか?そして、男はなぜ、犯人しか知りえない証言ができたのだろうか?「まだ疑問点が残りますね・・・」桜井の言葉に、神代が答える。「うむ、この事件は、奥が深い」
息子たちとともに夕陽の中を歩く橘。父の背中に、信一は言う。「父さん。俺、刑事になろうと思う」そして健二も言う。「俺は、牛のように生きて見ようかと思う」少し照れ臭そうな息子たちの言葉を背中で受け止めながら、橘は無言で夕陽を見つめる。その顔に笑みはない。ただ、過去への深い後悔と、妻子への贖罪の想い、そして刑事としての誇りと、父としての満足感がある。

【感想など】
前編の感想でも触れましたように、長坂氏にとっては特捜における“父と子”テーマの集大成とも言える一本。ラストを飾るかのように、男=大地康雄、巡査=中康治、さらに次回で重要な役所を演じる新宿東署の捜査課長にコンドールマンこと佐藤仁哉と、ゲスト陣にはいずれも特捜の歴史を彩った味のある面々を配しており、非常に見応えがありました。

なかでも出色なのは、大地康雄のキャラクターです。少年時代に深い心の傷を負い、その傷から逃れるように凶悪な犯罪を繰り返した挙句、ふと赤ん坊の泣き声に我に返ってみれば、そこには見えるのは、疲れ果てた自分の姿だけでした。自暴自棄となり、自分が犯してもいない犯罪までも認めた男の心を動かしたのは、「警察が間違いを犯してはならない」という橘の強固な信念でしたが、それでも男の心は救われません。女社長殺しを否定したのは、単に橘個人に対する“情”ゆえであり、(男の主観では)自分を犯罪に追いやった世間に対する憎しみと諦観は、変わることはありません。しかし、ラストで真犯人が明らかになったとき、男は橘に対して正座し、頭を下げます。このとき、男が頭を下げたのは、橘個人に対する“感謝”だけではなく、自分の主張に耳を傾けてくれた社会と、これまでの被害者に対する、おそらく彼にとっては人生で初めての“お詫び”の気持ちが込められていたのではないでしょうか。

このように、大地康雄のストーリーだけでも一本のドラマが作れそうなほどですが、加えて巡査家族を巡るストーリー(引き続き次回でも語られますので、ここでは触れません)、さらにはメインとなる橘親子のストーリーまでが、緊密につながりつつ展開されるのですから、まさに圧巻というしかありません。

肝心の橘親子の“父と子”とドラマは、「父の仕事、父の生き方に対する息子たちの理解と共感」という結末を迎えましたが、それでも、いわゆるハッピーエンドな印象を与えないのは、それだけ橘の後悔と自責の念が強いからではないでしょうか。もちろん、上記の印象や、あらすじのラストに示した解釈は、あくまで私の主観ですが、そのシーンの橘の表情や、そこに至るまでの橘の苦悩を見る限り、私にはそう思えてならないのです。「そうじゃないだろう」「私にはこう思えた」というご意見もあろうかと思いますので、是非、皆さんなりのご感想をお聞かせいただければと思います。

ちなみに、長坂氏の著書「術」には、最終三部作の脚本が掲載されており、実際の映像と見比べてみると、細かな違いや省略ぶりが興味深いのですが、最も驚いたのが、台詞や動作の説明があるのみで、登場人物の心情までは書き込まれていないこと(余り脚本を読んだことがないので、これが長坂氏特有の特徴なのかどうかは分かりませんが・・・)。そこに記されていないキャラクターの内面は、演者(+演出陣)が自分なりに解釈して表現するしかなかったでしょう。本編で言えば、健二の語る父の思い出を聞いて「そんなもんかな」と笑う叶の心情はいかばかりか?橘の「もう少しの間、刑事をやっていたい」との言葉に沈黙する神代と桜井の心情は?そして何よりも、ラストの橘の表情に込められた想いは?脚本にも描かれていないそれらの想いは、演者がどう解釈したかも含めて、私たちがそれぞれの主観でつかみ取るしかありません。

