降って来るもの

写真と散文とぽえむ

道行きに

2017-07-13 05:30:05 | 徒然

               道行きに

     Ⅰ「後悔」

 

後悔が嫌なら、何もしないことだ

何もしないことが、後悔に繋がったら

其処から

何かを始めればいい

 生まれついたことは

きっと、神仏の意匠に因るから

後悔など入り込む余地もない

 そうして、後で悔いるのは

天恵のイノチを全うしようと苦悶している証だ

それ故

そういう生き方を自覚できれば

後悔の連続だったとしても

其れを恥じることは、微塵もない

       Ⅱ「刻の掟を」

 

一刻一刻は

生まれては消える儚いものだから

滞っては居られないのだ

黙ってはおれないのだ

生息するすべてのものの息で

イノチの循環は行われているから

己の存在を主張するには

 膨大なエネルギーが必要になる

 

泡沫の一つの漲りのように

鋭い緊張を抱えて

類ない芳醇を内包して

 天空を目指したい!!

       Ⅲ「待つ」

 

待つことが一つの幸せへと導く

待てることが五感を彩る

 何を待つかはそれぞれの思惑で

どれだけ待てるかは

おのおのの器量に因る

 

僕はときどき

”matu”だけの人生も悪くはないと

思わないでもないのだ

       Ⅳ「説教」

 

ボクは他人に説教したり、規範を示したり

導いたりできる柄ではないから

pen先が勝手に生み出すボクの箴言擬きは

殆ど自身に向けて放たれたものだと

 自得している

       Ⅴ「潮目」

 

どんなことにも、きっと、潮目が遣って来るから

その変化を見落とさない様に

あらゆる神経を、十二分に研ぎ澄ましておくことだ

 心構えが整っていれば

最も旺盛なその”TOKI”に出合える

 

まごまごしていると

臨終の際が

最初で最後の機会にさえなりかねない

 

無から有を紡げる保証は、誰にもない

誰にも等しく、煌めくイノチの瞬間が

 用意されている訳でもないのだ

       Ⅵ「槐のように」

 

半世紀にも跨って僕は

余りにたくさん書いてきたから

ときおり

言葉の海で溺れそうになる

言辞の森で方向を失いそうになる

思索の荒野で迷い人になりそうにもなる

けれど

だとしても

ココロの大海に一個の錘を

胸の森林に一本の道標を

生死の道行きに一筋の光輪を

 弊害はあるだろうけれど僕は

槐のように

”KAKU”ことでしか進んでゆけないのだ

*07/13 05:30:05

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« キミとボク | トップ | 前触れ? »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。