赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

普門館

2007年10月19日 | Weblog
 ちょうど一年前だろうか。このブログを1年前に戻ってみてほしい。「普門館へ行ってみないか?」そうして始まったこの一年。早いもので、本当に一年がたった。どんな一年で、それが良かったのかどうか・・・コレは今すぐに答えは出ない。時間が経って、大きくなって、大人になった時、自分が年をとった時に、振り返ってみたい。今はまだ・・・目の前のことで精一杯だ。

 もしも本当に全国出場が決まっていたら、この2学期、どういう過ごし方をしていただろうか?夢は見られるが、実際にそうなったらさぞかし困難なこともあるだろう。今日まで中間テストでも明日は全国大会。どんな精神状態だろうか?
 上の大会に進むということは、それだけではない、それに伴って経験する多くの苦労やハードル、そして喜びなど、とにかく、新しい世界へと導いてくれるものだと思う。成長するチャンスが広がるのだ。

 明日は全国大会。この目で本当の普門館を見てこよう。目指して果たせなかったゴールを確かめてこよう。そして、誓ってくるのだ。いつか出てやるってね。

 若い頃(ほんのチョット前だよ←ジロ)、初めて吹奏楽コンクールに見学に行った時、いつか自分も正顧問として中学生と一緒に出場したいって思って、教員採用試験に合格を目指した。今も不思議だが、試験に合格した。

 はじめて県大会に見学に行った時、小学校、中学校、高校と、一度も上の大会に出たことのない自分は、出てみたいと心から思った。当時は知らなかったが、実はその見学していた演奏は富士宮第四中学校の杉山先生の演奏。その演奏は6年連続全国へとつながっていき、普門館で金賞になった。

 顧問になって、中日吹でガンガン演奏したら、全然イイ結果じゃなかった。なんかよくわからないけれど、たくさんの先生が慰めてくれた。自宅にまで電話してくれて、先生方が、かわるがわる話をしてくれた。
 当時、隣の中学と合同で東海大会の見学に豊田までバスで行った。始めて東海の演奏を聞いて、「ここまでやらないといけないなら、自分には無理。」って本当に、絶望した。「ガツンとやられた、思い知らされた」というのはこういうことなのだと思った。絶対に代表とか、無理だと思っていた。
 そのメンバーとずっと一緒に過ごし、次の年、中日で優勝した。初めての本大会だった。アクトだった。東海大会にも出た。2年連続本大会も経験した。そして江南中にお世話になって4年がたとうとしている。

 夢や目標は、結構かなうかもしれない。無理だと思っていたことも、信じてしまえば実現可能なのかもしれない。そう信じている。