先ほど、私が勝手に解釈させていただいたラストシーンについて、少しだけ引用させていただくと、長坂氏の脚本では、次のように書かれています。

橘の大きな背は、このとき一瞬止まる。
「・・・!」
だが、橘は何もいわず、すぐ大股に歩き出す。その背で――
夕陽が、大きい――。

これも全くの私見なのですが、「大きな背」という表現に、私は長坂氏から見た父親の姿を感じさせられます。父を恨み、父に反発しながらも、それでも父を尊敬する(あるいは尊敬していたい)息子の気持ち、それは長坂氏自身が抱いていたものだったのではないでしょうか?橘の大きな背中は、長坂氏が見た父親の背中であり、その生き方を認める息子たちの言葉は、長坂氏の父親に対する一つの答え(単に長坂氏が自身の父親の生き方そのものを認めた、という意味ではなく)だったのではないでしょうか?だとすれば、長坂氏には“息子”という立場からの想いを表現できても、“父親”の立場では何も語れなかった(語るべきではないと考えた)、とも想像できます。むしろ、父親の想いは、これまで“子供を捨てた父親”を演じ続けてきた本郷氏に委ねるべきと考えた。そして、本郷氏は長坂氏の意を汲み取って、自らが長きにわたって演じ続けてきた橘剛という“人間”の想いを、あの表情に込めたのだと、私は考えます。そして、私が愛してやまない橘さんであれば、きっとそう思ったであろうという私なりの解釈が、あらすじに示したラストに他なりません。長坂氏、本郷氏をはじめ、本編の制作の携わった方々には、誠に僭越至極で恐縮ではありますが、勝手な想像並びに解釈をお許しいただければ幸いです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

第506話 橘警部・父と子の十字架(前編)

脚本 長坂秀敬、監督 宮越澄
1987年3月12日放送

【あらすじ(前編)】
ある雨の夜、強盗殺人事件が発生。通報を受けた新宿東署に居合わせた橘は、同署の刑事らとともに現場に急行する。そこでは、泣き叫ぶ赤ん坊と、その両親の死体を前に、逃げもせず呆然とする男がいた。逮捕された男は前科持ちで、本件に加え、未解決の6件の強盗殺人についても自分の犯行と認めた。だが、橘はそのうち一件だけは、男の犯行ではないと直感する。それは、雨の夜の事件の数日前に発生した、金貸しの女社長殺しだった。男を無罪とする根拠は何もない。ましてや、男は自白しただけでなく、犯行状況を詳しく語っている。仮にその一件が無実だったとしても、男の死刑は確実だが、それでも橘はこだわった。それは事件の夜の雨が、かつて長崎に妻子を“捨てて”きた夜の記憶を呼び起させたためかもしれない。
そんな橘に、桜井は「手を引くべき」と忠告する。新宿東署が煙たがっている上に、橘の家庭の問題を察していたのだ。橘と同居中の長男・信一が長崎へ帰っており、橘の元には妻から離婚届が送られていた。「長い人生のなかで、男が家庭を第一に考えねばならんときがある」神代からの伝言が、橘の胸に重く響いた。
そんななか、長崎にいるはずの橘の次男・健二が新宿東署に補導される。健二は橘への連絡を拒み、代わりに連絡を受けた紅林と叶が東署に向かう。「あの橘警部のご子息と知っていれば、ご親切にできましたのに・・・」捜査課長のあからさまな嫌味に耐え、健二の身柄を預かる二人。ふて腐れる健二に、叶は「その態度は何だ!親父が憎ければ直接ぶつかれ」と叱責する。
その後、再び補導された健二が、今後は橘を呼び出す。報せを受けて、慌てて東署に向かう橘。長崎から戻った信一も、叶らとともに駆けつける。事情を聞こうともせず、健二を張り倒す橘。健二は「見たか!正面からぶつかったらこうだよ!」と捨て台詞を残して走り去る。心配する信一に、橘は「追うな!放っておけ」と言い捨てた。
その頃も、橘は一人、捜査を続ける。拘置所に男を繰り返し訪ねるが、男は「どうせ死刑だ。どっちだっていいじゃないか」と取り合わない。だが、それで諦める橘ではない。目撃証言を洗い直し、犯行現場を調べ、第一発見者である若い巡査を尾行する。そんな橘の姿を、息子たちに見せる紅林。「お父さんは今、ある事件を追っている。すでに解決済みで、放っておけば誰も傷つかない事件だ。それでも橘さんは追い続けている」「何のために?」「刑事だからだよ。それが橘さんだからだよ」
父の仕事の意味を確かめるべく、橘の後を追う健二。その目の前で、橘は尾行していた巡査から問い詰められる。「なぜ私を疑うんです?」何の根拠もないだけに、言葉もない橘。「もう私をつけ回さないでください。私の家庭を乱さないでください」妻に先立たれ、幼い二人の息子や年老いた母親と暮らす巡査にとって、同じ警官から疑いの目を向けられるのは耐え難いことなのだ。巡査の息子たちの年齢は、2歳と5歳。くしくも長崎で別れたときの信一と健二と同じ年齢だった。その偶然が、橘の心をさらに締め付ける。
その夜、帰宅した橘に、息子たちが別居を持ちかける。健二が家出したのは、妻に離婚を決意させるためだった。息子たちを思って離婚に踏み切れないでいた妻だが、実は、他に好きな男がいたのだ。「母さんが一人で苦しんでいる間、あんたは何をしよった!今、あんたがやっているのは、一人の警官を苦しめているだけじゃなかか!自分の家庭も守れんくせに、人の家庭を壊すなんて最低ばい!」健二の言葉が、橘の胸に突き刺さる。
翌朝、橘を気づかい捜査を離れるよう奨める神代と桜井は。に、橘はこう答えた。「息子に“あんた”って呼ばれました。あんたはただ刑事をやっていただけじゃないか、と」言葉もない神代と桜井に、橘は続ける。「お気遣いはありがたいのですが、もう少しの間、刑事をやっていたいと思いますので・・・」一礼して立ち去る橘の背中に、二人がかける言葉はなかった。(後編につづく)

