脱・立ちソバ生活は叶ったが、ファーストフードは脱せず「すき家」へ。朝食メニュータイムにぎりぎり間に合い、オクラ温玉カツオブシのせごはんに牛小鉢と味噌汁がつき320円。栄養価もコスパもなかなかで、こういうの食べると体の調子がいい。
用のない街・土浦さんぽ。雨が降ってきたので水戸街道沿いの喫茶「蔵」で根が生えてしまい、昼ごはんもこちらでいただいた。その名も「ツェッペリンカレー」は土浦のご当地カレーで、奇抜な名の由縁は昭和4年、ドイツの飛行船ツェッペリン号が当地に寄った際、乗組員にご当地食材のカレーを振る舞ったことによる。当時のレシピをアレンジし、生産量日本一のレンコンがルーに入っているのが特徴とか。
この店のはライスが飛行船型なのが楽しく、レンコンとローズポークがゴロゴロ入っている。ルーは甘口でマイルドとサラッといただけ、福神漬けまでレンコンとのこだわりようだ。根菜ポークカレーといった感じで、食材は活きてるし常習性は出るしなにより美味い。
ご当地食材を使った名物料理、話題性やネタ性が重視され、味は平凡だったり際物だったり「別にこう料理して食べなくても…」なんてこともある。着想時点で満足するとありがちなことで、これだとリピートのフックにはなり得ない。ここみたいな当たりであれば、「用のない街」からそれが訪問のきっかけになる街へと、ステップアップするように思えるのだが。
この店のはライスが飛行船型なのが楽しく、レンコンとローズポークがゴロゴロ入っている。ルーは甘口でマイルドとサラッといただけ、福神漬けまでレンコンとのこだわりようだ。根菜ポークカレーといった感じで、食材は活きてるし常習性は出るしなにより美味い。
ご当地食材を使った名物料理、話題性やネタ性が重視され、味は平凡だったり際物だったり「別にこう料理して食べなくても…」なんてこともある。着想時点で満足するとありがちなことで、これだとリピートのフックにはなり得ない。ここみたいな当たりであれば、「用のない街」からそれが訪問のきっかけになる街へと、ステップアップするように思えるのだが。
用のない街・土浦さんぽ。雨が本降りのため、水戸街道の喫茶「蔵」に避難。明治25年築のレンガ蔵を利用しており、かつては商家野村が扱っていた砂糖の貯蔵蔵だったという。高い天井が落ち着け、壁には霞ヶ浦をゆく帆引き船が描かれたステンドグラスも。
コーヒーをいただきながらここにいると、雨もひどいし夕方までいてしまいたくなる。
コーヒーをいただきながらここにいると、雨もひどいし夕方までいてしまいたくなる。
用のない街・土浦さんぽ。土浦城跡は現在は本丸しか残っていないが、かつては周囲に幾十もの堀と水濠が巡らされた「水城」で、平城ながら堅牢さを誇った城郭だった。城下には武家屋敷や町屋も広がり、水郷・土浦の街が形成された拠点といえる。
外堀を回り込んで西側から入ると、だだっ広い本丸の周囲に2つの櫓がそびえるのみ。城は「亀城」と呼ばれ、現在は復元されたこの東西の櫓ほか、江戸期からの門がいくつか残る。本丸正面の櫓門は城内でいちばん格式があり、かつての城郭図を眺めながら往時に思いを馳せてみたり。
櫓門を抜けると池を中心とした庭園、ニホンザルがいる動物舎があり、市民の憩いの場、といいたいとこだがひとの気配はない。
外堀を回り込んで西側から入ると、だだっ広い本丸の周囲に2つの櫓がそびえるのみ。城は「亀城」と呼ばれ、現在は復元されたこの東西の櫓ほか、江戸期からの門がいくつか残る。本丸正面の櫓門は城内でいちばん格式があり、かつての城郭図を眺めながら往時に思いを馳せてみたり。
櫓門を抜けると池を中心とした庭園、ニホンザルがいる動物舎があり、市民の憩いの場、といいたいとこだがひとの気配はない。
用のない街・土浦さんぽ。土浦城跡大手門までやってきた。現在は土浦幼稚園・小学校が建つあたりで、かつては外堀がその外郭に巡らされていたという。付近には碑が立ち、幼稚園の入口は当時の城門をイメージしたつくりになっている。大手門は復元のため、市民などから寄付を募っているのだとか。
小学校の塀も城郭のイメージを踏襲しており、瓦付きの土塀沿いを歩いていて気持ちがいい。砲門用の狭間(さま)の穴まで開けられ、防御は万全か。
小学校の塀も城郭のイメージを踏襲しており、瓦付きの土塀沿いを歩いていて気持ちがいい。砲門用の狭間(さま)の穴まで開けられ、防御は万全か。