【感想など】
基本的には一話完結ながらも、三話全体を通して壮大なストーリーが展開される「最終三部作」。その導入編となる本編は、橘の抱える“父と子”のドラマの完結編となる一本でした。“父と子”は、特捜では叶編の「掌紋300202」や、的場編の「父と子のエレジー」でも扱われており、それ以前に「刑事くん」などでも見られるように、長坂氏にとっての永遠のテーマと言えるもの(長坂氏の著書「術」によれば、長坂氏自身の父親との葛藤がベースとなっている)。
それだけに、今回の脚本の濃密さは“異常”なほどで、「橘と息子たち」というメインのドラマに加えて、「男が背負う過去(これもまた父との葛藤が背景)」のドラマ、「巡査と母、そして息子たち」のドラマ、そして「父を知らない叶と、父に反発する健二」のドラマが絶妙に絡み合い、さらに以降2話に続くドラマの伏線(序盤に登場した新宿東署の捜査課長の描写など)も巧みに配しているなど、非常に省略しづらいものとなっています。
このため、当初は短くまとめようと思っていたのですが、やはり断念して2度にわけて掲載させていただくことにしました。間を空けずに後編を投稿しますので、何卒ご容赦ください。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

近況

ようやく3部作中の2話まで視聴しました。一言感想を言えば、橘さん渋すぎ、子どもらも健気すぎ(奥さんはいったい・・・)。桜井の親父さん格好よすぎ(ちょっと桜井がワリを食ったか?)。何とか今週末には感想を投稿します。最終話を視るのはそれから。コメントの返事も今しばらくお待ちください。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

最終三部作の更新について

いよいよ最終三部作を残すのみとなってから、一ヶ月近くも放置してしまって誠に申し訳ありません。実は、まだ録画したまま視聴すらできていないのが現状です。
はじめは「これを見てしまうと終わりだなぁ・・・」との感慨から、勿体つけていただけでしたが、先月の後半くらいから地獄のような忙しさで(もちろん、フリーの身としては、仕事をいただけるのはありがたいことなのですが・・・)、なんだかんだで放置し続けてしまいました。
明日からの三連休は所用で関西に帰省せねばならず、今もそのために必死で仕事を片付けている有様であり、三部作を視聴できるのはおそらく月末以降。どうにか年内にはすべて感想をまとめたいと思っていますので、更新までもうしばらくお時間をいただければと思います。
コメントいただいている皆様にも、返信が遅くなってしまって誠に恐縮です。休み明けくらいから順々に返信させていただきますので、ご無礼をお許しください。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )

第505話 地上げ屋殺し(後編)

【あらすじ】
特命課の捜査により、被害者が地上げに関わったビルの所有者も、「あけぼの荘」付近の土地買収を進めているのも、すべて神代の旧知の男が勤める不動産会社だと判明する。そして、男もまた神代と同様に、かつて「あけぼの荘」の住人だった。当時を懐かしげに振り返る神代。「みんな痩せこけて貧乏だったが、心は豊かだった。街もね・・・」布団まで質草にして小銭を得ていた質屋。故郷への手紙を投函したポスト。日々の温もりを得ていた銭湯・・・だが、そんな風景も、今はすべて過去のものだった。「みんな変わってしまった。変わらないのは、この「あけぼの荘」だけだ・・・」
そんななか、神代は男から酒席に誘われる。被害者との関係を訪ねる神代を遮って、関連会社社長の椅子をちらつかせる男。露骨な買収を一顧だにせぬ神代に、男は苦笑を浮かべる。「昔のままだ。ちっとも変わらんな」「私も貴方が変わってないことを祈りながら、ここに来ました」そう応じる神代に、男は答える。「私は進歩したよ。世の中も進歩した。我々が進歩させたんだ。我々は東京を、いや、日本を住みよくするために汗を流してきた」誇らしげに語る男の言葉に、不動産業者としての仕事、そして自らの歩んできた日々に対する強固な自負が窺えた。だが、神代は男の主張に異論を呈する。「「あけぼの荘」のようなアパートを取り壊して、ビルやマンションを建てることが、住みよくすることですか?」「違うと言いたいのかね?」「違わないかもしれません。しかし、「あけぼの荘」に住んでいたような住人が、新しく建て替えられたビルやマンションに住めますか?」
静かな口調ではあったが、神代の言葉は男を、そして地上げに象徴される現代社会の矛盾を厳しく糾弾していた。毎日うどん粉を食べて暮らす苦学生にとって、その学生が栄養失調で苦しんでいるときに卵を分け与えていた貧しいお人好しにとって、そして今も少なからず存在するであろう貧しい人々にとって、現在の住宅事情は、果たして「住みよい」と言えるものだろうか?そして、それ以上に許せないのは、そのお人好し(=老人)が、卵の返礼として(=卵を与えた苦学生=男から)殺人の罪を背負わされようとしていることだった。過去を引合いに、老人に汚名を着せた真犯人ではないかとの指摘を受け、「貴様!」と激昂する男。だが、神代はそれ以上追及することもなく「そういう事件でないことを祈ります。失礼」と席を立つ。それは、いまだ確たる証拠がないからか。それとも、かつての友人に良心が残っていることを信じたいからなのか・・・
その後、神代の推測どおり、男がかつて被害者の村で用地買収に当たった責任者だと判明し、被害者と接点が明らかになる。また、男の強引な手法に対して社内でも批判が高まり、危うい立場にあることも分かる。神代は男の身辺を徹底的に調査するよう命じる。
一方、桜井は犯行現場を割り出すため、被害者に付着していた土を分析。そこにはリン酸が大量に含まれていた。同じ頃、橘は老人の飼っていたニワトリの死因が伝染病だと知る。その伝染病は東京近郊に発症例がなく、最近では埼玉県の養鶏場で発生していた。橘からその情報を得た桜井は、養鶏場に的を絞る。鶏糞には大量のリン酸が含まれているからだ。
その頃、時田は被害者の葬儀を訪れていた。弔問客もない寂しい葬儀で、妻の嘆きが時田の胸に染みる。「補償金で新しい家に住めて良かったという人もいます。でも、水の底に沈んでしまった、あの古い家に住んでいられたら、こんなことには・・・」それでも妻は、もはや取り戻しようのない過去を振り切って、東京で子どもたちを育てることを決意していた。少なくとも、東京には故郷の村とは違って働き口があるのだ。感慨にふける時田の眼に、一冊の手帳が映る。被害者が「金になるネタだ」と言っていたその手帳には、これまでの地上げの記録が、金の流れとともに記されていた。それによれば、実際の買収額と不動産会社の支払額には大きな差があり、その差額は男の懐に入っていた。被害者はこれをネタに、男を強請ったのではないか?
同じ頃、男の事件当日のアリバイが偽装だと判明。さらに、埼玉県の養鶏場から男と被害者の目撃証言も得られる。犯行現場と思われる養鶏場から採取した土は、被害者に付着していた土、そして男の車に残っていた土と一致した。逮捕状を手に、不動産会社に乗り込む神代。憮然とする男を見つめながら、神代は手錠を掛けた。
「あけぼの荘」の前で、男は全てを告白する。男は「あけぼの荘」付近の再開発が片付けば、被害者にまとまった金を渡す約束をしていた。少しずつ渡せば、バクチと酒に消えてしまうと考えたからだ。男はその金で、被害者が故郷の家族のもとに帰ることを願っていた。だが、バクチの借金に終われる被害者に、待つ時間はなかった。手帳をネタに脅迫する被害者を、男は乱闘の末にロープで絞め殺した。だが、だからといって、なぜ恩人である老人に罪を着せたのか?その問いに、男は質問を返す。「神代君、君はここが好きか?私は大っ嫌いだ!今でもうどん粉しか食べられなかった日々を夢に見て、寝汗をかくくらい嫌いだ。早く地上から消してしまいたかった・・・」そんな男の前に立ちふさがり、他の住人まで説得して立ち退きを拒んだのが老人だった。「あの人は、この私に反抗したんだ!」自らの消し去りたい過去、その象徴である「あけぼの荘」と老人を葬り去るために、男は老人に罪をかぶせようとしたのだ。男の消したい過去も、神代が懐かしむ過去も、すべて背負って「あけぼの荘」は建ち続ける。いずれ地上から消えてしまう「過去」を、神代と男は、それぞれの想いを込めて見詰めるのだった。

【感想など】
変わってしまう社会への不信感と、消え去っていく過去への郷愁を、今では死語となりつつある「地上げ」(ある意味、バブル社会の象徴とも言える)をテーマに描いた傑作。そこで描かれているのは、「現在の整備された都市は、本当に“住みやすい社会”なのか?」という問い掛けであり、その問いの背景には、その都市から弾き出されてしまう弱者の怒りと、そうした弱者の存在を無視して豊かな生活を享受する上流階級(さらには、彼らを主体とする社会全体)への怒りが込められているように思われますが、そうした弱者からの一方的な「強者への糾弾」で終わらないのが、今回の脚本の凄さではないでしょうか。

ドラマ的には、「貧しくとも(ある意味では)豊かだった過去」を、「懐かしく、尊いものと」して振り返る神代と、「思い出したくも無い、消してしまいもの」忌み嫌う男、という対比が(当然ながら、神代の意見が好意的に)描かれています。しかし、注意深く見てみれば、一見して正反対に見えた両者の立場が、実は同じコインの裏表のようなものではないか、という見方も成り立ちます。
神代の意見の背後には、「貧しいお人好し」である老人や、「ダムに沈んだ村」から追い出された被害者とその妻子などが、弱者の代表として描かれているわけですが、彼ら弱者が望んでいるのは、実は「弱者の居場所を守れ」という消極的なものだけではありません。その裏で、「本当は自分たちも強者の側に立ちたい」という積極的な望みを持っていることも見過ごせません。
「あけぼの荘」を守り続けたいと願う一方で、「あけぼの荘」を出て息子家族と同居したいと願う老人。「いつかは家族のもとへ」と願いながらも、地上げ屋の走狗となって都会の安易な享楽に走ってしまう被害者。「今はダムの底に沈んだ旧宅で暮らしていたら・・・」と過去を懐かしむ一方で、働き口のある東京で働くことを選ぶしかない被害者の妻。こうした描写の背景にあるのは、守りたい「古き良き時代」というものが、実は「恵まれない現状」から逃避するための幻想(神代の立場からすれば、「功成り名を遂げた者の郷愁」)に過ぎないのでは、という問い掛けではないでしょうか。

今回のテーマとなる「古き良き時代への郷愁」は、放送当時から20年以上を経た現在の方がより顕著です(その意味では、特捜らしい時代を先取りしたテーマ設定と言えるかもしれません)。しかし、昨今のいわゆる「昭和ノスタルジー」が、現実を無視して必要以上に過去を美化した「いいとこ取り」ではないか、との批判は良く耳にするところです。
郷愁の対象となる1950〜60年代(昭和30〜40年代)が本当に「良き時代」だったかどうかといえば、放送当時と、そして2009年現在と比べても、一概に「その通り」とは言えません。物価や住まいなどの住環境をみても、犯罪発生率や公害問題といった社会環境をみても、実際に当時の暮らしに戻りたい、という意見は、おそらく少数派でしかないでしょう。
男が(そして神代も)そうであったように、「こんな環境から抜け出したい」という社会全体の想い(当時の人々の総意)が、当時の日本を経済的に成長させる原動力になったというのは、否定できない事実です。その一方で、当時の人々の努力の結果として誕生した現在の社会が、手放しに歓迎できるものでないというのも、また事実です。いざ手に入れた成果を見たとき、そこには「捨ててしまいたかったもの」だけでなく、「残しておきたかったもの」までが失われてしまっていた。そうした喪失感の代償が「昭和ノスタルジー」ではないでしょうか。

「同じアパートの病人におかゆを持っていく」という美しい行為が現在には失われてしまっていることは事実ですが、それは人々が「プライバシー」や「安全性」を極端なまでに望んだ結果だというのも事実であり、自分で望んでおきながら、その結果として失われてしまったものを懐かしがる、というのは少々身勝手な気がしないでもありません。
とはいえ、相矛盾した二つの願いを抱いてしまう「身勝手さ」こそ、社会を進歩させてきた原動力であり、なんとか双方を調和して実現しようという工夫こそが人類の叡智ともいえます。
そう考えたとき、今回の脚本が描きたかったのは、「自分たちが望んだ社会は、本当にこんなものだったのだろうか」という疑問であり、「よりよい暮らしを追求するあまり、気がつけば大切なものまで捨ててしまった」という嘆きであり、さらには「取り返しがつかなくなる前に、もう一度、本当に望むべき社会のあり方を考え直そう」という提言だったのではないかと思えてきます。本作の放送から20数年を経た今、そうした疑問や嘆き、提言がどのように受け止められ、どのように消化されたのか、改めて検証してみる必要があるのではないでしょうか・・・

話を特捜に戻しますと、こうしたストーリーが最終3部作の直前に展開されたところに、何か「特捜最前線」というTVドラマが放送された10年間、さらには前作である「特別機動捜査隊」も含めれば四半世紀以上に及ぶ、まさに一時代の終わりを締め括るという意味合いが感じられ、感慨深いものがあります。
言ってみれば「あけぼの荘」とは、私たち視聴者にとっての「特捜最前線」であるかもしれず、長きにわたって大切な時間を与えてくれた存在が、遠くない将来(3週間後)には地上から消え去ってしまうという悲しみが、本作を裏から彩っているのかもしれません。もちろん、それは制作スタッフたちにとっても、視聴者と同様、あるいはそれ以上に悲しいことであり、だからこそ、特捜の歴史を影から支えてくれたゲスト俳優を動員し(老人役の今福将雄は言うまでもなく、チョイ役でしかない中年夫婦に北条清嗣を擁するあたりが、集大成的なものを感じます)、彼らもまた通常以上に迫力ある演技を見せてくれたのだと思います。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
前ページ